『群系』 (文芸誌)ホームページ 


平成の時代と文学    永野 悟 (8p分)

                           (「群系」22号所収)−ネット版横書き


 「あ、という間ではなかったか。平成二〇年を迎えるのが、である。大正の一五年より、長い年月を重ねたのである。だが、わたしたちは、われわれがいまどんな時代を生きているのか、どういう方向へ向かっているのか、わからない。この年月を自覚できていない。何がなんだかわからないままに、日々を重ねた。昭和の終焉はドラマチックだった。だがその後の世界史の展開に目くるめいたのか、東欧・ソ連崩壊、その後の湾岸戦争まではいいとして、なにやら国内は微妙な空気であった。消費税導入以後、バブル崩壊の付けか、住専だの、大手銀行への公的資金注入だの、そのうちあれよあれよの間に国家の累積赤字が何百兆だとかいわれるようになった。そのかんにオウム事件があり、阪神大震災があった。それに対する抵抗とか、運動とかはあったのか。若者はかつてのように時代に対抗的ではなくなり、折りからのIT情報革命に乗じたり、逆に不況にあえいでネットカフェ難民になるのも出た。思想はなくなり、経済格差は当然となり、学問は制度化し、マスコミは自ら社会の木鐸たることを排した(朝日夕刊から「文化」欄がなくなった)。人々は、何も信用しなくなっている。本来あってよい権威も、英雄も、ない。シニシズムだけが人々を覆う。―」


  以上は、「平成」とはどんな時代か、特集のために書いたアピール文である。この二〇年とは、われわれが生きてきた時代である。だが、書いたように、今までとは確かに違うとは感覚していても、「昭和」のようにはこれという表現をつかみえていない。折りしも情報化時代であるが、却ってその洪水≠ノ翻弄されるばかりであった(特にマスコミの影響は度し難い)。二〇年の節目を迎え、手がかりとして「文学」はどういうことを書いてきたのか、一度瞥見するしかないと思うようになった。

 それで、先に「芥川賞この十年」を特集して、現代文学の表層をでもとりあえずみてきたのではあった(十七号。平成一六年)。だが、あたかも消化しがたい、うまくないものをあえて噛むような、苦い後味が残るようであった。そのとき、賞に漏れた大事な作家・作品があるのではないか、の意見が出た。たしかに村上春樹・吉本ばななはじめ、島田雅彦・増田みず子、高橋源一郎、車谷長吉・山田詠美にしろ、芥川賞は受賞していない。日本文芸家協会の前会長・黒井千次もその例であり、阿部和重もしばらくは受賞の栄に浴しなかった。いまはやりの中原昌也・舞城王太郎・赤坂真理・鹿島田真希・島本理生、あるいは西村賢太、田中慎也なども受賞していない。

 むろん芥川賞などは、一つの指標にすぎなかった(それも新人に限った)―。かつての石原慎太郎や大江健三郎の受賞のような、時代性を持ったものであるとは限らない、という当然の事実にあとで気づいた。実際、時代の重要なメルクマールになったのはむしろ非受賞作家の作品(例えば、村上春樹「風の歌を聴け」七九年、であり、島田雅彦「優しいサヨクの嬉遊曲」八三年であったろう)、受賞作家でもむしろだいぶ経って問題作品を書いた例もあろう。賞≠フような手軽な指標でなく、重要な作家・作品をもっと総合的にみる手立てはないのか、と考えて図書館で目にしたのが『文藝年鑑』であった。

 毎年刊行のこの『文藝年鑑』(日本文芸家協会編)には、さまざまな文芸ジャンルのレビューが掲載されていた。そのうち、冒頭の文学《概観》が目に入った。毎年、文芸評論家や研究者が輪番で担当し(大体二年交替)、六千字ほどでその年の文芸作品を取り上げ、寸評しているのである(論評は、刊行年の前年が対象になる)。特集と自身の勉強のため、そのうち平成年間にあたる部分(一九八九年〜二〇〇七年)をコピーし(後で打ち直し)、概要をつかむことにした。


 大事なのは取り上げられる作品・作家以上に、時代状況、文学の役割への各執筆者の問題意識である。重要な指摘はそれぞれあったが、特にここで取り上げたいのは平成九年(一九九七年 担当・菅野昭正)の項であった。

 菅野はその年二つの象徴的な事件があったとして、神戸のA事件と、有力な金融機関の倒産をあげ(いわゆる「酒鬼薔薇聖斗」事件と、山一證券の倒産である)、「長いあいだ変容の機会に眼をつぶりつづけた政治・経済・社会のシステムが、現在の新しい事態にたいして有効に対応できないという事実は、誰が見てももう覆いがたいものになっている」と書いた。


 システムの機能不全は、平成二年(一九九一年)十月のバブル崩壊(日経平均が二万円割れ、九ヵ月で半値に反落)以来、住専処理(平成八)、同年の薬害エイズ問題、新世紀に入ってからの大手銀行への資本注入(公的資金)など「新しい事態に有効に対処しえてない」、まさにこの国の迷走の結果であり、このことは社会(大人社会)の人心の劣化をも示していよう。だが、もう一つの神戸の少年A事件の方は、さらに深刻である。単に猟奇的な犯罪ですまされない、「もっと奥深い不気味なものが沈殿している」として、菅野は次のように言っている。


 「事件が突きつけたのは、現代の社会がそうした土壌に隠しようもなく侵蝕されているという事実証明である。驚愕、不安、戦慄が異常なまでに高い水準に達したのは、あらためてその事実を告げる告げかたが、およそ予想もつかない凶暴で無残なものだったからだとも言えよう。残酷な無償の暴力への嗜欲が、若い世代のなかにひろがるのではないかという予測が、ひとびとの困惑をいっそう拡大した面もあるだろう。


  この後、実際平成十一年には池袋と下関で通り魔事件があり、同十二年には西鉄バス乗っ取り事件、同十三年には大阪池田小学校で児童八人殺害、同十五年には長崎で幼児殺害(中一)、最近では今年三月での土浦での八人殺傷、岡山での駅からの突き落とし、六月のアキハバラ事件(七人殺害)が起こって、「残酷な無償の暴力への嗜欲が、若い世代のなかにひろが」っている例を示した。

 『暴力的な現在』として、こうした時代の文学のありようを論じたのは井口時男氏(平成一八年 作品社)であったが、そこでも取り扱われているように、確かに、文学においても暴力的¥況は平成年間において、顕著になったともいえるようだ。

 芥川賞で私見をいえば(若い作家という意味で)、平成八年下半期受賞の辻仁成「海峡の光」は、少年時に受けた暴力の復讐劇だし(刑務所の中)、同十年の上半期授賞の花村萬月「ゲルマニウムの夜」も同様に閉鎖空間におけるめくるめく暴力とセックスの描写が続いた。同時受賞の「ブエノスアイレス午前零時」の藤沢周も暴力を主としたハードボイルドの作家といわれた(いわゆる「J文学」作家として、前時代の作家と一線を画した)。同十二年上半期の松浦寿輝「花腐し」も陰気臭が隠せなかったし、同十五年上半期の吉村萬壱「ハリガネムシ」は、暴力とセックスそのものだった。同年下半期の若い女性二人のうち、金原ひとみの「蛇にピアス」は肉体を傷つけることで自己確認を見出すものであったし、同十七年上半期の中村文則「土の中の子供」も養親による虐待、さらに土の中≠ノ埋められるいじめ体験はまさに凄絶ともいえる。さらに芥川賞には落選した中原昌也(三島賞受賞)は暴力とセックス(オナニー)が素材でないものはないくらいだ。「家族シネマ」(八年下半期)で受賞の柳美里は、神戸事件に衝撃を受けて横浜を舞台にした「ゴールドラッシュ」(平成十年)を書いた。

 一瞥に過ぎないが、正統的な近代文学研究者の対象作家である?外・漱石・芥川・堀、あるいは藤村や、荷風・谷崎などには見られないテーマ・素材であろう。こうしたことは従前とは違う質のものといえる。

 「いじめ」という言葉が言われ出したのは、一九八六(昭和六一)年の「中野富士見中学いじめ自殺事件」(葬式ごっこ)が先駆けのように記憶するが、陰湿ないじめは、現代に不可避の病いなのか(文学作品においても、先の辻「海峡の光」はそれへの復讐劇だったし、「土の中の子供」の作者は銃≠ナ護身するに至る―中村文則「銃」平成十五年。また山田詠美「風葬の教室」昭六二は、いじめの醸成を描いた先駆けといえる)。

 「いじめ」「暴力」―。かつてもそれらがなかったのではあるまい。しかし、現代のそれは従前のそれと違い、陰湿で、かつ主体的な責任で行なわれるものではない、いわばゲーム≠フようなものといわれる。かつてと行動・思考が違う若者たちの出現、それは、昭和/平成の交替期における二つの事件で象徴される。一つは平成元年八月逮捕された「幼女連続殺害事件」。その犯人とされたMこそは、物事に関心を示さず、異常にある一事にだけ関心を示す(新人類≠ニいわれた)。また今一つは平成元年一月に発覚した女子高生コンクリート詰め殺人事件であった。未成年による今までとは異種の犯罪として、人々を震撼させた。

 『文藝年鑑』に戻ると、こういう時代状況の指摘はそれぞれあり、昭和終焉以降の冷戦の終結、湾岸戦争など、状況に対する哲学も含めた認識を示すのも多かった。その中での小説の位置、不振、文学の停滞をいうのも目立った。中でも九五年(平成七年)の阪神大震災を契機に文学のなしうる限界を指摘するのも多かった(年度担当の松原新一は、状況を述べるあまりに、ついに年度の収穫たる作品名をあげずに終わった)。が必ずしも悲観論ばかりではなく、日本語の役割、小説の可能性を追求するのもあった(小森陽一・安藤礼二など)。

 だがここではそれら内面からの見方はひとまずおいて、時代の概観を別面から考えてみよう。


 大澤真幸『不可能性の時代』(2008・4 岩波新書)はいま、「平成」の時代とその由来を考えるに好個なヒントを与えてくれる。

 大澤の同時代把握で明確な輪郭であるのは、敗戦以来の時代を「理想の時代」「虚構の時代」「不可能性の時代」と名づけていることだ。すなわち一九四五〜七〇年までが「理想の時代」、七一〜九五年を「虚構の時代」。そしてそれ以降を「不可能性の時代」としている。

 最近昭和レトロ≠フブームである。それは他ならぬ理想の時代≠ヨの郷愁であろう。戦後からの時期、貧しくても、夢や希望があった。それは昭和三〇年代の東映時代劇であり、日活のヒーロー物、あるいはTVであろう。アメリカのホームドラマであれ、子供向けの連続活劇ドラマであれ、歌番組であれ、そこには夢と希望があった。数々に家庭に入ってきた家電製品もふくめ、高度成長≠フ経済が夢(理想)を支えていた。だが、一九七〇年という年にそれは頂点迎え、以降変質が始まる。いうまでもなく、同年三月に始まる大阪万博(三波春男の歌)がその頂点であり、そうした昭和元禄≠ノ虚偽と頽廃をみた三島由紀夫の自決(十一月)がその変質への転換と見ることもできよう。翌七一年から成田空港建設の強制代執行が始まり、その翌年の七二年には「連合赤軍事件」が起こった(浅間山荘事件は何夜もTV放送されたし、発覚されたリンチ殺人事件は新聞で連日報道された)。これは、夢(理想)の崩壊以外の何物でもない。六八年の学生叛乱はまだ「理想の時代」に属していた(と大澤はいう)。だがその敗北∴ネ来、左翼は内部抗争(内ゲバ=jの時代に入る。(その仲裁として、埴谷雄高が発言もしたが、効果もなかった)。七三年にオイルショック、買占めの騒動が起こり、以降この国は安定成長=i消費社会)に入った。七六年にロッキード事件(田中逮捕)が発覚、以降テクノロジーの進歩にまぎれて、脱思想傾向になりその点でも理想の消失が顕著になった(桐山襲「風のクロニクル」は六〇〜七〇年代の学生叛乱の回想めいたものだが、時が経て、左翼運動の窒息状態のこの時代を「暗黒の八〇年代」と呼んでいる。が桐山は九二年に逝去した)。 

 この時代を「虚構の時代」と呼ぶのは、いまいったように、夢(理想)の喪失と表裏していよう。若者は、資本主義の欺瞞に対抗するものを持たなくなった。希望を持たなくなった。かといって現実に甘んじるのでもない。折からのIT情報革命に乗じて、アニメやコスプレなど、虚構≠フ世界に身を託するようになった。「オタク」という時代を象徴する若者が現れるようになった。数々のTVアニメが注目された(中でも「新世紀エヴァンゲリオン」「美少女戦士セーラームーン」など)。ITだけでなく、遺伝子技術の発展から、クローン羊が生まれた(九七年。英国のドリー=j。

 この「虚構の時代」の象徴例として、大澤はディズニーランドを挙げる(八三年開園)。それは「ファンタジーランド」を初め、現実を感じさせないように隅々まで意匠を凝らした、文字通り虚構≠フ空間であった。そしてこの時代に生まれた作家の典型として彼は、村上春樹をあげるのであった(理想≠ヨの懐古としての「風の歌を聴け」以来の作品。特に「羊の冒険」など)。 

 混迷の中ポストモダン、脱イデオロギーがいわれだした。しかし、それを担う若いインテリたちの文体には、何か従前にないけれんのものがあった。先の井口時男氏は「自信に満ちた断言体」と評し、そこに「颯爽として不遜」なる何ものかを見出している(『批評の礼節について』(九二年「群像」新年号)。


 だがその「虚構の時代」も終わる時代が来る。一見のっぺらに見える平成≠フ時代であるが、誰でも記憶に残る年、それが阪神大震災(一月)、地下鉄サリン事件(三月)の起こった一九九五(平成七)年、である。この年で、国民にも潜在的なこころの中で何かが弾けた。すなわち、「安全神話」の崩壊であり、信頼の瓦解である。国家も会社も信用できない(折から、リストラ・倒産の時代)ようになってきた。そして九七年(平成九)年の金融機関の破綻、神戸の少年犯罪である。確実に従前とは違う風景が出来してきたのである。

 この時代を大澤は「不可能性の時代」と呼ぶが、この不可能性≠ニいう概念は前の二つとは異質で、ちょっとつかみがたい。大澤のいうところを、自分なりに素描してみたい。

 そもそも「理想(の時代)」とか「虚構(の時代)」は、「現実」に対するアンチテーゼであった。「理想」は非現実だが、それを求める方向性にある。「虚構」も非現実だが、それに背を向けている。だが、現代は、「理想」「虚構」に幻滅したのか、「現実」回帰が顕著であるという。うそでないほんとの自分、自傷行為(リストカット)は、夢や仮構から目覚めた現実の痛々しい例であろう。暴力は現実の中の現実への密着したい衝動である(その点、暴力が頻出する現代の小説は、現実回帰ともいえる)。実際、テクノロジーの装飾もあって事態は多様に見えるが、根本には一元的な価値観(現実)に貫徹されている(こてこての現実意識)。

 オウム真理教がそうした現実回帰を促した、という。オウムは信じがたいほどの現実志向であった。一流大卒の信者がわき目もふらず、事態の実現を信じた(真理への執着)。覚えている人も多いだろうが、杉並から衆院選に立候補して、「しょーこう、しょこ、しょこ、しょうこう」と連呼したオウムの運動員(信者)は麻原彰晃が落選したとき、ほんとうにしょげ返っていた(受かるわけないのに)。教義にあるハルマゲドン(世界最終戦争)は現実志向の極致だという(一見、漫画にしか見えない事象を一流大理系卒の信者は現実=真実、と信じた)。

 「不可能性」とは、おそらくそうした現実回帰の方向があるにもかかわらず、それが出来ない、という実態をいっているのであろう。大澤は、「他者」の概念を用い、例えば、オタク≠ルど他者志向が強いという。せつないほど他者を求めているのに、ほんの少しの違いで斥力を感じる。いとしいほどの愛の実現を求めているのに、それが実現化しない。「虚構」に満足できなくなった世代は、実現(本当)を求めるのは自然の方向だろう。携帯電話の普及がそれを促した。マンガ誌をそっちのけにしての、リアル待望(誰かがメールしてくれないか)。

 もとより、人間社会は他者との出会い・関係性のことである。だが、マグドナルドのほほえみはただ≠ニいうマニュアルのうそを見透かしてしまった、本物の愛への希求は、ともすればラジカルに走らざるを得ない。アキハバラ事件は自分を認めてもらいたいあまりの、現実衝動であった。また愛する男女がその親を殺害するケースも、純愛のリアルには、親という媒介項は不要であったのである。


 この「不可能性の時代」という名辞は、「終焉」という言葉と呼応してもいよう。もちろん、これは、「歴史の終焉」として使われ、米国政治学者・フランシスフクヤマの著作名(一九九二年)に由来するが、確かに、昭和の終焉とともに継起した世界史的な変動は、東西冷戦という二項対立≠も解消してしまった。リオタールが『ポストモダンの条件』でいったところの大きな物語の終焉≠ェ政治の表現場で現れた。もはや、次に現れるものは不可知でしかない。「世の中頑張って努力すれば必ず報いられる」、あるいは「歴史は進歩する」、などのような、進歩史観≠ヘ終焉を迎えたのであった。行く手は不透明で、不可知であり、不可能性とされた中、何をめざせば、いいか。


 そういう中、川西政明『小説の終焉』(2004.9 岩波新書)は、終焉の意味を説き明かしてくれている。T章のタイトルだけでもあげたい。「私の終焉」「家の終焉」「性の終焉」「神の終焉」―。私の終焉≠ニいういのは、近代文学がいままで不羈のものとしていた「近代的自我」の消滅をいっている。あらゆる観念・制度が瓦解した。露呈したものは、現実≠ナしかない。「現実」に即するということはいままでの「現実から」の逃避ではなく、「現実」への投げ入れ、投企(投機ではない)を意味しよう。これは、刷新の考え、チェンジの考えである。現実の新たな読み替えが必要である。今までの制度・思考(言語の体系)にアンチした、新たな表現が求められている。



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【参考】

『文藝年鑑』年度担当者の推薦作品

左論文巻末添付

年度別の推薦作品≠ナす。( )内は、推薦評者。



89年(川村湊)

古井由吉「仮往生伝試文」、

高井有一「夜の蟻」、

大江健三郎「人生の親戚」、

中上健次「奇蹟」。



90年(野口武彦)

日野啓三「どこでもないどこか」

(短篇集。大東京を舞台にした黙示録的世界、

静寂的な腐食音)




91年(野口武彦)

奥泉光「葦と百合」「暴力の舟」

(70年代思想の総括。60年代の急進主義に対し

70年代は原理主義、ともに80年代のポストモダン

の前提だった)。



92年(菅野昭正)

村上春樹「国境の南、太陽の西」

(表層の快適とは裏腹の内側の空虚。恋愛の悲傷

に酔いがち)。



93年(菅野昭正)

遠藤周作「深い河」

(心の奥に厄介な重さを抱えた人物。なぜインドが

舞台かを考えさせる)



94年(松原新一

丸谷才一「不思議な文学史を生きる」

(農民的土俗主義と左翼的ブルジョワ思想で、日本

のモダニズムはひどい目にあってきた。高度成長下

を描けなかった)。



95年(松原新一)

大震災・サリンの現実が突きつけた課題があまりに

大きい。文学の試練のとき(作品名はなし)。



96年(菅野昭正)

金石範「火山島」

(分断された国家の動乱の季節を考えられる限りの

規模で描いた)。



97年(菅野昭正)

村上龍「イン・ザ・ミソスープ」、

阿部和重「インディビジュアル・プロジェクション」

(ともに、現代的な無償の暴力の尖端を表現し

ている)。



98年(川村湊)

笙野頼子「説教師カニバットと百人の危ない美女」、

町田康「人間の層」「屈辱ポンチ」

(ともに言葉や文字の浮遊感覚がある。無償言語

による時空間創出)。



99年(川村湊)

江藤淳「妻と私」「幼年時代」

(同世代の石原慎太郎、大江健三郎の仕事の

比較)。



00年(小森陽一)

飯嶋和一「始祖鳥記」

安岡章太郎「鏡川」「流離譚」

(歴史のフィクションに対する小説の想像力)



01年(小森陽一)

リービ英雄「日本語を書く部屋」、

金石範「満月」

(「日本文学」から「日本語文学」への道筋品)。



02年(沼野充義)

高村薫「晴子情歌」、

平野啓一郎「葬送」

村上春樹「海辺のカフカ」

(収穫の多い一年。大作)



03年(沼野充義)

池澤夏樹「静かな大地」

(郷里淡路から逃げ去るように北海道に渡った

侍一家の歴史)。



04年(川村湊)

川西政明「小説の終焉」、

綿矢りさ・金原ひとみ

(旧い小説の終焉と新しい小説の登場。

その対比)



05年(川村湊)

絲山秋子「ニート」、

角田光代「エコノミカル・パレス」

(ニート文学)、

角田光代「対岸の彼女」、

絲山秋子「沖で待つ」

(会社や社会を描く。非ニート文学)。



06年(安藤礼二)

小川洋子「 ミーナの行進」、

川上弘美「真鶴」

(見事に構築された物語空間。一つの達成)。



06年(安藤礼二)

川上未映子「わたくし率イン歯―、または世界」、

中原昌也「ユートピア2010」

(私≠フ自同律の世界を克服、主語のない世界

での言葉の闘い)。






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  (22号特集アピール文)


  『文藝年鑑』掲出 平成年間の作家と作品