『群系』 (文芸誌)ホームページ 

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「群系」29号(7月発行)の原稿募集要項 と《特集》について



『群系』第29号の《特集》について 
 (特集は二つ、あります。2012年4月末原稿締切)




 特集1 《百年の文学》第4回(最終回) 〈1967〜2000年〉発表の作品・作家


 特集2 震災・戦争と文学 (続)


特集1  〈1967〜2000年〉発表の作品・作家へのアピール
                   
                   参考:1967-2000年の出来事・年表

                                   2012年2月27日記

 本誌は先に、「平成二〇年間の文学」の特集を編んだ(22号・2008年後期号)。西暦でいえば、1989-2008年が対象だったが、なぜそうした企画をたてたのか。簡単にいえば、「平成」になってこのかた、時代感覚がわからない、自分が生きている状況がつかめない、ということだった(長い不況もあるが、それ以上の閉塞感)。それでいったん、文学作品でその風景≠さぐってみようという試みだった(成功したか否かは、本誌参照というしかないが、やった意味はあったと思う)。

 では、その「平成」時代の前半も含めた、〈1967〜2000年〉の時代はどういうものだったのか。むろんこの時期設定は、「百年の日本文学」特集企画の最後となる、二〇世紀の三分割の任意の一時期でしかない。がむしろ《われらの時代》といってもよい。すなわち多くの同人がこの時代をリアルタイムで生きてきたのだ。この皆にとっての「同時代」を、その表象である文学を通してみていきたいというのが、特集の眼目である。参考に作品年表を作成・掲出したが(次ページ参照)、以下、時代状況の素描をしてみよう(なお筆者は1950年生で、1970年に二〇歳を迎えた)

 青年時代は、学生の叛乱、三島由紀夫事件、浅間山荘事件等が立て続き、新宿西口の反戦フォークや討論会も、整備しつつあった高層ビル街の風景とまって、生きている実感があった。個人的にも内外でいろいろなことがあった。いわば、疾風怒濤≠フ時代だった。

 だが、成田空港代執行や浅間山荘でヤマを越えたのか、学生叛乱は急激に収束し、とにも沖縄は返還され、日中は国交を回復し(72年)、ベトナム戦争も終結した(75年)。だがそれ以降、時代感覚がわからない時代になっていった。若者の叛乱は赤軍のハイジャック、人質の解放要求(超法規的措置で受諾)などあったが、成田空港はとにも開港(78年)、その後80年代は、内外でやたら、社会的事件・事故は続くものの、政治的なターゲットはなくなったかのようだ。むしろ、中曾根内閣(82年)になって、この国の戦後政治の総決算のごとく、電電公社をNTTに三社分割、専売公社もJTに組み替え、さらに悲願≠フ国鉄もJRに分割民営化し、それぞれ今日にいたる道筋をたどる。明らかに時代状況は変ったのだった。

 左翼(サヨク)の衰滅、若者の叛乱の消滅と軌を一にするかのように、夢の楽園・TDLが開園したのは、83年の4月であった。これは象徴的な出来事であった。このあたりから、「若者」「青春」の定義が変わった。社会や大人への抵抗、自己形成の模索、など、日本近代の(またその表象としての「文学」の)目標としていた生き方が、がぜん変わった。時あたかも技術革新・高度成長で、若者の知性・情熱は(あったとすれば)コンピューターにそそがれた(ま、これはむろん時代にそったいい方だ)。だが多くの若者はどう生きたのか、たちどまることはなかったのか。

 バブルで行き先も見えなくなったその時代、それらを表象するものが、村上春樹の文学であったろう。処女作「風の歌を聴け」(79年「群像」)。作品は過去の追憶として語られるが、バーにたむろする僕とその友人(鼠)らの口にする言葉、「何もかも終わったよ」「完璧な文章などないように完璧な絶望というものもない」などは、「自己療養」「救済」という作品のテーマを象徴する言葉だったのだろうか(「その点、魂の救済物語≠ニもいえたのが、87年の「ノルワエイの森」であったろうか(大ベストセラーになった)。その点でも、確かに春樹はこの時代のパラメーターではあったろう。だが、作品には不幸な人物や話が続くし、肝心の「鼠」は失踪・自殺するに至る。

 80年代というのは、個人的にもあまり印象がない時代であった。一つには30代になって、仕事にしろ(+病気療養にしろ、女性にしろ?)個人的にいそしむことがタテ続きにあって周囲をそれほど見つめる余裕がなかったのか(後で、年表や作品を整理して、こんなことがあったのか、と驚き・ため息が多い)。だが、ひそかに60〜70年代の空気を抱えていたわれわれの世代は、どこかこうした時代に違和感を感じていたことだろう(「こんなのは違う」。だが当面の生活もあったりで、なんらの行動もとれなかった)。

 当時は高度成長もその最盛期を迎える頃であって(SONYがニューヨークの有名ビルを買収したとか)、若者にあっても、マル金∞マル貧≠フ語に象徴されるような、表層的な雅を謳歌する時代風俗であった。自分たちの世代とは違う、過去の疾風怒濤≠フ青春を知らない世代、体裁や周囲を顧みないで行動できる若者たちが出来してきた(「新人類」と呼ばれた)。羨ましくもあり、がまた憐れにも思われていたその世代。がちょうどその頃、いろいろな青少年の犯罪が出来してきたのであった(89年の「昭和」「平成」の交替期、幼女連続殺害事件と、女子高生コンクリート殺人事件が起こり、以降、葬式ごっこ≠ネどのいじめが全国的に頻発した(「平成」期以降特に)。

 それでも、われわれにとって眼を奪われたのは、平成前後から起こった世界史的な事件の連続であった。89年の昭和天皇崩御の年、中国では天安門事件が起こり、ドイツではベルリンの壁が崩壊した。東欧ではルーマニアやチェコの政権が崩壊し、ついに東西ドイツも統一され(90年)、翌年にはソ連崩壊という事態も招来した(これは二十世紀を翻弄した?ともういうべきソ連社会主義の帰結であったが、いかにわが国の文学者・インテリに夢と幻滅をこの国は与えてきたことだろうか)。国内ではかつて3万9千円の高値であった日経平均が2万円を割って、ここにバブルが崩壊した。時代はまったく新しい様相を呈したのだった。(ちょうどその頃、時代を象徴する人物が死んでいった。88年12月には大岡昇平が、90年には美空ひばり、手塚治虫が亡くなった)。

 91年には湾岸戦争が始まり、「多国籍軍」という見慣れない名前が頻繁にいわれた。日本国にも「PKO]という国際協力の派遣隊が出来た。そして時代の交替を国内でも象徴するかのように、細川連立内閣が出来(93年)、55年体制も崩壊した。だが、これが途中で頓挫して、そしてあの面妖なオウム真理教という団体とそこに蝟集する若者たち、その事件がおこるのである。松本サリン事件は94年に起こり、そして翌年死者10人、負傷者5千人以上を出した地下鉄サリン事件が起こる。この1995年(平成7年)は、またあの阪神淡路大震災が起こった年でもあった。

 以前も引用したが、大澤真幸のいう、「不可能性の時代」はこの95年から始まる(今にいたる)(『不可能性の時代』2008・4 岩波新書)。社会学者・大澤の同時代把握においては、敗戦以来の時代を三つに分けていることだ。すなわち、「理想の時代」「虚構の時代」「不可能性の時代」である。すなわち1945〜1970年までが「理想の時代」、1971〜1995年を「虚構の時代」、そしてそれ以降を「不可能性の時代」としている。「理想」の時代は、敗戦から立ち上がり、貧乏で苦労はあっても人々が理想や希望を掲げて生きていけた時代であり(「ALWAYS 三丁目の夕日」の時代)、次の「虚構の時代」は、現実よりも虚構に生きた時代のたとえで、コンピューターの仮想空間(若者のゲームへの熱中)がそれであり、また一番の象徴は先に言ったTDLの開園とリピーターを招くほどの大人気ぶりである(このへんは、22号拙論で言及)。時代は確かに変わった。だが、「大人」のわれわれはそれでも、寛容にそれらの推移を受け入れよう(寛容と忍耐→佐藤栄作の言葉だっけ?)。

 だが、オウム事件を経た後の人心・社会はどうなったか。やたら人を信用しなくなった。個人情報保護といいながら、履歴書を送っても簡単に「非採用」で反故にされる現実。勝手に首切りにされる現実。派遣やフリーターという語が定着するほど、(特に若者)の雇用の不安定が問題になってきた。皆せつな的にもなろう。マンガやゲームに熱中(われわれの時代もあったがテレもあった)、コスプレやカワイイ文化、に入れあげ、は時代の目標もない、浮遊する都市空間の人間群像だろうか。

 むろん、それは楽しい、こんな日本がいい、という声も多い。しかし、この国の破綻も近い、という近未来を抱えている今、せめて、「われわれの時代」はどうだったのか、検証するのは、今をおいてないと思うのである。時代の連続、非連続を確認するわけだが、それでも、時代や世代を「架橋」するのは、こうした表象としての文字の役割であり、文学はそのもっとも尖端的な営みのなのである。 

 さらにいうならば、新聞・出版・TV等マスメディアのご都合主義(保身)を考えるならば、いまや時代はマスコミ(中央)に対する、ネット(ローカル-地方)の時代であり、それに依拠しつつある同人誌の時代である。

 書評なども、「文学界」が「同人誌評」欄を廃止して以来、同人誌である「文学街」の書評や、「関東同人誌交流会」の掲示板、その主宰誌「文芸思潮」誌の同人誌欄、龍書房の月刊誌「雲」の書評、そして、わが「群系」誌、「群系掲示板」が、それら文学活動を支える大きな流れになっている(「読書人」「図書新聞」は現在、その批評が表層的、雑駁、という声があります)。さらに、研究誌としての「國文學」「解釈と鑑賞」の廃刊もイタイことでしたが、ある意味、大学(教官)を中心とした特権階級のための囲いサークル(権威主義)の崩壊は、時代の流れだったのでしょう。

 新時代を担うためにも、ぜひ、多くの方が、この〈1967〜2000年〉発表の作品・作家にアプローチし、一つ作品でも(2p以上)、お寄せください。これらの読みが30も、40も重なれば、これは「文芸年鑑」をしのぐ、おおいなるレファランスとなります。

                        2012・2・27 編集部 永野悟 


その2 震災・戦争と文学 (続)

 これについては、前回(と前々回)に続編ですので、テーマアピールは、それらをご参照ください。

 → 28号アピール(特集 震災・戦争と文学)  

   27号アピール(特集 戦争と文学-昭和文学の水脈) 

 震災についても、戦争についても語り足りないところがまだまだあると思います。



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 工事中です。いま少し、お待ちください。<(_ _)>



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『群系』第29号(2012年夏刊行予定)


 原稿募集要項    


            2012年1月15日記 3月12日訂正

 

原稿種類  評論・研究、創作・小品、エッセイ、詩(短歌・俳句は除く)、コラム(1ページ。半ページ囲み)など。音楽論・絵画論、評伝、メディア論、漫画論なども歓迎。複数投稿可。 

枚 数   基本的には自由

  (1ページは25字詰め×23行×2段=1,150字)。

1ページ目にはタイトル分25字×8行×2段=400字(1頁物などは、25字×5行×1段=125字)が入ります。それを除いて計算ください。なお,《読書ノート》《音楽ノート》《映画ノート》(各1〜2頁くらい)や、政治的・社会的テーマのコラムも募集(1〜4ページくらい)。気楽に投稿ください。

特集企画 


 その1

《百年の文学》の第4回(最終回)

     〈1967〜2000年〉発表の作品・作家

【参考】「群系」22号

   《特集》平成二〇年間の文学

       

  その2

 震災・戦争と文学 (続)

  2011年12月刊行の28号は、3・11の東日本の大震災を受けて、戦争と震災をからめて臨時特集にしました。今までの「百年の日本文学」とは違う特別企画となり、特に時を規定せずに、「震災」も「戦争」も、時空間を超えて論じ、また作品論に仕上げていただきました。


 →28号目次参照

 今回は、まだまだ書き足りない、あるいは続いて考えるべき事項があるようですので、その続編として、再特集いたします。   

 また、今回は、28号で繰り越しになっていた、「百年の日本文学」(4回連続)の第4回(1967〜2000年)を、第1特集として掲げ、われわれの生きて来た時代の文学、すなわち「現代文学」がどういったものだったかを考えます。


掲載費  

1. 手書きの場合:1ページ3,500円

 (コピー原稿を郵送ください。黒猫メールも可)

 2. 電子メール添付の場合:1ページ 3,000円(WORDで)。     短いものなら、「メール板」に直接書き込みでも可です)。

 なお、ワープロの場合、当方のパソコンで開けないので、編集作業ができません。群系の体裁とおりにしていただければ幸いです(25字詰め×23行×2段 タイトル部分必要分とってください)。

 ご承知のように、原稿は電子メール(添付ファイル)が編集上も一番都合いいです。執筆者には頁数に応じて、3〜15冊程度配布(28号実績)。


締 切   平成24(2012)年4月末

  (遅れる方は、返信メールにおよそのページ数、時機ご一報ください)。

発 行    平成24(2011)年6〜7月上旬  

発行部数  500部(予定)。

合評会   平成24(2012)年8月下旬の日曜を予定。

原稿送り先 Eメール gunnkei@w8.dion.ne.jp

           (各号の奥付・封筒にもあります)

        今までのsnaganofy@r7.dion.ne.jpも使えます

          (同じメールボックスに落ちます)。

郵送等送り先

 〒136-0072 江東区大島7-28-1-1336 永野悟方 群系の会宛  

※毎回、投稿が見込まれる同人の方には、投稿の予定のアンケートメールを発信しています(一部はがき)。なるべくご返信ください。


(毎度のことですが、書かれた内容に後、変更・取りやめ・追加等があってもかまいません。あくまで全体の傾向を知るためですので、ご返信いただけると幸いです)。






  掲載料金、配布冊数など、基本的なところは、この数年変わりません。  〈読書ノート〉など、1pからでも歓迎です。複数投稿は、3部まで。