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富丘 俊  山菜と橋



  山菜と橋


                                富丘 俊



 木曽山地から天竜川へ流入する支流に、近代的な現在の橋(幅約百メートル、高さ約五十メートル)がかかったのは、四十年ほど前のこと。この地区の住民たちの生活が一変してしまった。支流とはいえ、木曽山地から南に流れる有力な川の一つ。長い年月をかけて侵食されたこの辺りの地形は、深い峡谷を造っている。そのために古い時代、この地形は南北を結ぶ街道にあって、旅人の行く手を阻む場所でもあった。つまりこの道路は、愛知(三河)方面と長野(信濃)とを結ぶ幹線道路であったから、信濃に北上する旅人も南の三河方面に下る旅人も、雨が降って川が荒れ、増水すると、ここで足止めを食らって、渡れる状況が来るまで待たなければならなかった。こうした旅人をもてなすための生活を、ここに住む住人は長年続けてきたのであった。縁があって十年ほど前からこの地に通い続けた涼輔(りょうすけ)は、そんな遠い昔のことを思った。

 街道を涼輔は車で走っていて、偶然この地形が目に止まった。何かが彼の気を引き付けたのである。何気なく眺めると、橋がかかる前の旧道がまだ残っていることに気付いた。下方の川面に向かってつづれ折れに回り道しながら下って、川幅の最も狭まった場所に橋が掛かっている。橋を渡り、再び反対側をつづれ折れに回り道して登っている。旧道沿いには、まだ十数軒の人家が連なって残っている。何気なく彼はその旧道沿いの愛知県側を探検することになった。おそらくこの旧道が建設されたときは、馬車が通り自動車が通れるように改造されたのだから、当時としては画期的道路であり、橋であったに違いない。最終的な改良拡幅工事は戦後になって施行されたのであろうが、建設業が大規模機械化される前ゆえ、かなりの難工事だったろう。

 この旧道をつづれ折れに下る途中に、現在の橋梁の下をくぐり抜けている、小規模発電所の老朽化した導水管が通っている。小規模といっても導水管の直径は二メートル以上ある。そしてこの導水管の脇を、旧道から川面の方向に降りて行く小道を発見した。発電所へ下りる道とは別のものである。小道の入口がある旧道沿いの一角は、車が五、六台は止められる駐車場(広場)だったらしい。すでに跡形も無いほどに雑草や藪木立に覆われている。その雑草の中に埋った看板がわずかに見えている。消えかかった文字を判読すると「砂知原の湯」と読める。ここには温泉宿が建っていたのであろうか。

 付近を注意して観察すると、その建物らしき残骸(ガラクタ)が木立や竹藪によって隠され、それらをひっくるめるように藤ヅルや葛などが巻き付いて、すでにそこに人家があったことを連想することさえ困難なほどの廃墟になっている。

 下る小道は人一人通るだけの細い小径であるが、こちらもすでに朽ちて、雑草や木立が覆いかぶさり、あちらこちら石垣も崩れている。しかし、かつては住人が通う生活道であったことに間違いはない。急な坂道ゆえ手入れが行き届いて、コンクリートで塗り固めたところも見える。それゆえ雑草や藪に覆われているこの状態でも、山育ちの涼輔(りょうすけ)には、まだ人間一人通れるくらいのスペースは空いているはずだ、と判断できた。彼は崩れ落ちた土砂や石が邪魔をしている小道を、あたかも何かに引き付けられ、導かれるかのように邪魔者を避けながら注意深く下りて行った(二度目の訪問からは、自ら鎌やノコギリでブッシュを刈り取った)。川べりまで下りて行く途中に、崖の陰に寄り添うように朽ちて潰れた家の残骸が二軒あった。発電施設を管理する人たちが住んでいたのかもしれない。老朽化した発電所は小規模ゆえに、維持費が高くつく。廃止される運命にあったのだろう。川はこの辺りで、大きく蛇行している。発電所の放流地点でもあり、この一角だけは川幅がかなり広い。二百メートルほどあろうか。

 それにこの一角は、急峻な小斜面を削って流れ下る小川が集中している地点でもある。三本ほどの小峡谷が集まっている。この川岸を周回するように、一本の歩道が続いている。人が渡れるだけの小さな朽ちた鉄橋も掛かっている。今では廃線になっているが、近年は住居に電気も通じていたとみられる。すでに電柱は傾き、倒れ、断線した電線の残骸が続いている。この先に、かつて人が住んでいたことは確かだ。途中から小道は二手に分かれている。小さな谷川に添って上方に向かうものと、支流(河)に沿って行く小径とである。涼輔は河に添った小径に進路を取った。といっても、事あるごとに流水によって削られるのであろう。不規則な断崖が続いている。道は途切れた所が何箇所もある。人が歩けるスペースを確保するのは大変なことであったにちがいない。断崖の割れ目を利用したり、岩の出っ張りを利用したり、コンクリートで簡易な足場を作ったところもある。一歩間違えば水量の豊富な川に転落して一大事となる。この小径が彼らの日常生活と外界の社会生活とを結ぶ架け橋であったとするならば、この谷の外側の一般社会と彼らが関係を持つということは、命懸けの行為であったにちがいない。この難所を通過すれば、川の水面から十メートルばかり崖の上段に住人の居住地区がある。二、三軒の家族が、ここで生活していたのであろうか。辛うじて家庭菜園ができるほどの、狭い平地が連なっている。朽ちてつぶれかかった藁葺き屋根の人家も見えている。真竹の欝蒼と茂った場所が続いている。人が住まなくなって、繁殖力の旺盛な真竹と藤ヅル、葛などが蔽い茂っている。ここに人が住んでいた頃は、手入れの行き届いた狭い段々畑が続いていたのだろう。住みなれた地を去るに当たって住人が植林をしたのか、ヒノキが植林されているところもある。ヒノキの育ち具合から判断すると、ここに人が住まなくなって、二十年から三十年の歳月が経過しているはずだ。この荒れた耕地群の一角に、藤ヅルや葛に巻きつかれたために枯れ木になった梅畑がある。この梅畑が、人家や庭園らしき場所へと続いていたらしい。この一角だけは他と違って日光がさんさんと射し込んで、明るく開かれた場所になっている。比較的背の低い笹竹に覆われてはいるが、背が高く欝蒼と茂る真竹の襲撃からは免れている。

 涼輔は、ここが山菜の宝庫であることを一見して察知した。彼の山勘が働いたからである。そして翌年の春から彼は、山菜採りに毎年この地を訪れることになる。タケノコ、コゴミ、ワラビ、山ウド、オコギ(ウコギ)、ミツバ、ゼンマイなど。

 中でも狙い目は、コゴミとワラビ。そして少し時期はズレるが、ここから三十メートルほど離れた別場所で取るタケノコである。コゴミもワラビも茎が太く、他所では見られない立派な品物だ。この場所には、今ではだれも来る人がいない。放って置くと,近い将来には、竹や木立、藤ヅル、葛、野イバラなどがはびこり、一面が藪で覆われることだろう。たちまち荒れ放題の自然へと帰って行く。少年時代を自然と共存・一体化して育った涼輔には、そのことが手に取るように分かる。都会でサラリーマン生活をした果てに放浪者となった涼輔ではあったが、豊満な社会状況下で育った現代人には似合わず、幼少時代を過疎化する山中で育ったので、彼の深い体質の奥に自然体験の軌跡が、自然体そのままの健全な姿で残っていた。まだ自然人(生き物)の要素を失ってはいなかったのだ。したがって、そういう自然の事情がよく判っている。その思いに触発されてか、ここを自分の秘密の場所として、いつまでも山菜が取れるように手入れすることを思い立った。そして、訪れるたびにノコギリ、ナタ、鎌などの道具を持参して、これらの藪や竹や木立を伐採して帰るのである。翌年もまた山菜が芽生え、成長出来るようにして置くのだ。

 涼輔がここを今年訪ねたのは、不規則に襲ってくる異常寒波がやっと収まって、例年より一週間遅れの八重桜が咲く頃であった。木々に色彩さまざまな新芽が吹いて、日毎に新緑が鮮やかさを増している。鮮やかな紫色の藤の花が、絡みついたあちこちの木から見事に垂れ下がり、陽光に照らされて、華やかな彩を添えている。今年二度目の来訪である。前回は、たまたま時季外れの寒波に見舞われた後だったので、寒さには特に弱いワラビ、山ウドなどが黒く変色して、うな垂れている。生気を失って全滅状態だった。

家を出てから、ここまで来るのに車を走らせて二時間余、ガソリン代と労力を加えればかなり高い山菜になる。しかし、涼輔には、そのような現実的価値判断をする様子は全く見られない。その日暮らしにさえ事欠くような経済状況にあるにもかかわらず、である。採取して持ち帰った山菜を、自分で料理して季節感を堪能し、知人や縁者に分配して喜ばれれば、それだけが、ここを訪ねる彼の喜びであり、十分に満足であった。

この日も例年通り、地面から出たばかりの柔らかいずんぐりと太いワラビをボキボキ折って、ずっしり重いほど採ってリックに入れた。さらに、コゴミも大量に採って手提げ袋に入れた。ミツバやオコギなども採った。

 それから、手順通り鎌、ナタ、ノコギリを取り出す。竹や木立、藤ヅル、葛、いばら、雑草などを刈り取るためである。いざ本腰を入れて作業を始めると、下着が流れる汗を吸い取って、絞ればしたたり落ちるほど汗を流すことになった。彼はこのところ肉体労働をしていなかったので、たちまち疲れ果てたのである。それでも辛うじて、それなりの作業を終わらせると、あらかじめ用意してあった下着に着換えた。そして、ビニールシートを敷き、木陰に座って、持参したおにぎりを、リックから取り出す。昼食の時間である。おにぎりは、早朝に炊いたご飯に彼自身が梅干を挟んでノリを巻いたもの。いたって素朴なものだ。これが何とも言えず少年時代の郷愁を誘い、旨いのだ。体を動かした後で、自然と一体となって食べる昼食の味。彼にとって、こんな贅沢な味覚は、ここを置いて他には得られない。彼には料理店のどんな高級料理よりも旨いという実感があった。満足感である。間もなく、疲労が高じた彼は、その場で横になって、うとうと居眠りを始める。ほどなく夢の世界に浸かって、どれほど時間が経過したのかさえ、彼には分らなくなっている。どこからともなく聞きなれない声が聞こえてきた。

 「やあ、おいでなんしょ。今年も、手入れしてくれてありがとう」涼輔は、不意打ちを食らって、全身に衝撃が走った。恐る恐る声の方向を振り返ってみるが、どこにも姿は見当たらない。

やっと絞り出すように、とぎれとぎれに「ここの、地主さん、ですか」と、尋ねた。

 「そう、かつてはな。けどな、あんじゃない、あんじゃない(心配することはない)。たしかに、わしはここで生活しておったんじゃが。とっくの昔に放棄してしまったんだに。懐かしい思い出の場所じゃからな。いつでも気ままに訪ねて、来てみるんだがな」

「勝手に入り込んで、自分の土地であるかのような振る舞いをして、まことにすみません」姿の見えない声の方向に向かって、涼輔は丁寧に頭を下げて詫びた。

「なに。もうここは、わしが自然にお返した土地だから構やしない。それに、わしはもうこんな姿になってしまったもんで、ここを手入れすることなんか、できやしないよ。コゴミもワラビも山ウドもオコギ(ウコギ)もタケノコも、元をただせば、わしやわしの先祖が、山から採って来て、家の周りの空地に植えたもんでな。それを野菜として育てたものだに。彼らのことをわしはな、こんなふうに思ってんだよ。今じゃ、山うどやコゴミやワラビなどを、世間では “山菜、山菜”って呼んでるけどな、おそらく古い時代にゃ、野に生えている人間が食べれるもんを総称して“野菜”って呼んでいたんだに。彼らを家の周りに植えて、いつでも手軽に採って食えるように人間の手が加わると、私有権っていうもんが発生するようになったんだに。そうすると、野生のものと人間の手が加わったもんとを区別する必要性が、生じることになるだろう。そこで生まれたことばが「山菜」だったというわけだに。わしは勝手にそう信じておるんじゃ。

わしはな。そういう事情を勝手に信じておるよって、かれらがわしの手元にあったときは野菜だが、手元を離れ、畑や庭がらんごく(荒れほうだい)になって自然化した第二の自然に順応して生育している彼らは、立派に自立した“山菜”として見てるんだに。つまり、わしの手元にあった野菜が、今では再び変身して、山菜に戻って行ったんじゃ。だからな、おまえさんの好きなように、自由に扱ってくれていいんだに。―――ところで、今どき、おまえさんって人は何と孤独な男なんじゃよ!」

 「えっ、―――――。私がそんなに孤独であるように見えますか?」キツネにつままれたとは、こういう状況を言うのであろうか。涼輔は内心、蔭の声の主が自分のことを何もかもお見通しであるように思った。

 「いや、ほういう意味じゃないんだに。ここに来るときのおまえさんは、いつでも嬉々としていなさる。心(しん)から喜んでいるように見えるでな(からね)。だけんな(しかし)、こんな人の気が消えてしまった荒れ地に、ガソリン代も惜しまんで二時間もかかって、やって来るおまえさんのこと考げえる(考える)と、今どき、そんなご仁、どこ探したって居らんに。裏返しにみると、君が人間社会に絶望してるからじゃないじゃろか?とな。涼輔君だったね。何を隠そう、わしはな。そういうおまえさんがなんとも好きなんだに。だから、毎年おまえさんがやって来るのを、いまかいまかと楽しみに待っておるんだに」

 異常な緊張感から、涼輔は解放されつつあった。

 「ご家族は、どうされたんですか?」

 「家族?あんな(あのね)、あの立派な橋を造っている最中の出来事だったんだに。いつも帰っているはずの娘が夕方になっても帰らんかったんな。まだ中学三年生だったに。近在の衆や村中が総出で探してくれたんだが、ようとして行方は解らずじまいだつたんな。ある者は工事関係の若者に凌辱されたという話もあったが、わしはそれを信じなかった。あの夢の橋を渡って、別の世界に消えてしまったんじゃなかろか、ってな。いつも娘は『あの橋を渡って、どこぞ夢の国に行きたい』そんなことを母親と話しておったからな。ところが、それから二週間後、下流のダムの取り入れ口で、水死体としてダム管理人によって発見された。結局、事故か自殺か他殺かは、判らずじまいだったんな。おやげねえ(かわいそうな)ことをしてしまったに。それを苦にした妻は、狂わんばかりに落ち込んで、寝込んでしまった。妻子は以前から、こんな危険な、離れ小島のようなところを捨てて別なところへ行って暮そうよ、と毎日のように言っておったんな。ここで暮らしていた他の家族が、一軒居なくなり、二軒居なくなって、とうとうわしの家だけが残ってしまってな。わしかて、そう思うことはあったんだに。しかし、わしの思い切りが悪うてな。そういう状況下で、事故が起こってしまったんな。そしてな、どうにか妻が歩ける状態に回復したある日、妻もまた、忽然と、ここから消えてしまったんだに。妻はおそらく、あの夢の橋を渡って、本当に別の世界へ行ってしまったのじゃろ。それきり行方知らずよ。今頃どこかで、虚偽で塗り固められた世界で騙したり騙されたりしながら、その日その日を楽しんでいるのかもしれんな。わしはそう思うて、諦めることにしておるんな。今は、そういう文明時代じゃ。」彼は、過去を飲み込むかのように、一呼吸入れた。

「ところで、おめえさんのように、時代に逆行してまで、古い時代の心を求めて生きようとしている人間は、珍奇とゆうか、どえれえ(大変な)生き方を選んでいるとしか言いようがないに。しかし、わしから観れば、きわめて貴重な、愛すべき人間だと思うんじゃがのぅ。―――」

 悲しい内容に似合わず、極めて穏やかな口調が流れていた。

 「お父さんは、その後どんな人生を歩まれたのですか?」

 「わしかな。ははは。ここに一人残ってな。在るに任せて淋しく果てた。そして今のような、自由で自在な姿に変身したというわけだに」

 「その後、奥さんが訪ねて来ることは、無かったんですか?」

 「そう。別れたそのままな。以来会うことは無かったな。きみもよう判っておるじゃろが、女という存在はな。

 絶えず現実を生きておる。滅多なことでは過去に発生した出来事を、しかも未練の情を添えて現在に映し出すなんてことは、何か関連した別事情が目の前に現れない限り、滅多にあることじゃないんだに。おそらく彼女たちにとって、過去の出来事は過去のもんや。未練の情という現象は、男の反省という行為の、置き土産みたいなもんじゃないのかな。むろん、彼女たちにも未練の感情は“思い出”としては現れるだろうが、次々に発生する現実感覚に打ち消されるもんで、深刻に持ち越される度合いは男性よりもずっと少ないんじゃなかろか。わしには、そんな具合に見えるがなぁ。特にわが子を失って、ああいう絶望の状況下で去った女が、ここに戻ることは、まず有り得んに。男と女のDNAは、構造が逆向きだろ?この事実は、私たちの思いをはるかに超えて、きっとどこまでも限りなく影響するんじゃなかろかの。」

 「――――」涼輔にも納得できるところがあった。

 どちらかといえば、男は意識・認識中心の合理的世界に魅せられているところがある。一方、女性は五官(五感)中心の非合理的な感性(感情)の世界が中心らしい。感覚は絶えず現時点で発生するファクターだから、女性は五官が捉える実在対象を中心にして〈絶えず現在を生きる=現実的〉ということになるのであろう。これに対して男性は、過去化する出来事や未来に発生するであろう出来事や夢の世界を、意識・認識として自在に記憶していて、現実的に生きるというよりはむしろ、それらの記憶事実を総合的に引き出して、現在空間に自由に持ち込むことによって、意識的・合理的に自由自在に加工(感覚や感情は、過去の出来事を「思い出」として思い浮かべることは可能であるが、自由に加工すことはできない)する。つまり、虚構性の強い〈自在性〉の世界を生きているようなところがある、と思った。

 「涼輔さん!あの橋をごらんなされ。今あの橋を通過してるもんは、人間じゃなくて、99パーセントが車だに。つまりな、人間は車の付属品のようなもんだに。しかも通過時間は(一、二、三と数えながら)三、四秒ぐらいのもんずら(でしょう)。信濃の側から尾張・三河の側へ越えるのに三、四秒で行けるわけじゃな。わしらの生活場所など、見る間も無く過ぎ去ってしまう。今では、これが当たり前だに。かつては、一旦川が増水すれば、通過できるようになるまで、一週間、十日とここに留まらなければならんかった。むろん、逆にここの住人が、川向うの人たちと関わる場合も、同じことが言えるわけだけど。端的に言えば、当時のわしらの生活場所が、橋ができたこで日常生活から消滅してしまったんだに。つまり、現実的には、俺たちが生活できんようになったということを、意味してるんじゃなかろかなあ!」

 家庭生活の破たんは、橋が懸ったことで必然的に起こってしまった、と言わんばかの口振りのように涼輔には聞こえた。

 「つまり、いつの時代であっても、人間が便利という状況によってもたらされる変革を、良いに付け悪いに付け私たちはどんな事態が来ることになっても、甘んじてこれを受け入れるほかはないということでしようかね」

 「おそらく、ほうだら(そうだろう)なあ。わしゃな、ここから、いつもあの橋、眺めていて思うんじゃが、あの橋を渡っているもんが何なのか、ついには分らんようになってしまうんだに。朝早い時間の交通量のほとんど無い時などはな。夜の沈み切った橋の両方向の暗い世界が、同時につながるように思うんだに。ほんでな、二つ世界が明るい世界へ開かれて行くように感じるんな。またひっきりなしに両方向から車が通り過ぎるのを見ると、あそこを渡って行くのは、きっと無限に進化した情報の洪水じゃなかろうか、と思うことがあるんだに。またある時は、世界の果てと果てとを繋いでいるのが、あの橋じゃないだろうか?と思うこともあるんな。いや、いや。宇宙の果てと果てとを繋いでいるのは、たしかにあの橋にちがいない!とな。かつてわしらが生活しとった場所は、どんどん小さくなって、すでに私の内では点にもならん空間になろうとしていたんだに。そんなときに、君が現われたんだに。たとえ一時にしろ、嬉しいじゃないか。わしは娘の婿だと思うことにしてるんだにぃ」

 念を押すように言うと、一呼吸入れた。何らかの間を取っているかのような時間が流れた。

「さてと、今日のところは、わしは、これでさらばじゃよ。来年も必ずおいなんよ(来て欲しい)わしゃな、いつまでも待っとるに」

涼輔には、背中の血の気が引くような、通常経験したこともない不思議な感覚に襲われた。すると突然、現実的ないつもと変わらぬ馴染み深い世界が、眼前に現われた。彼は内心、自分自身が魂の抜け殻のような、現実の風景には似合わない存在であることに気付いた。

 それでも彼は、山菜がずっしり詰まった目の前に置いてある重いリックを、何かに急かされるように背負い、両手に重い手提げ袋を提げて、フラフラと千鳥足で、魂がまだ戻らぬままの異様な感覚を引きずりながら、帰路に就いた。                                               (了)





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