『群系』 (文芸誌)ホームページ 

【明治文学年表】 新聞・雑誌の創刊、出版社の創設



                                           日本近代文学年表 小田切進編 1993年刊

                                            * 赤字は、今回特集の注目雑誌・出版社


1868明治 元年 中外新聞(柳川春三)創刊

1869明治  2年

1870明治  3年 横浜毎日新聞創刊〜昭和15年

1871明治  4年

1872明治  5年 東京日日新聞創刊(毎日新聞)〜

1873明治  6年 明六社設立。翌年明六雑誌創刊〜明治8.11

1874明治  7年 読売新聞創刊〜朝野新聞(成島柳北ら)創刊〜明治44

1875明治  8年

1876明治  9年 中外物価新報(日本経済新聞)創刊〜

1877明治10年

1878明治11年

1879明治12年 朝日新聞創刊(大阪で創刊)〜

1880明治13年 六合雑誌(キリスト教誌)創刊〜大正10・2

1881明治14年 信濃毎日新聞創刊〜

1882明治15年 時事新報(福沢諭吉)創刊〜

1883明治16年

1884明治17年 都新聞創刊〜昭和17年10月

1885明治18年 我楽多文庫(研友社)創刊〜明治22年

          女学雑誌(厳本善治ら)創刊〜明治37年2月

1886明治19年  やまと新聞〜昭和19年4月

1887明治20年 博文館創業(大橋佐平)

           反省会雑誌(後の「中央公論」)創刊〜31.12

1888明治21年 朝日、東京進出→東京朝日新聞創刊〜

                    日本人(三宅雪嶺)創刊〜39.12

1889明治22年 新小説(春陽堂刊)創刊〜大正15.11

          風俗画報(春陽堂刊)創刊〜大正5.3

1890明治23年 国民新聞(徳富蘇峰)創刊〜昭和17.10

1891明治24年 早稲田文学(逍遥主宰・第一次)〜31.10

           大阪文学(宇田川文海)〜25.2

1892明治25年 万朝報(黒岩涙香)創刊〜昭和15.10

1893明治26年 文学界(藤村・透谷ら)創刊〜31.1

                    北国新聞創刊〜

1894明治27年 報知新聞創刊〜

1895明治28年 太陽(博文館)創刊〜昭和3.2 

           帝国文学(帝国文学会)創刊〜大正9・1

1896明治29年  新声(文芸誌 佐藤義亮)〜37.6

1897明治30年  河北新報(宮城県)創刊〜

                    労働世界(のち「社会主義」片山潜)〜38.11

1898明治31年  東京独立雑誌(内村鑑三)創刊〜33.7

1899明治32年  中央公論(「反省会雑誌」改題)創刊〜

1900明治33年  明星(一次)〜41.11

1901明治34年  女学世界(博文館)創刊〜大正14.6

1902明治35年

1903明治36年  近事画報(画報誌)国木田独歩偏)創刊〜40.3

                    平民新聞(週刊誌、堺利彦ら)創刊〜38.1

1904明治37年  新潮(文芸誌 佐藤義亮)創刊〜

                     田山花袋、博文館から派遣従軍3月23日

1905明治38年  婦人画報(婦人誌・独歩ら)創刊〜

1906明治39年  早稲田文学(二次・島村抱月編)〜昭和2.12

                   文章世界(花袋編・博文館)創刊〜大正9.12

1907明治40年  新思潮(第一次小山内薫編)創刊〜41.3

1908明治41年  「早稲田文学」で自然主義特集

                     少女の友(実業之日本社)創刊〜昭和30.6

1909明治42年  スバル(啄木・吉井勇・平野万里編)〜大正2.12

                    漱石満韓旅行 朝日に文芸欄 伊藤博文暗殺

1910明治43年  白樺〜大正12.8  

                    三田文学(第一次)〜大正14.3

                    新思潮(第二次 谷崎潤一郎ら)創刊〜44.3

1911明治44年   少女画報(吉屋信子「花物語」掲載)〜昭和17.4

                    青鞜(平塚らいてう・伊藤野枝ら)〜大正5.2

1912明治45年   婦女画報(泉鏡花・小栗風葉ら)創刊〜大正12.9

                     奇蹟(広津和郎・舟木重雄ら)創刊〜大正2.5

1913大正 2年  岩波茂雄が8月岩波書店開業

1914大正 3年   新思潮(第三次 久米・有三・芥川ら)2月〜9月

                     新潮社 新潮文庫発刊

1915大正 4年   卓上噴水(朔太郎・犀星・暮鳥ら)創刊3月〜5月

                     白水社創業〜

1916大正 5年  婦人公論(中央公論社)創刊

                     感情(犀星・朔太郎ら)創刊〜大正8.11

1917大正 6年   面白倶楽部(大日本雄弁会講談社)〜昭和2.12

                     新小説 漱石追悼特集号

1918大正 7年   赤い鳥(鈴木三重吉主宰)創刊〜昭和11.10

                     早稲田文学 島村抱月追悼号

1919大正 8年  改造(山本実彦ら)創刊〜昭和19.6、21年〜30年

                      金の船(のち「金の星」雨情・沖野ら)昭和4・7

1920大正 9年  新青年(森下雨村、横溝正史・博文館)〜昭和25.7

1921大正10年   種蒔く人(土崎版小牧近江・金子洋文)2〜4月

                     種蒔く人(東京発行)創刊〜大正12.10

1922大正11年  コドモノクニ(和田古江編・東京社)創刊〜昭和19・3

                     令女界(宝文館)創刊〜昭和28.9

1923大正12年  文芸春秋(菊池寛)創刊〜

            白樺終刊8月(7月9日有島、波多野秋子心中)







 トップへ 


 「群系」31号特集アピール。要項ページへ


 明治文学作品(東京都江戸川区立図書館蔵書)のページ

 

 明治文学研究書(主だった研究書・評論など)のページへ


 明治・大正期の新聞・雑誌、出版社の年表 このページ





  


 






  
用語解説Wikipedia他より)




時事新報


 時事新報(じじしんぽう)は、かつて存在した日本の日刊新聞の名称である。1882年(明治15年)3月1日、福澤諭吉の手により創刊。その後、慶應義塾大学及びその出身者が全面協力して運営した。戦前の五大新聞の一つ。創刊に当たって「我日本国の独立を重んじて、畢生の目的、唯国権の一点に在る」と宣言した。

現在も会社組織(株式会社時事新報社)としては存続しており、産経新聞社のもとで「時事新報」復刊を目指している (後述参照)。



博文館

 博文館(はくぶんかん)とは、東京都の出版社。明治時代には富国強兵の時代風潮に乗り、数々の国粋主義的な雑誌を創刊すると共に、取次会社・印刷所・広告会社・洋紙会社などの関連企業を次々と創業し、日本最大の出版社として隆盛を誇った。





春陽堂

 株式会社春陽堂書店(しゅんようどうしょてん)は、日本の出版社。

1878年(明治11年)、神田和泉町での本の小売商売に始まるといわれる。当初、岐阜県出身の創業者・和田篤太郎は本を背負っての行商もしたが、やがて芝・新桜田町に小さな書店を開き、1882年(明治15年)頃から出版に手を伸ばす。

1884年(明治17年)、京橋区南伝馬町に移転。翻訳書籍を数多く出版し、後に夏目漱石、芥川龍之介など明治?大正期の文豪の作品も出版する。明治30年代から大正にかけて、『中央文学』や『新小説』などの定期雑誌も刊行、尾崎紅葉、幸田露伴、森鴎外ら多くの文壇人に頁を提供した。

また、この時期、洋風の印刷・製本技術が流布し書籍の形態も著しく変化したが、和田篤太郎はとくに木版画を好み、書籍の充実を図るために専属の摺師を置いて力を注いだという。当時の春陽堂の書籍は、絹地に木版を施した豪華な表紙や函が人気で、竹久夢二らの装幀も美しい木版画で彩られた。

 山手樹一郎や城戸禮をはじめとする戦後の大衆文学も多く世に出している。種田山頭火、尾崎放哉、金子みすゞなど、詩歌関連書も発行している。




新小説

 文芸雑誌。明治22年(1889)1月、饗庭篁村(あえばこうそん)らにより創刊、いったん中絶、同29年7月、幸田露伴の編集で再刊。昭和2年(1927)1月「黒潮」と改題、同年3月春陽堂発行。夏目漱石の「草枕」や田山花袋の「蒲団(ふとん)」など、多くの名作を発表した。







風俗画報
                                                                   

 明治・大正期の風俗雑誌。東陽堂発行。1889年2月創刊,1916年3月廃刊。通巻478号。号数外の増刊を含む総冊数は517冊。西欧のグラフ雑誌の影響を受け,はじめ主として石版画,のちに写真版が挿入された四六倍判の雑誌で,日本で初めて誌名に〈画報〉の文字が使われた。




太陽(博文館)

 太陽は、博文館が、1895年(明治28年)1月から1928年(昭和3年)2月まで、計531冊発行した、日本初の総合雑誌。大正デモクラシーの世相に乗り遅れて、廃刊した。






近事画報(のち、「戦時画報」)
 

 国木田独歩が創刊したグラフ誌。当初は『東洋画報』。が6号目から『近事画報』と名を変え、版元も変って、グラフ誌らしい体裁を整えていく。『近事画報』は2号から全国各地で写真を撮って編集部に送る「特別通信員」制度がはじまっており、3号に「満韓最新全図」の折り込み付録と、朝鮮で撮影された写真が多数掲載されている。日露戦争の開戦は翌1904年だが、独歩は戦争の気配を察してビジュアルなページ構成で読者の興味を惹きつけたのだった。

 戦争の火ぶたが切って落されると、戦争雑誌の創刊ラッシュが起きる。近事画報社にとっても日露戦争は「経営を軌道に乗せる千載一遇のチャンス」となったのだが、「そこでの独歩の動きは素早かった」。画家を戦地に派遣して臨時増刊『戦時画報』を出すことを発表。この臨時増刊号は月3回発行されて本誌のペースを上回り、日露戦争中はずっと『近事画報』が『戦時画報』と名を変えて出しつづけられる。「戦時」をビジュアルを伝える「画報」というイメージが、大衆にとっていかに新鮮だったかがわかるだろう。





文章世界 

 文芸雑誌。1906年(明治39)3月〜20年(大正9)12月,博文館より刊,通巻204冊。終刊後,21年1月から《新文学》と改題し続刊したが,翌22年12月終刊。この雑誌は投書雑誌《中学世界》(1898年9月〜1930年5月)に寄せられる原稿が多くなったので,田山花袋が主筆になり前田晁(あきら)(木城)と,やや専門化した投書雑誌として発刊したもの。のち,《早稲田文学》や《趣味》(1906年6月〜10年7月)とともに小説や評論をかかげ,自然主義文学運動のひとつの拠点となって行った。


少女の友 

 少女の友は、実業之日本社が発行していた少女向け雑誌。1908年(明治41年)創刊、1955年(昭和30年)に休刊。題字は当時20代だった北大路魯山人が揮毫した。掲載された小説でとりわけ人気の高かったのは吉屋信子と川端康成だった。川端康成の『乙女の港』(1937年(昭和12年)6月号 - 1938年(昭和13年)3月号)は中原淳一の挿絵の魅力とあいまって一大ブームを巻き起こした。


少女画報

 『少女画報』 (しょうじょがほう)は、戦前日本の少女雑誌の一つ。1912年創刊、1942年廃刊。

 婦人雑誌『婦人画報』の妹雑誌として、東京社が1912年(明治45年)に創刊。発行当時は教育学者の倉橋惣三らが編集顧問に名を連ね、教育的な傾向が強いのが特色だった。大正中期に、まだ無名だった吉屋信子を見出し、『花物語』を掲載した(1916年より掲載)。大正末以降は芸能関係の記事を多数掲載し、娯楽性を強めた。1942年(昭和17年)に、戦時雑誌統合令により『少女の友』に統合された。


明治時代 文学作品に関連する検索キーワード


明治時代 文学

明治時代

明治時代 写真

明治時代 貨幣価値

明治時代 地図

明治時代 食事

明治時代 生活

明治時代 物価

明治時代 人物

明治時代 服装