『群系』 (文芸誌)ホームページ 


菊田義孝さんの思い出


 同人だった文芸研究者・菊田義孝(1916-2002)さんは、本誌の創刊以前からの仲間で、14号まで投稿されました。仙台出身でしたが、戦前から東京に住み(戦時中一時、故郷に疎開)、立川・羽衣町には管理人らもよくうかがったものでした。バブル直前の1986年5月に東京を引き払い、仙台に引っ越しされました。管理人ら同人も一度だけ、御地にうかがい近くの松島付近に遊びましたが、2002年7月、その仙台市岩切の自宅で逝去されました。86歳。その思い出の写真を預かっていましたので、旧版のHPを引き継いで採録します。

         

 仙台の書斎にて(東京・立川に40年以上住んで、生まれ故郷の仙台に移り住んだ)


   

    1979年6月の『人間脱出・太宰治』論の出版記念会(京王プラザホテル)

    左から、文芸評論家の本多秋五・奥野健男氏。母校の友人二人。

    挨拶する桂英澄氏(太宰治門下の一人)








   同人との思い出のスナップより



   

     松島に遊ぶ 1991年8月

    左から、安宅夏夫氏、菊田義孝氏、永野悟(管理人)


   

  菊田氏と永野  松島と近在の瑞巌寺に寄った。(多賀城の遺跡も見ました)



   


    東京・杉並の井の頭線・富士見ヶ丘駅で

 

      「ロータリーの友」出張校正で。左は、デスクの別所直実氏



   


 野口存彌著『大正児童文学』出版会で。 1994年12月出版クラブ会館

 左から、永野悟、菊田義孝さん、野口存彌さん、長谷川泉先生



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  菊田義孝氏の「木山捷平」論について(「群系」16号収載)


  追悼菊田義孝氏(「群系」15号収載)



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立川の自宅でのスナップ

(生業は、書籍の校正)





菊田さん、野口存彌さん中心でやっていた同人誌




7号には、ご子息の死をテーマとした創作

「パッション」を寄せた。




芸術至上文芸研究会のシンポジウムで。

森安理文氏(左)と。1977年7月






過去のアルバムから





明治大学文芸科の学生の頃




神田すずらん通りで(粋な帽子姿)



仕事場で(校正室)





       東京・立川市羽衣町の家で(昭和35年前後か)。

      両端が菊田義孝夫妻。左二人目は長女苗子さん(求君の姉)

      皆の後ろに玄関があり、右に八畳の居間、その右(写真手前、

      濡れ縁の所)には奥さんのよくいた部屋があり、その奥(写真

      右方手前)に台所があった。玄関の左の窓のある部屋は三畳

      ほどの部屋。学生在学中に亡くなった求君(管理人の同窓生)

      の勉強部屋だったそうで、窓から視た風景を描いた彼の詩が

      ある。     (遺稿集 『反逆と愛のはざまで』 P134〜137)。





     昭和三十年頃 立川市羽衣町の自宅前の庭で、ご家族と(後ろの屋根は井戸)。


         左から長女苗子さん、義孝氏、長男求君、奥さん千代子氏