第26号特集 《大逆事件と文学》
原稿募集にあたって
アピール文 2010.8.6.群系編集部
同 9.8.追加
;同 10.11 追加(下の赤字部分)
同10.21参考図書目次追加(NEW!! の部分)
25号はいかがでしたでしょうか。漱石特集は多角的な視点から作品についての多くの読み方が集まったということで、高評を得たようです。
さて、今年2010年は、大逆事件が発覚・逮捕(1910年)から、百年になります(翌年1月に24名の死刑判決、刑執行12名、以降に獄死5名)。同年には韓国併合もありました。次号26号は、ご案内のように、特集としては、この、「大逆事件と文学者」というテーマでやってみます。先行的に25号においても、野寄勉氏、安宅夏夫氏、佐藤隆之氏などが論じておられるように、事件は、文学者と社会の緊張、という体験では最初にしてもっとも重要な反応があったと思われます。
この世紀の事件が当局によってフレームアップ(でっち上げ)されたことは、この国の近代の歴史においてきわめて重要なことであり、当時の世界情勢、国内情勢、法的制度、そして国民(臣民)に対しての影響など、後の社会の動向を決定づけるいろいろな要素に富んでいたことと思います。
そして、事件の余波は、当時興隆期を迎えつつあったわが文壇にさまざまな反応を起こしました。人生の真実を暴く、などとスローガンにしていた自然主義は事件に対して無関心、かの強権≠フ存在も認識していない、と石川啄木によって、時代閉塞の現状≠ニ批判されたことはあまりにも有名です(「時代閉塞の現状―強権、純粋自然主義の最後および明日の考察」1910年)。実際、事件は、むしろ、山県有朋の側近にいた森?外や、その弟子筋の永井荷風みたいな、真実暴露≠フ自然主義とは対置の関係の人に、思わぬ余波・影響を与えました。
例えば、荷風は次のような象徴的な文章を書いています。
「明治四十四年慶応義塾に通勤する頃、わたしはその道すがら折々市ケ谷の通で囚人馬車が五六台も引続いて日比谷の裁判所の方へ走って行くのを見た。わたしはこれまで見聞した世上の事件の中で、この折ほど云うに云われない厭な心持のした事はなかった。わたしは文学者たる以上この思想問題について黙していてはならない。小説家ゾラはドレフュー事件について正義を叫んだため国外に亡命したではないか。しかしわたしは世の文学者と共に何も言わなかった。私は何となく良心の苦痛に堪えられぬような気がした。わたしは自ら文学者たる事について甚しき羞恥を感じた。以来わたしは自分の芸術の品位を江戸戯作者のなした程度まで引下げるに如くはないと思案した。」(「花火」)
永井荷風が見た市谷刑務所を出る囚人馬車に乗っていたのは、大逆事件で裁判所に引き立てられる幸徳秋水ほかの囚人であったのでした。
事件については、のちに当事者たちによって、作品化されたり、思い出として文章化されたり、また、後の研究者によって、論評されたり精査されたりしていますので、それらは、このアピール文の巻末に添えました。
(第2特集に、宮沢賢治とか、プロレタリア文学、についてなどと、意見があったのですが、今回は、一点集中、ということで「特集」は一つにしました。特集の延長として大正・昭和の社会主義運動を扱われてもいいと思いますが、その他の作家・詩人研究などは、「自由投稿」になります)。
永野悟
以下、資料編(次ページ掲載)からの抜粋です。
「大逆事件」の概要については、伊藤整『日本文壇史16 大逆事件前後』(講談社文芸文庫 1997.6)が、簡潔にして克明で、整は、事件を次のようにまとめています。
幸徳秋水と連絡を保ち、その思想の影響を受けていた地方の社会主義者には次のような五つのグループがあった。
一、大石誠之助を中心とする紀州グループ
二、「大阪平民新聞」に拠る森近運平履歴を中心とするグループ
三、内山愚童を中心とするグループ
四、「熊本評論」に拠る松尾卯一太、新見卯一郎及び坂本清馬等のグループ。
五、宮下太吉、新村忠雄を中心とする信州グループ。
このうち、大阪グループは明治四十年の秋に秋水が郷里(土佐)は帰る途中に訪ねて激励した人々であり、「熊本評論」は秋水が郷里へ帰ってから何度も評論を書いて援助した雑誌である。また秋水が上京する途中に立ち寄って交際したのが、紀州の大石誠之助や箱根の内山愚童などである。
(『日本文壇史16 大逆事件前後』 伊藤整』 講談社文芸文庫 1997.6 30pより)
○
また、われわれが執筆する態度としては、以下の山泉進のいう、「事実」よりも、「言説空間」という言葉が重要という指摘にも留意しておきたいと思います。「大逆事件」の言説空間を考える場合、三つの指標があるとして、氏は、次の三つをあげています。(『大逆事件の言説空間』山泉進編著 論創社2007.9)
第一の指標は、その言説が公的な空間に存在したのか、あるいは私的な空間に存在したのかという指標、
第二の指標は言説の公開性に関する問題(「大逆事件」では、事件の本質にかかわる重要な多くの言説は公開することを禁止された)。
第三には言説が同時的であるのか、回想的であるのかという指標
以下、山泉氏の文章をあげておきます。(冒頭2p〜5p)
「大逆事件」は言説空間のなかに存在する。こういう言い方に多くの人は違和感を覚えるかもしれない。二六名の被告がいて、大審院での裁判があり、東京監獄での処刑が行われて、家族や遺族たちのその後の人生があって、これらすべては現実のことで、言葉のなか、言説のなかの出来事ではないではないかと。しかし、「大逆事件」を全体としてみれば、違法性をもつ事実があって、それが裁判所において構成要件をみたす事実として認定され、犯罪としての処罰が行われたわけではない。たしかに大審院において犯罪となる事実が認定され、二四名に死刑判決が下され、一二名が処刑されたのは事実であるが、少なくとも前提となる「違法性をもつ事実」が存在したのか、については疑わしい。大審院における公判において、検事局を代表して法廷にたった平沼騏一郎大審院次席判事が主張したように、被告たちを裁く基準は、その「信念」であって、「事実」ではなかった。「事実」が行為のなかにしか存在しないように、「信念」は言説のなかに存在することになる。ところで、言説を言葉と文法規則よりなる意味の表現と考えれば、そこには意味を表現する主体が存在し、主体の場所が存在することになる。つまり、言説は一定の意味を付与する空間のなかに存在しているということである。
「大逆事件」の言説空間を考える場合、私は三つの指標を提示したいと思う。第一の指標は、その言説が公的な空間に存在したのか、あるいは私的な空間に存在したのかという指標である。公的な空間はまた二つに分類することができる、一つは法律を根拠とする命令や指示の体系である。公文書や公的記録として言い表されるこのような言説は、裁判所や行政官庁などの公的機関を通して発せられるものである。もう一つの公的空間にある言説は、新聞や雑誌などの活字メディアを通してつくられるものであり、読者を前提にして成り立つ。他方、私的空間にある言説は、個人の私的な日記や手記というかたちで、少なくとも執筆時においては公表されないことを前提として存在するものである。また基本的には個人間の信書(手紙や葉書など)もここに含めることができよう。「大逆事件」においては、内面にある「信念」が問題にされるという前提のもとで、私的言説もすべて公的空間へさらけ出すことを要請された。第二の指標は言説の公開性に関するものである。「大逆事件」において、事件の本質にかかわる重要な多くの言説は公開することを禁止された。その非公開性の原則が何によるものかは、「大逆事件」そのものの性格を規定することになるが、公開を許された言説からは常に事件の本質を隠蔽する作用が働くことになった。「大逆事件」に関する言説を理解しようとする場合、それが公開を禁止された言説であるのか、公開を許された言説であるかを考慮しておくことは事件の本質にかかわることであるといっても過言ではなかろう。その意味では、現在の状況を投影させて、すべての言説をフラットに並べて、透明化された事実から真実を取りだそうとしても「大逆事件」という闇の中を簡単に覗くことはできない。第三には言説が同時的であるのか、回想的であるのかという指標である。回想的言説には、文字通りの当事者や関係者たちの回想、あるいは小説などの文学作品、さらにはノンフィクション作品による再構成や研究論文までもが含まれる。当然にも、回想的言説には時間的経過の差があり、とりわけ「大逆罪」が存在していた戦前と、「大逆罪」が刑法から削除された戦後とでは、空間規制において質的な転換があり、それらのことを十分に考慮する必要がある。回想的言説と区別される同時性をもった言説とは、文字通り「大逆事件」の進行に付随して作成される、公的文書、新聞記事、感想録や日記の類である。これらの言説は、「大逆事件」を事後的にいわば完成された事件として回想的に捉えるのではなくて、事件を製造し、拡大し、政治的ショウへと仕立て上げていったメカニズムを解明するためには必要な言説である。
このように、「大逆事件」の言説についての三つの指標を提示しておくことは、ある意味において、「大逆事件」についてのテーマと叙述を規定することになる。たとえば、私的で、非公開的で、同時的な「大逆事件」についての言説といえば、石川啄木の「日本無政府主義者陰謀事件経過及び附帯現象」や平出修弁護士の「刑法第七十三条に関する被告事件弁護士の手控」などに代表されることになろうし、公的で、公開的で、同時的な言説の分野では当時の新聞報道を取り上げるのが最適であろう。また、神埼清の著作のように、入手可能なすべての種類の言説を探し出して、「大逆事件」を回想的に再構成しようとした力作もある。
ともかくも、言説空間についての指標を設定する意味は、言説をその背後にある意味空間を含めて理解し、「大逆事件」を成立させる構造を探求したいという欲求に基づいている。戦後、歴史の闇の中から「大逆事件」を明るみへと出す努力は、冤罪者たちの無実を証明するところからはじまった。無実であり、無罪であることを証明するためには、隠された資料を探し当てて真実を発見し、被告たちの無罪を勝ち取ることに精力が注がれた。「大逆事件」の五〇年を期しての、被告の一人、坂本清馬らによる再審請求はその頂点でもあった。それから五〇年近くが過ぎ去って、いま「大逆事件」を論じることは無罪論よりも、むしろ歴史的評価を必要とされる時期にきていると私は考えている。そのために、いま一度、そもそも「大逆事件」とは何であって、何が起こったのかを検証し直してみる必要があるように思われる。その作業の出発点として、言説空間に注目してみたいと私は考えた。(以下、略)
(『大逆事件の言説空間―一 序説「大逆事件」の言説空間 一 言説空間と空間規制』より)
参考図書(目次)は次へ、をクリック
「大逆事件」と人物
(執筆予定一覧)
以下は、26号編集前の基礎デッサンで、実際の内容構成とは異なります。
2011.5.11.付記
事件に関わった、反応した、ということで、次のように幾人かの人物に分けることが出来ると思います。皆さまには、この人物について、書いてみたい、研究してみたい、ということがあれば、8月末くらいまでに、編集部までご連絡いただくと幸いです。いま現在もこの作家をやりたいなどの、意向をうかがっている同人もいらっしゃいますが、大方のところがわかれば、メール等で通知して、不足部分があれば、他の同人をあてることができます。
10/11現在、執筆予定の方は赤字の項目担当です。
その他、コメントのある項目はどなたか少しでもいいので、原稿をお寄せいただければと思います。
「大逆事件」関係人物
1.幸徳秋水 (被告) どなたか少しでも。
啄木の「a letter from prison」でも可。
2.管野須賀子(被告)
当事者 3.大石誠之助(被告)
4.高木顕明 (被告)
研究履歴の資料、同人作成
5.その他被告
6.平出 修(事件担当弁護士)
7.平沼騏一郎
(事件担当検事の一人。後・首相)
8.その他事件担当の判事・検事、
大審院の仕組み。
法律専攻の方、1〜2pでも。
1.森 鴎外
2.石川啄木
文学者 3.与謝野鉄幹
4.永井荷風
5.佐藤春夫 3人
6.木下杢太郎
7.徳富蘆花
8.沖野岩三郎
9.夏目漱石
社会主義者 1.堺 利彦
2.大杉 栄
3.荒畑寒村
※ 大逆事件直前の1908年の「赤旗事件」で
多くの社会主義者は獄中にいて、難を逃れた。
上の3人はこの事件で獄中にいたため、大逆事
件の難を逃れられた。詳しくは こちらを参照。
(20世紀冒頭の、社会主義運動と国家との関係
が書かれています)
結果的には、目次のようになりました。
(前ページ参照)
「大逆事件」をもとにした小説・評伝
1.尾崎士郎「大逆事件」
2.瀬戸内晴美 「遠い声」
4.佐木隆三「小説 大逆事件」 文春文庫
5.辻原 登「許されざるもの」(モデル‐大石誠之助)上・下 毎日新聞社 各1,765円
執筆者募集(作品紹介)
参考図書(目次)は次へ、をクリック