『群系』 (文芸誌)ホームページ
特集U《映画―もう一つの生》
わが町、わが青春の映画たち
土倉ヒロ子
はじめに
半世紀以上の前の記憶を掘り起こしてみる。私の育った江戸川区小岩には、昭和三十年代には七軒の映画館が建っていた。国電小岩駅南口駅前に松竹専門の「富士館」。駅から放射状に造られた三本の道路の両側には商店街が並び、右側から「駅前通り」真ん中は「昭和通り」左側は「区役所通り」と呼ばれていた。駅前通りの中ほどを横切るどぶ川があった。その川のふちに東映と大映の専門館があり通称「ドブ館」と呼ばれていた。北口にも四つの映画館があり、我が家のすぐそばにも「名画座」があった。
一番古い映画鑑賞の記憶はなんだったろう。多分、小学校の校庭で見た、三益愛子主演の母もの映画だったか・・・それと戦災孤児を扱った映画の『鐘の鳴る丘』。調べたところによると「母物映画」というのは国策映画だったとのこと。母の悲劇をテーマにして青少年の不良化を防止しようとした占領軍の指導によるものらしい。わたしも泣かせ過剰のストーリーに盛大に泣いた記憶がある。くやしいけれど、号泣していた。それと、ディズニーアニメ。「せむしの仔馬」のお姫様の眼の大きさに吸い込まれたり、「白雪姫」の小人たちの歌にワクワクしたものだ。
「砂漠は生きている」「ファンタジア」などの記録映画も新鮮な驚きがあった。これらは学校の情操教育に組み込まれており、学年ごとに行ったのだろう。
邦画編
私の邦画遍歴は、きわめてミーハー的な作品群と、監督や原作の芸術性を理屈で選んでいた作品群に分けられるだろう。ミーハー的な作品のトップは、何と言っても『笛吹童子』であった。
『笛吹童子』は、ラジオドラマで人気を博した『新諸国物語』が原作であった。主演は歌舞伎界出身の中村錦之介。あの映画のヒットと錦ちゃんの人気ぶりは、元祖アイドルといってもいいかもしれない。わたしも錦ちゃんにイカレてフアンレターなんぞを出したりもした。ほんとに、彼は綺麗なおとこだった。その後、東映時代劇は東千代介、大川橋蔵などのスターを誕生させ時代劇は「東映」の地位を築いていった。私の中学時代のことであった。
大映も市川雷蔵、勝新太郎などのスターを育て、東映カラーとは違う大人の時代劇を確立していく。雷蔵は美男の若侍物から『眠り狂四朗』などのニヒルな浪人ものなどで人気を不動のものとしていった。雷蔵は今でも熱狂的なフアンクラブが活動していて彼の映画鑑賞やイベントを開催しているらしい。中里介山『大菩薩峠』の映画化も何回もされたが、雷蔵の机竜之介が素晴らしく、これぞ決定版とも言うべき作品になっていたと思う。
一方、文芸物は、どんな作品が私をとらえただろうか。衝撃を受けた映画のトップは『浮雲』であった。林芙美子の原作は『放浪記』『めし』なども映画化されており評価もされているが、私を大人にさせてくれた映画として『浮雲』(五五年・成瀬巳喜男監督・主演高峰秀子・森雅之)をあげたい。この時、私は中学三年になっており、芸大出の若い音楽教師に実りそうもない恋をしていた。こんな状態の時に一人で『浮雲』なんかを観たものだからたまらない。私は場内が明るくなった後も、席を立てなかった。
『浮雲』ラストの救いのなさに落ち込んでしまったのだ。このように報われない愛情のありかたもあるのだと、はじめて恋というものの不条理を知ったことであった。
『浮雲』は成瀬巳喜男監督の作品の中でも最高傑作と評価され、最近では海外の評価も高くなっている。「溝口、黒沢、小津」に並んで四巨匠とも言われているようだ。
この四人の比べても遜色のない監督が木下恵介である。木下作品は『二十四の瞳』や『楢山節考』が代表作としてあげられるだろうが、私は『女の園』(五四年)を挙げたい。私は、この映画によって階級闘争を知った?のである。この作品は阿部知二の『人口庭園』が原作。京都の女子大で起きた学園紛争がモデルとなっている。今では信じられないような封建的な校則を巡っての学園側と学生との闘争が描かれていた。学園側の寮長を高峰三枝子、学生側高峰秀子、久我美子、岸恵子など、松竹大船をしょって立つ女優陣である。私はこの映画によって音楽の効果ということも知った。「古き都に咲きし 花の命は・・・」と全編に流れていた激しさと哀愁をたたえた歌を忘れない。この作詞・作曲は木下監督の弟である木下忠司である。木下忠司の音楽といえば『喜びも悲しみも幾歳月』のテーマ曲が有名だが『女の園』の主題歌も捨てがたい。この歌は歌声喫茶最盛期には、よくリクエストもされていたのである。
木下作品といえば、もうひとつ忘れられない作品がある。『野菊の如き君なりき』(五五年)、御存じ伊藤左千夫原作。この映画は映像的にもこっていて回想シーンは楕円形のぼかしになっていて絵画的な効果をあげていた。この映画の魅力は主人公の慕う従妹役の有田紀子にあるだろう。かなり多くの応募者から選ばれたようだが清純というイメージを完璧に体現させていた。伊藤左千夫役の少年も素朴で良かった。この映画はリアルタイムで見た時より、結婚後、偶然家で一人で見た時の感動が忘れがたい。あまりにも幼い二人の恋の切なさに泣いてしまった。
洋画編
私の洋画遍歴は、家から一足の「小岩名画座」から始まった。ここは十代の私の宝島だったのかもしれない。この映画館での一番古い記憶は『皇帝円舞曲』というミュージカル映画である。何時,誰と観たかは忘れている。
この映画、驚いたことに監督がビリー・ワイルダーだったのだ。主演はビング・クロスビーとジョン・フォーンテイン。舞台はウイーンの宮廷。ビング・クロスビーはアメリカの蓄音機のセールスマン。これが、ウイーンの伯爵令嬢と恋に落ちるストーリーである。他愛ない話ではある。
私が何故この映画に惹かれたのか。一つ、ウイーンの貴族への憧れ、一つ、ウイーンナーワルツへの傾倒、一つ、ロマンティック・コメデイーへの好みなどであろうか。これは、今でも続いていて、この種の映画の情報が入ると心待ちにしてしまう。近年では『めぐり逢えたら』『プリテイウーマン』など。これはいつまでたっても「シンデレラコンプレックス」があるせいか。
一番の好みは、この系列のミュージカル映画なのだが、このような甘い映画ばかりを観ていたわけではない。二十代になった頃だったか、急にシリアスな映画が見たくなったいた。そこで生き始めたのは有楽町にあった「アートシアター日劇文化」である。巨大円形劇場日劇の地下にあった二百席位のミニシアターである。
『アポロンの地獄』『かくも長き不在』『情事』など。全部が理解できたわけではないが、普通の娯楽映画にはない感銘を受けていた。人生の不可解さを哲学的に映像化されていて、思春期の私の成長には役だったのかもしれない。
『アポロンの地獄』(六七年)脚本・監督・パゾリーニ。この作品はギリシャ悲劇ソフォクレス『オイディプス王』が原作。エディプス・コンプレックスがテーマのパゾリーニの自伝的映画とも評される。暗く重苦しい印象だけが残っている。当時、気になる男性を二度目に誘ってみたが、大失敗。「僕は、こんな一人よがりの映画は嫌いだ」と不機嫌な顔での応え。「こんな映画を好む女は嫌い」と言われたように落ち込んでしまったものだ。『かくも長き不在』(六一年)マルグリット・ディユ
ラス、ジュラール・ジャロル脚本。フランス映画。第十四回カンヌ国際映画祭でパルム・ドール受賞。反戦がテーマ。パリ郊外でカフェを営む女主人公役のアリダ・ヴァリの存在感が出色。ある日、戦地から帰ってこない夫に似た浮浪者を店の前で見かける。男は記憶喪失になっていた。この映画は映像心理映画として優れた作品になっていた。しかし、暗く切ない。映画館を出る時の気持ちは沈んでしまうだろう。『情事』(六0年)イタリア・アントニオーニ監督・脚本。「愛の不毛」三部作の第1作。この年のカンヌ映画祭「ある視点」部門賞を市川昆『鍵』とダブル受賞。
ストーリーは忘れているが主演女優のモニカ・ヴィッテイの物憂い表情に惹かれて、その後、しばらく彼女の映画を観たものだ。これら、三人の映画監督は芸術性を第一に考えた作家であるだろう。したがって、作家論も多く出ている。私は作家論を書くほどのめり込みはしなかった。
ここに。加えてビスコンテイの作品が加われば六十年代のヨーロッパ映画の傾向が理解できるかもしれない。この頃、「ヌーベルバーグ」映画の波も起こってきている。これら、アートシアター系映画の好みは、現在は「岩波ホール」映画へと私を誘ってくるのである。岩波ホール映画のベスト2をあげておきたい。一、『インドシナ』フランス・カトリーヌ・ドヌーブ主演。二、『輝ける青春』イタリア・イタリアの一家族の三世代にわたる物語。上映時間六時間の大作。
映画を「愉しむ」ということ
赤穂 貴志
映画は「娯楽」だ。
映画を観るという行為は遊びであり趣味である。映画作品は、約束されたその時間を楽しく過ごすアイテムでもある。
美男美女の麗しい姿に見とれたり、美しい映像や音楽に浸ったり、物語に胸を躍らされたりと、様々な思いを巡らせながら作品を満喫する。
鑑賞後「いい映画を観た」と晴れやかな気分で余韻に浸るひとときはまた格別だ。
そんな「娯楽」という要素から、映画は大衆の支持を得た。人々は競って劇場に詰めかけ、スクリーンを見つめ続けた。次第にその催しは「興行」となり、娯楽産業として成り立つようになる。
昭和十三年、『愛染かつら』(田中絹代、上原謙)が大ヒットする。「障害のある恋物語」をテーマにし、女性目線で描かれたこの純愛映画は、男性社会に吹き抜ける新しい風となった。観客動員の記録を打ち立て、映画は娯楽の王様として庶民に根ざしていく。
戦前、映画は上映期間のみのものという扱いだった。それはフィルムの保管が難しかったという事情もあるが、公開時限りの「商品」として消えゆくものであり、作品として残すという考え方はなかった。
戦後、映画は「芸術」という通念が浸透し始めた。
ものを作れば必ず評価が生まれるように、映画もまた「作品」として批評の対象となった。それは後の製作の糧となり、さらによいものを生み出す源にもなる。
派手な台詞を書き、外連味の効いた演出をし、工夫したカメラワークで撮影するなど趣向を凝らしていく。
黒澤明は『七人の侍』(昭和二十九年)で迫力ある映像を生み出し、小津安二郎は『東京物語』(昭和二十八年)でホームドラマの原型を築き、成瀬巳喜男は『浮雲』(昭和三十年)でメロドラマを発展させた。
これらの作品は諸外国でも高く評価された。海外の観客ありきで作ったものでなく、日本人に向けて製作したものが世界を魅了した。
自国のアイデンティティを、映画という表現媒体によって広めたという功績は特筆すべき点でもある。
これらの動きは、独自の思想や製作技法を前面に押し出す流れとなる。商業主義に陥らず、観客に媚を売らず、派手な演出をせず、作り手の「伝えたいこと」のみを訴えかけていくようになる。
そんな中、ATG(日本アート・シアター・ギルド)が設立された。大手映画会社から一線を画し、非商業主義的な芸術作品を製作・配給することを目的とした。
羽仁進『初恋・地獄篇 』(昭和四十三年)、大島渚『儀式』(昭和四十六年)、寺山修司『田園に死す』(昭和五十年)などの深みのある良作が発表された。表現の場を得たその他映画作家たちも、次々と新たな作品を生み出していった。
ところが、このスタイルを貫いたことで仕事の方向性を見失い、観客を忘れた「芸術」作品を撮る監督が出てきてしまった。
脚本の構成が支離滅裂で、カメラの長回しの中で冗長な台詞が続き、前後の脈絡のない美術が配置されている。前衛主義を謳い、即興演出で奇をてらうことで斬新さをアピールしている。
その難解さ故に、観終えた後も素直に感動できないことがある。鑑賞後自分の理解力のなさを悲観しもう一度観る。だがやはり分からない。何度観ても退屈だ。
映画を観てなぜ頭を痛めなくてはならないのか。
確かに、難解で精緻な論理に触れるにはある程度の訓練が必要だ。勉強として知識を吸収し、社会の実態を学び、そこから何か自分で考えていくという見方もある。
そうは言っても、やはり映画鑑賞は「娯楽」の一環であり「勉強」するものではない。監督の作家性に浸りたくとも、まず内容が飲み込めない。鑑賞後に湧き起こる虚しさは、次第に時間を浪費したという苛立ちとして残っていく。
しかし、映画批評の世界では、この手の観客無視の「駄作」が高い評価を受け、それが「芸術」と呼ばれ「名作」という称号を得てきた歴史がある。
後世の観客たちは、その作品への誉れをもとに鑑賞をする。観終えた後、あまりのつまらなさに消化不良を起こす。こんなとき、映画を「勉強」しようと意気込んだひとほど悩むはずだ。
この映画は過去に専門家がお墨付きを与えた「名作」だ。これを「つまらない」と思うのは、自分の感性がおかしいからではないか。観念的な内容を「分からない」というのは、自分の理解力が乏しいからではないか。
こんな自己嫌悪に陥りながらも、自分を偽り付和雷同に妥協しながら、定まった「評価」に従ってしまう。
批評家が書いた作品解説は、晦渋な文章で埋め尽くされ、ますます難解な映画へと変節してしまっている。監督が批評家の解説を読んで新たな発見をしたという、笑えない話まである。
これは、一般の観客を置き去りにした批評家の罪でもある。内輪で「弁証法的発展」を続けてきた結果、過去の「芸術」映画の中には、後世のひとたちから全く見向きもされていないものもある。映画史に残るものとして最初は注目されるが、次第に忘れ去られていく。
観客は、批評家と監督が「止揚」することなど望んではいない。真の芸術とは、時代を超え人々の心を慰撫するもののはずだ。
いい映画とは何か。
それは、鑑賞中退屈せず、観賞後脳内で余燼が燻るような映画だ。この覚醒感に浸りたいがためにお金を払う、そんな気持ちにさせる作品だ。
その中で、「何度も繰り返し観たくなる映画」こそ優れた作品であると思う。瞠目する映像、耳に残る台詞、唸るような脚本構成で、自分の感性、人生観などが画面に映し出され、フィルムの中にその解き放たれた世界が生き続けている映画だ。
ときおり「娯楽映画」に芸術的な深い感銘を受けることがある。逆に「芸術映画」の内容が、自分の娯楽性にぴったりと嵌まることもある。
娯楽性と芸術性の二つが融合したとき、それは観る側に大きな変化が現れる。「娯楽」から「芸術」を見出し、「芸術」から「娯楽」を感じとっていく。心に衝撃を受け琴線が揺さぶられ、それらが昇華していく。
映画の本質は「娯楽」と「芸術」の両方を兼ね揃えたものであり、その判断は個々に委ねられている。批評家の評価を得た「名作」、「佳作」だけがいい映画とは限らない。B級プログラムピクチャーにも良作があり、日常の生活や興味分野に即した内容の映画に刺激を受けることもある。埋もれた作品を渉猟するうちに、思わぬ「宝」を見つけることもある。それは自分だけが持つ「財産」となり、かけがえのない「傑作」となる。
映画鑑賞で大事なことは、まず自分が正直な気持ちを持つことだ。低俗と思われる娯楽映画も、沽券に関わるなどと考えず面白ければ素直に評価する。映画史に名を残さなくても、自分の心の琴線に触れれば名作なのだ。
いい仕事をした作品は、鑑賞者がどんな状況下であろうと何かしら吸収するものがある。
いいものはいい、つまらないものはつまらないと言う勇気を持とう。自分の感性、評価に自信を持ち、本物を観る眼を養おう。それを続けながら目を肥やし、ひとに勧められる作品を見つけていこう。
批評家に任せきりではだめだ。市井の映画ファンのすべきことは、後世のひとたちに向けて、本当に「愉しめる映画」を見つけその面白さを伝えていくことなのだから。
『フェリーニのローマ』
〜監督の愛した都〜
荻野 央
(ローマの娼婦たち)-(絵割愛)
『フェリーニのローマ』は自伝的な作品であり、監督の愛したローマの叙景詩と、旧びた思い出のデッサンの集大成とでも云うべき映画だ。青年フェリーニらしき若い男(しかもハンサム)が、映画のなかの時の流れを説明し、現在、五十二歳の本人が、群がる学生たちにこの映画の意義を説明している場面がある。ローマ各所を彷徨う撮影隊、現代に倦怠する市民、学生と議論する監督のフェリーニ。なぜローマを舞台とした作品に自らを投影したのか。
この作品は彼のなかの、ローマについての「物語」なのだ。北イタリアの田舎町リミニに生まれ育ったフェリーニの母は、もともとローマ出身の人である。彼もローマへ二十歳のときに出て色々な仕事をした。出版社でコラムを書き、店を開いて進駐軍の兵士を相手にカリカチュアを描いて稼ぎまくる。監督にとってのローマはひとつの拠点、チネチッタ第5スタジオとともに、自分を支える存在なのだ。彼にとってローマは単に都市ではない。リミニとは違って、ここローマはフェリーニに特異な芸術意識を与え、その意味を自覚・進化させ、そして彼自身のすべてを支える。芸術家のデミウルゴスとして彼の肩を掴む母であり芸術の素材蓄積場として彼の前に存在する。いつも横たわっている。そのようなローマを、自分自身を語りかねない危うさに直面しながら、彼の撮影隊はローマ市内を逍遥するのだ。すべての道はローマへ続く、という聞きなれた言葉が、突然現代の高速道路の渋滞にとって代わり、交通事故、左翼のアジテーション、撮影隊の隣の車のなかの、アンニュイな男女の表情が現れる。古代と違って現代は多層的多義的であり、一つの道にロバ一頭で荷車はひかせられない。
ローマの地下鉄工事現場はたえず古跡遭遇の災難と隣り合わせで、その都度古都であることを再確認させられるのだが、撮影隊一行が地下道を降りて行くときに、作業を終えた人夫たちと、トロッコですれ違う。彼らは石像群のように微動だにしないで運ばれていく。静かに動かずうつむいている。ここで監督は掘削機が遺跡と遭遇することをイメージさせている。突き崩された壁の向こうに、発見された貴族の屋敷の壁に描かれた美しいフレスコ画が壁の穴から吹かれてくる”現代”という風に消されていく。なんという監督の表象の力だろうか。このように古跡はひとつひとつ死に絶えていく。”現代”の風は、国家の発展と人々の意識の進化として吹き荒れ、享楽の日常に踏み潰されていく享楽の歴史を形成するかのようだ。地下に閉じ込められていた時間が、フレスコ画の消滅をきっかけとして現代になだれこむ。解凍された時間の風。いっぽう流入する古代の時間に撮影隊はパニックを起こし、その傍で都市計画担当者は、やりきれない表情をして溜息をついている。それは(監督も予想もできなかった)古代都市への鎮魂の裏側として付着するシークェンスである。
(ローマの地下に出現した壁画)-(絵割愛)
遺跡は地上だけに在るのではない。イタリア全土にわたる現代と古代のMixtureは、長靴のような半島と島一つを作品のように在る。監督はその巨大な作品の地下を見て、またひとつの拡張する表象を感じ取っているに違いない。イタリアは忘れられた国家ではない。地下からますます発展するかもしれないのだ、とでも言いたそうだ。
ヴァチカンの僧衣ファッションショーは、まことに奇抜な発想から生み出されたシーンだ。このシーンにヴァチカンの怒りを買うことはなかったそうだが、馬蹄形のコースを、様々に意匠を凝らした僧衣を着込んだモデル(僧侶)たちがローラーコースターでrunnigを行うとき、わたしのなかで「不遜ではないのか?」との思いが、映画のユーモアに消されてしまった。教会の権威はフェリーニによって戯画的に縮小され、渋面するはずの司祭たちの苦笑を引き出したのだろうか。さすがイタリア。たくさんの「されこうべ」をまとった僧衣や、空洞の僧衣が流れて行ったあとで、法王らしき小柄な老人の、金ぴかな僧衣の登場でショーは絶頂する瞬間を迎え、閉場となる。
観客たちに、神の地上での最高権威を君たちはどう思うね?と監督からにこやかに尋ねられているかのようである。
“ぼくはローマの荒廃に対して何も手を下すべきではない、むしろ崩壊を促進すべきだと主張するような唯美主義者ではない。けれども、この瓦礫と崩壊と災厄の光景を共感を持って眺めているんだ”
“死は廃墟の中だけでなく、ローマのバロック式の宮殿の峻厳さの中にも、教会の正面玄関にも、宗教の儀式にも存在している”(インタビューから)
監督の思い出がイメージへ昇華し、積み重ねられた物語、彼の言う映像芸術、「崩壊の共感」に圧倒されてしまうのだ。消えていくフレスコ画に向かって、なんとかして!と叫ぶ撮影隊員の絶叫は監督に届かないつまり、共感を彩る一つの素材であるしかすぎない。
ライトアップされて静まりかえる街のなかを疾駆する若者たちのオートバイの群れと爆音が、古都のかかえる、二つの構造を様々なる寓意と皮肉で対比を表わし、そのままエンディングへ作品が向かうとき、観客は共感するのだ。
フェリーニは「ローマは自分の再構成のものであり、ローマが自分を作ってきたし、いま私がローマを作り直している。都市は”神話”であり、大事に育てなければならない虚構なのだ」と言う。
イギリス映画『もうひとりのシェイクスピア』
澤田繁晴
監督:ローランド・エメリッヒ
出演:リス・エヴァンス、ヴァネッサ・レッドグレイヴ、ジョエリー・リチャードソン、
デイヴィッド・シューリス、エドワード・ホッグ、デレク・ジャコビ
製作:2011年
建築家の黒川紀章は、ある時女優の若尾文子とテレビ対談をし、その席で「あなたはバロックだ」と発言、公
器で女性を口説いたということで顰蹙を買ったが、結婚には漕ぎつけた。後に黒川が「検査入院」をして突然亡
くなってしまった時、若尾は言った「人間て簡単に死んでしまうものなのですね」。昨年の五月、私にも突然に
脳内出血が起こり、救急車を自分で呼んだまでは覚えているが、その後は意識不明、手術を施されて2日後にI
CUで看護婦に「目が覚めましたね」と話しかけられて初めて自分が生きていたことに気がついたといった具合
であった。本当に、何も知らずにそのまま死んでしまっていても不思議でない体験をしたのである。
若尾がどの程度のバロックであったと黒川に思われたのかは分らないが、ここに本場者のバロックがいた。イ
ングランドの処女王エリザベス一世である。一五八八年、当時無敵艦隊と言われていたスペインの艦隊がエリザベ
スによって撃破された故もあってか、スペイン人のエリザベス評には厳しいものがあった。スペイン大使達は、
エリザベスの特質を、「小心」と分析していたようであるが、おそくこれは半分しか当たっていないであろう。
希望的観測が籠められているからである。正確には、エリザベスの特質は、多くの女性のように「細心」ではあ
ったのだと思う。たとえそれが支離滅裂に見えようとも、「細心」でなくてはとても良い結果をもたらす「大胆な
決断」などはできないからであるーーバロックの特色は大胆さを含んだ細心とも言えないことはないであろう。
ある時のエリザベスは、次のようなことを言うなかなか食えない人物であったようだ。フランス王アンリがエリザ
ベスと交渉させるために送った特使ド=メッスに、「フェリペ(スペイン王――筆者注)は私を15回も暗殺しよう
としたのよ。よほど深く愛してくれたのだろうね!」と。この時エリザベスは、60余歳であった。そしてメッスの
日記によれば、エリザベスは「腹が臍の辺りまで全て丸見えになってしまう」服装をしていた、ということである。
だが、エリザベスのいくつかの努力にもかかわらず、この時アンリはスペインとの講和を成立させてしまった。それ
を聞いたエリザベスの言葉は奮っている。
フランス王は、恩知らずの反キリストに相違ない。
この身はあの男が王冠を戴くのに力を藉してやった。
その恩を忘れて逃げようというわけか。
この後、エリザベスは判断を中止する。あるいは支離滅裂な判断を幾つか下す。このような状態がフェリペの
病死まで続くのである。真っ当な判断ではなく、まるで、人に病死を齎すような判断こそが歴史を作ると思ってい
るかのようにである。バロックにも効用があるようだ。いかなる人間も忖度できず、人を不安に陥れるという効
用である。かくエリザベスの特技はバロックであった。黒川紀章と若尾文子の二人のうちでは黒川の方がバロッ
クであったのかもしれない。黒川は、自分のバロック度に惑乱されたのである。夫の死について感想を漏らした
若尾はどちらかと言うと合理主義者であるような気がする。
イギリス映画「もうひとりのシェイクスピア」にはそんなエリザベスも顔を見せる。何事も起ってしまうような
この人の時代である。
ウィリアム・シェイクスピアには、戯曲三十七作品、ソネット一五四篇、物語詩数篇があり、英語世界におけ
る究極の文学的表現としてよく知られているが、この四百年間自筆原稿が何ひとつとして見つかっていないだけ
でなく、シェイクスピア本人に外国旅行をした証拠も、高等教育を受けて外国語を学んだ形跡も全くない、とい
うことである。深い教養と宮廷の事情にも通じていないでは、到底あのような作品を物することもできないよう
に思われることが、“シェイクスピア別人説”が十八世紀以来〈文学史上最大の謎〉として持ち上がって来てい
る理由である。過去にその候補に擬されて来たオックスフォード伯エドワード・ド・ヴィア、フランシス・ベー
コン、クリストファー・マーロウなどのうち、この映画では別人説の中で最も有力なド・ヴィアがその人とされ
ている。 映画の中で、エドワード・ド・ヴィアは若き日にエリザベスの恋人であったとされており、それが彼
がシェイクスピアを名乗れないひとつの大きな理由とされている。宮廷内でのさまざまな陰謀がらみで映画は進
行、ド・ヴィアがすべての著作権をベン・ジョンソン(劇作家)に手渡して真実が闇の中に葬られるとするとこ
ろで映画は幕を閉じる。なお、この映画の中でのウィリアム・シェイクスピアは俳優であるにしか過ぎなかった
が、ある時観客の要望に応えて勝手に自分が作者であることを名乗り出たために作者になってしまったことにな
っている。お年寄りが言っていた。「世界には同じ人間が三人いる」。こんなことは信じないにしても、私が“私”
であることは、あるいは偶然であるのかもしれない。
「三界(さんかい-この世)の狂人は狂せることを知らず。四生(ししょう-すべての生あるもの)の盲者は盲なることを識(さと)らず。
生まれ生まれ生まれ生の始めに暗く、死に死に死に死んで、死の終わりに冥(くら)し」 (空海『秘蔵宝(ほう)鑰(やく)』)
青春回想・「ドレイ工場」という名の映画
外狩雅巳
セガ・エンタープライゼスと言うゲーム機器製造会社で働いていた事があります。ユダヤ系外資企業とかで労働条件も情緒に欠けるところがありました。組み立て現場での労組設立に係りました。秘密に準備を進める中で参考に見たのが「ドレイ工場」です。労組立ち上げ実話を元にした映画です。山本薩夫総監督・武田敦監督。原作〔東京争議団物語〕・労働旬報社刊 出演――日色ともゑ・中原早苗・宇野重吉・前田吟・他。
働く者の権利が抑圧された大企業〔関東鉄工〕では青年労働者を中心に労働組合を作る動きが始まります。会社側の察知と不参加の労働者仲間に苦労しながら晴れて労働組合が結成されるまでの物語です。図式映画との評もありますが、日本ロールという会社での実話に沿った筋なので臨場感があり大いに感動しました。
七十年代の政治革新が盛り上がっている中で青春を過ごし、労働運動に遭遇し熱中しました。会社近くにアパートを借り働く仲間を集め深夜まで作戦を練った日々の結果に労組結成を勝ち取りました。
仲間たちと鑑賞した「ドレイ工場」は心底励みになりました。映画のように活動すれば成功すると確信しました。秘密に労組員を増やしました。三桁の組合員になった春先のある日、公然化を実行しました。
早朝、正門前で出勤社員へのマイクで労組結成と春闘宣言をアジったあの高揚は今も忘れません。四十年前の青春の日々は労働運動に明け暮れました。今も羽田空港近くへ行くと胸が高まります。
大田区は労働者の街と言われました。その街で赤い鉢巻で赤旗を振り回した日々は僕の宝物です。
労災事故をきっかけに自覚する青年労働者を演じた前田吟の迫力に引き込まれました。
会社へ意見を言える職場にするため労組結成に取り組むひたむきな姿に同感しました。
上映に誘った同僚たちと具体化を語り合いました。映画みたいには上手くいかないよと不信感を語る人もいましたが、少しずつ輪は広まっていきました。
日色ともゑの健康な美しさも好評でした。
青年男女が働くセガ・エンタープライゼス社の生産ラインも活気がありました。この若い仲間たちとスクラムを組みたいと強く思いました。次々と新しい仲間を連れて何度も上映会に行きました。
小説で読んだ「太陽のない街」は労働争議が敗北で終わりますが、この映画は勝利で終わります。徳永直の時代とは違います。民主憲法のある時代の権利を目指す運動です。
古参の現場ボスが理解してくれました。彼はやがて委員長になり、会社を渡りあいました。
社会系企業としてスロットマシンの日本独占市場を築いたセガ社です。
全国に散るゲーム場従業員や事務所と営業部門の社員たちは理解してくれませんでした。
プレーイングマネージャーとして商人根性を注ぎ込まれた彼たちは、後日に第二組合に走りました。僕の青春のセガ就労記と重なって、映画「ドレイ工場」は、今も心の中に生きています。
映画「下町(ダウンタウン)」 プレスシート
野寄 勉
伊藤桂一(一九一七〜)と同世代の山田五十鈴が、二○一二年七月九日亡くなった。享年95歳。古い邦画専門館である神保町シアターは、『女優・山田五十鈴アンコール』と銘打って追悼企画を催し、十一月二十四日から十二月二十八日まで戦前のサイレンと作品を含む二十四作を上映した。館内ロビーには、歳末に七回にわたって上映された『( )下町』の、上映当時のプレスシートが壁に掲示されていた。なにぶん古い紙媒体ゆえ、擦過した折込部分は判読できなかったが、映画同様滋味にあふれる林芙美子の原作(初出:「別冊 小説新潮」昭24・4 インターネット図書館「青空文庫」で閲覧可能)と引き比べると興味深い。
*
一九五七年九月 東宝株式会社 制作・配給
川風に立つ
さざ波にも似た
ささやかな愛の灯も
人の命の儚さ故に
うたかたと消えて
哀しみの歳月は
流れゆく…
スタッフ
製作 藤本 真澄
原作 林 芙美子
脚色 笠原 良三・吉田 精弥
監督 千葉 泰樹
撮影 西垣 六郎
美術 中古 智
録音 小沼 渡
照明 金子 光男
音楽 伊福部 昭
スチール 田中 一清
監督助手 小松 幹雄
製作担当者 角田 健一郎
きゃすと
矢沢 りよ 山田 五十鈴
同 留吉 亀谷 雅敬
鶴石 芳雄 三船 敏郎
善助 田中 晴男
その妻 きく 村田 知英子
大西 多々良 純
玉枝 淡路 恵子
田中 運転手 沢村いき雄
自転車の男 鈴川 二郎
揚げ物屋のお内儀 中野 トシ子
玉枝の客 土屋 詩朗
人夫 A 広瀬 正一
人夫 B 佐田 豊
宿の女中 五十嵐 和子
電報配達夫 中山 豊
トラックの助手 大前 亘
かいせつ
“女”を描いて独壇場の林芙美子の原作「下町」の映画化で、戦後の混乱した世相の中に、生死の程もわからない夫の帰国を待つ、下層階級の子持ちの行商人の女と、戦線にいる間に妻に去られた鉄材置場の番人とが、ささやかな幸せを求め、つつましく細やかな愛情をよせ合う、しみじみとした人情味溢れた物語である。
ものがたり
戦後四年の早春――
林立する工場群の煙突から、もくもくと吐き出される煤煙で鉛色に曇った空の下を、りよは茶の行商をしながら今日もゆく。
ゆるゆると放水路の漂った水が細やかな小波を立てて流れてゆくのを眺めながら、白いほこりの立つ土手っぷちを歩くりよは、思わず寒さに肩をすぼめた。
りよは、二年も前に消息を絶ったきり、未だシベリアから還らない夫を待ちつつ、幼い留吉を、毎日茶の行商を続けながら育てているのである。
じめじめと陽の当らない、腐ったドブ板を踏んで、一軒々々尋ねてまわるが、茶はなかなか売れない。冷たい風の中を重い足を引づって、ほっと吐息をつくりよの耳許に、昼のサイレンが大きく響く。
工事場のような板塀を曲った処でりよは、一人の男に道をきかれた。りよが“しらない”と答えると、赤錆びた鉄材が積んである奥の小屋に声をかけた男は、窓から顔を出した職人風の男に道を教わって去っていった。
それを汐に、りよは「お茶はいりませんか…」と声をかけた。小屋の中で温かそうに燃えている火に眼をやったりよは、急に寒さを感じて、しばらくあたらせてもらえないだろうかと頼んでみた。親切に火にあたらせてくれた男は、鶴石といってこの鉄材置場の番小屋に住んでいるやはりシベリアから復員して来た男である。男は弁当を使わせてくれた上、優しく身の上を聞いてくれ、茶まで買ってくれた。そして何時でも昼にはここで弁当をつかうようにと重ねて親切にいってくれた。なにか心温まる想いで、りよは家路を急いだ。
狭い露地の奥に、「睦会結婚相談所」の看板のかかった格子戸をあけると、留守居の侘しさをかこっていた留吉が、待ちかねたようにりよに、とびついた。
この家は、りよの幼友達きくの家で、りよはその二階を借りているのである。きくは不甲斐ない夫善助のことをこぼしながら、療養所に二年も入院している夫の治療代のため闇の女をしている玉枝に部屋を貸して、客を世話し、その上前をはねる、したたかな女である。(判読不明)し、もう一儲けしたいおきくなのである。
暗い気持のりよは、玉枝と遅い夜を互いの不運をかこち、女の哀れさをつくづくと嘆いた。……今日は留吉を連れて、りよは商売に出た。午近く、近所の惣菜屋で三人分のおかずを買って、りよは鶴石の小屋を訪れた。鶴石は鉄材をつみ込んだトラックに留吉をのせて近所のお稲荷さんに連れていって呉れた。キツネのお面を頭にのせ、プーとふくれたカルメ焼きを手に、大燥ぎの留吉と帰って来た。鶴石は茶を沸かして待ち兼ねていたりよと、楽しく食事をした。
りよが商売を終えて露地に帰ってみるとおきく夫婦と玉枝は売春の嫌疑で警察に呼ばれて留守だった。
次の鶴石の休みの日、りよと留吉は鶴石に連れられて待望の浅草観音様へせい一杯のおめかしをして出掛けた。松屋の屋上でさんざん遊んで、六区で映画を見た挙句三人は俄か雨にあってしまった。雨は何時まで待っても止みそうにない。りよはこの楽しさをこのまま打ち切ってしまう気になれなかった。小降りになったら、りよの家まで送ってくれるという鶴石に、そっと財布の中を調べたりよは、どこかの旅館で休んでいきたいと言った。
土砂降りの中を小さな旅館に飛び込んだ鶴石は、すっかり寝込んだ留吉を背中から降ろし、りよの濡れた髪を自分のハンカチで、優しくふいてやった。される儘になっているりよの胸を一瞬、幸福な想いがかすめた。
火の気のない箱火鉢を囲んで鶴石は、突然りよの年をきいた。笑いながら答えるりよは鶴石が自分より一つ年下であることを知った。激しい降りはなお止まず、泊まることに決めた。りよ達の部屋に薄い蒲団が運ばれた。
夜半がすぎ、うとうとしているりよの耳許に声がした。はっと枕から顔をあげたりよに、「おりよさんそっちにいってもいいかい?」とささやくように鶴石が云った。「いけないわ」と答えるりよに、鶴石は深い溜息をついた。そして戦線に居る間に彼の妻は別の男の処に去ってしまったのだとポツリポツリ話す鶴石をりよは、愛おしく思うが、りよの蒲団の上に鶴石がのしかかって来ると、りよは身を固くして、「いけないわ…あたしシベリアのことを考えるのよ」と云ってしまった。一瞬、りよの心は崩れて、鶴石の熱い首を抱いた。翌朝雨上がりの道を歩きながら、もし子供でも出来たらと心配するりよに、鶴石はきっと責任を負うからと堅い約束をした。
りよが帰ってみるときくは、また留守をりよに頼んで警察に出掛けていった。留守居のりよの処に玉枝の夫の危篤電報が病院からとどいた。りよは玉枝に知らすべく吉原病院まで飛んでいった。だが急いで療養所に駆けつけた玉枝を待たずに夫は死んでしまった。
あきらめていたとはいえ、淋しく骨壺を抱いて一人故郷に帰っていった玉枝を、留吉とりよは駅に見送ってやった。その翌日鶴石を訪れたりよは、留吉を先にやってそっと小屋を覗かせた。小屋には鶴石は居ず見知らぬ男達が小屋の中を片付けていた。神棚に赤々と灯っているお灯明に不吉な予感を感じたりよがきいて見ると、昨日鶴石は大宮まで鉄材を積みに出掛けたがそのトラックが河に落ちて鶴石は死んだときかされた。りよは声も出なかった。鶴石が出掛けに書いたらしい「リヨどの二時まで待った」の黒板の字がりよの涙の目に悲しくゆがんだ。小屋を出たりよは、せきあげる涙の頬を流れるにまかせながら川風に吹かれて、土手を歩いた。「小父ちゃん死んじゃったの」「どこで?」「川にはまっちゃたんだとさ」留吉に答えながらとぼとぼとゆくりよを追い掛けるように後から白いほこりをあびせかけてトラックが駆けぬけるてゆく。
宣伝ポイント
☆この作品は生死の程もわからぬ夫の帰国を待つ下層階級の子持ちの行商人の女と、戦線にいる間に妻に去られた鉄材置場の番人とが、厳しい現実の世相の中に、ささやかな倖せを求め、つつましい愛情をよせ合う人情味溢れた物語です。
しみじみとした女の哀れさが身にしみる作品として女性層を中心に売って下さい。
☆三船敏郎、山田五十鈴の顔合わせは、「蜘蛛巣城」「どん底」とこれで三本目ですが、二人の息の合ったコンビとそのネームバリューを売って下さい。
女の哀しさを 監督 千葉 泰樹
小説新潮で読んだ時、これはやりたいと思ったが、なかなか機会がなく延々になってしまった。戦後三四年頃の話であり、戦争の悲劇を忘れかけている今やると、時代的なズレを感ずるかも知れないが、そのまゝ正直に描き、戦争の生々しい爪跡を描くというより、女の哀れさ、人生の哀しさ、いとおしさを感ずるように、原作の味を生かして纏めてみたい。
原作のなかに山田五十鈴さんのブロマイドが出てくるし、また、小説が映画的手法で描かれてあるのを見ても、原作者は主人公を山田五十鈴さんのイメージでかいたのではないかと想像される。
山田さんとは二回目で、第一回は昭和九年京都太秦で撮った“嬉しい娘”だが、この作品で村田千英子さんがセーラー服で出ていたが、今度の“下町”ではおばさんで出ているのも感無量といった気がする。この懐かしいメンバーで、しみじみと女の哀れな雰囲気を出してみたい。
共演者は語る
三船敏郎と山田五十鈴の顔合せは黒澤監督の「蜘蛛巣城」「どん底」についで、これが三本目で、二人息の合ったコンビぶりが、「好人物の夫婦」「鬼火」「大原」と好調の千葉泰樹監督によって如何に生かされるか大いに期待される所である。
共演三本目の感想を三船は「“蜘蛛巣城”(以下判読できず)らは見習うべき点が多いと思うんです。共演する僕なんかいつも圧倒されがちですが、こんどは二人とも汚れ役ですが、じっくりとしたものだけに、大いに勉強になると思います。」
また山田は「男優の方で、私より背の高い人はあまりいないのですが、三船さんは背も高くボリュームもあるので、三船さんとのお仕事では、私自身に女を感じることができます。こんどで三本目ですので、お互いの調子もよくのみ込めましたから、いいお仕事が出来そうです。“りよ”の役は以前からやってみたい役でした。女らしい女、表面は哀れで弱いが、その中に一筋の自己を奥深くしまっている女を一生懸命やってみます」と語っていた。
宣伝文案
☆夫の帰国を待つ貧しい母子と戦争中 妻に去られた男がふとめぐり合った倖せの瞬間 市井の片隅に咲いたつつましい愛情を見事に描いた感激の名篇
*
以下、十パターンの文案が続く。興味深いのは、詳細をきわめる粗筋(観ていなくても紹介できる水準ということか)と、まさにポイントを押さえた「宣伝ポイント」である。作品の価値を興行面から捉えるということは、映画に限らず、原作たる小説作品にしてもしかりで、売文業従事者として作家は自作の商品価値をどう推し測っているか、を忖度させもする。
ゴジラの巨大な影の下に
――敗戦日本の集合的無意識――
草原克芳
『ゴジラ』一九五四年 東宝
監督/本多猪四郎、特撮/円谷英二
宝田明、志村喬、河合桃子、他
■ゴジラの背びれについての短い考察
Godzilla, King of the Monsters!という、いまなお有無をいわせぬ称号で、世界的に通用してしまうこの怪物は、われわれ日本人の中の何を表象しているのであろうか。そして、昭和二十年代末に突如として湧き起こった怪獣映画ブームとは、一体何だったのか。
――「ゴジラ」の姿でもっとも特徴的なものは、背中に生えている奇妙な背びれであろう。放射能まみれの炎を吐くとき、この背びれは妖しい光を帯びて不気味に輝く。二本脚走行する巨大爬虫類で、体型的性格的にはゴジラに最も似ていると思われるティラノザウルスの背中には、背びれはない。列状に連なる背びれ部分のみが似ているとするならば、むしろ草食竜であるステゴザウルスの背中であろう。四脚で穏和なこの爬虫類は、ゴジラとは似ても似つかない。しかしこのスクリーン上の怪獣が、そんな生物学的解釈を離れて、一挙に日本人の古代的無意識から浮上してきたとするなら、話は別である。
『日本書紀』の中の八岐大蛇の描写では「怪物の眼は赤酸漿のようであり、松や柏が背中に生えている」とされる。『古事記』も同様に、巨大な山のように蠢動する八頭八尾の龍の姿が描かれている。ゴジラは大地や山脈のような自然なのであり、その背中には「松や柏」が生えているとするならば、あのギザギザの樹状に開いた異様な背びれは了解できる。さらにゴジラの太い手足や胴体が、樹齢千年を超える屋久杉のような節くれ立った陰翳深い歳月を刻んでいる。それはまた、原水爆によって焼け爛れたケロイド状皮膚の再現でもある。あきらかにこの存在は、時代を刻印した受難の「神」「荒ぶる神」であろう。山の向こうから島の村人を覗くゴジラの姿は、まるで「山越阿弥陀」のようでもある。英語表記Godzillaですら、それとなく「神」を挿入している。古代の八岐大蛇は、当然のお約束のように、少女の人身御供を強要する。しかし、放射能を帯びたゴジラの生贄となるのは、近代知の権化である天才科学者「芹沢博士」である。ハイドロジェン・デストロイヤーなる最終兵器のリアリティはともかく、彼の知性はあくまでも西洋近代知の成果であろう。
■「フクシマ」以降におけるゴジラの存在
ゴジラについて語ることは、放射能の恐怖について語ることだ。志村喬演じる古生物学者山根恭平博士は、「ジュラ紀から白亜紀にかけて生息していた海棲爬虫類から陸上獣類に進化しようとする中間型の生物の末裔が、度重なる水爆実験により安住の地を追い出され姿を現したものがゴジラである」と語っている。この怪物は何よりもまず放射能怪獣なのであり、それは足にこびりついて剥がれ落ちたとされる三葉虫の死骸が、ガイガーカウンターに著しい反応を示したという事に物証される。ゴジラとは、いわば「放射能ダダ洩れの歩く原子炉」なのであり「3・11福島以降」のわれわれの脳裡には、破壊される家屋、倒壊する鉄塔、津波に飲み込まれる車体の映像が、フラッシュバックのようになまなましく再現される。そのゴジラがなぜ、わざわざ日本を目指して泳いできたのかと問うのは、野暮な話だ。第五福竜丸のエピソード以前に、旧大東亜共栄圏の辺境海域生まれのゴジラは、日本をめざして泳いでくるに決まっている。ゴジラとは、敗戦国日本の暗い潜在意識が、遠く南太平洋の彼方に投影された巨大なシャドウであろう。原爆を二度落とされた国など地球上に存在しない。ゴジラはケロイドに爛れた背びれと長い尾を波頭にさらしながら、お約束通り日本列島をめざしてくる。
「歴史とは人類の巨大な恨みに似ている」と小林秀雄はいった。だとすれば、その汚辱に満ちた怨恨が立ち上がった黒い姿こそゴジラそのものであろう。ビキニ環礁の水爆実験と書くことはできるが、広島長崎の原爆実験とは書くことができない。そしてまた、ゴジラはあれほど乱暴、狼藉、破壊の限りをつくしながら、皇居の森に踏み込むことをしない。国会議事堂すら破壊したゴジラが、注意深く足を踏み込まなかったのは「天皇」と「アメリカ」の二つのタブーだ。この国において、国権の最高機関である国民議会よりも上位に位置するのが何であるかは、巨大爬虫類でも知っている。
悪しき龍神ゴジラは、おごそかに「能の摺り足」めいた所作をしながら、不吉な雷光に彩られ、虚妄の繁栄を謳う首都を、凶暴に破壊する。――まつろわぬ神、怨霊。われわれはここで例えば、菅原道真、崇徳天皇、平将門という名を連想してもよい。
怪獣は、品川沖から上陸し、雷鳴とも機械音ともつかない天空に響き渡る咆吼を発する。一度聞いたら決して忘れることのできない合成音「ゴジラの咆吼」は、「松脂を塗った革手袋でコントラバスの弦を強く擦りつけ、その音をゆっくりと逆回転した再生音」だという。そして音響的にこの物語の戦慄をいやが上にも高めてゆくのが、伊福部昭の緊迫感あふれるテーマ曲だ。ストラビンスキーやバルトーク、今なら交響曲『HIROSHIMA』の佐村河内守を連想させる伊福部昭の曲は、刻一刻と破滅へ向かって行く切迫感を帯びている。それは戦時における滅びへの衝動、日本浪漫派のタナトス的情感が、再び姿をかえて噴出したものかも知れない。
空を飛び交う戦闘機や、地から迎え撃つ戦車など、自衛隊の活躍シーンがめざましいものとして描かれるのは、この映画が公開されたのが、朝鮮戦争(一九五〇年―五三年)休戦の翌年であることと無縁ではないだろう。それはゴジラ上陸という非常時を口実に、帝国陸海空軍が、ついに実現できなかった本土決戦を果たそうとする十年後の代理戦争であろうか。これは自衛隊の存在理由の国家的キャンペーンでもある。ちなみにゴジラのような「有害鳥獣駆除」に対しては、「自衛隊法第83条」の適用により、災害派遣名目での出動が可能になるという。
■凄絶なる映像美。光と闇との苛酷なあらがい
われわれが『ゴジラ』一編を見たあとで、すべての物語を脳裡から消し去り、それでもなお残像として焼きつけられているのは、ざらついた光と闇の濃密なせめぎ合いである。いま見たものは結局のところ、白と黒の視覚情報に過ぎない。しかしこれは、何という光と闇の手ざわりであろうか。リアス式海岸のように入り組んだゴジラの暗い皮膚に群れ集う光と闇の烈しい粒子は、それ自体が善悪の入り組んだフラクタルの渦のようである。
巨大放射能怪獣は、荒々しい水脈を描きながら、重油のような暗鬱色をたたえる東京湾に入り、品川埠頭から上陸する。雲を背景にそそり立つ鉄塔や、重くゆれる送電線は、体表を覆う厚い皮膚と対照される。ゴジラが送電線を噛みしめる時、観客は確かに、苦い金属臭と、微かな電気的痺れを感じたはずだ。まるで初期ピカソやブラックの分析的キュビズム絵画を思わせる鋭い針金や、鉄骨の金属的ラインは、黙示録的雷雲や、飛び交う戦闘機の幾条もの光の弧を描く弾丸と交錯する。
首都の全的な破壊の一方で、ささやかな日常空間が描かれる。空襲警報の鳴る夜のようなシーンの狭間で、山根恭平博士(志村喬――怪獣映画の空間に、自然主義リアリズムや人道主義を持ち込むために欠かせない重宝な常連役者)の家の茶の間の風景が挿入される。低い天井の茶の間、わびしい裸電球の下のちゃぶ台、立ちつくして喋っている父と娘、それらを縁側の外の庭からのアングルで眺める手法。日本を代表する科学者一家の風景が、あまりにも小津安二郎映画の日本家屋の一シーンに似ていることに、われわれは驚かされる。博士の旧友として、笠智衆が土産物をぶら下げてひょっこりと顔を出しても、さして違和感はない。しかし、つかのまのこの家庭劇が、巨大な破壊神ゴジラの足音によって、明日にも破壊される予感を孕んでいることを見逃してはならない。
■そして「彼ら」は帰ってきた……
「ロケ先の宿に田中友幸プロデューサー、本多監督、名優志村喬さん、河内君、平田君等で浴衣姿で食事を共にし、和気あいあいのうちに、やはり話は当時の時代背景、特に原水爆の実験による被害、第五福竜丸の悲惨な現実に話が及び、被爆地である日本は特に声を大にして世界に警告を与えるべきであり、急速な科学の進歩に先んじて我々は映像上に於いて強くそれを表現していくべきだと話は弾んだ」
後にこのように語っているのは、芹沢博士を演じた宝田明である。最後の撮影が済んだ瞬間、彼は号泣しその場に泣き崩れたという。今日では失われてしまった愚直な使命感や志が、この映画のただならぬ悲愴美を創りあげていることが確認できよう。
それにしてもゴジラは、何故かくも強い戦慄と、悲痛なる郷愁を喚起せしめるのか。やはりこれは単なる巨大爬虫類によるパニック映画ではない。敢えていってみれば、白昼堂々スクリーンを借りて実行された「招魂の儀式」であろう。九六〇万人もの日本人が『ゴジラ』という娯楽映画を見ることにより秘かに行われた黙契とは、やはり南洋の孤島で非業の死を遂げた無名兵士たちの厳粛なる帰還ではないのか。泥にまみれ、手足を失い、無念の中に海の藻屑となって沈み、英霊としてすら鎮魂されなかった何万もの兵士たちの集合魂の化身こそ、あの空前絶後の「ゴジラという表象」であろう。この巨大な「まつろわぬ魂」は、最後の落ち着き所を求めて、遙か南洋の彼方より、懐かしい父母のふるさとへと帰還した。国破れて十年、忌まわしい「黒龍」の姿と化して、ついに祖国に帰ってきた。しかし、新たな戦争特需による繁栄を謳歌する戦後東京を目撃した途端、この龍神はさらに凶暴化し、破壊の限りをつくした。
戦後日本にとっては、もはや邪魔者以外の何ものでもないモンスターと化した集合魂の咆吼は、日々の平和な暮らしを営む人々を恐怖させた。ケロイドだらけの巨大な鰐を思わせる苛酷な皮膚は、見るからにおぞましい。
――しかも、これはまた、何という歴史の逆説であることか。ほんらいは彼らの末裔であり、年若い弟たちであるはずの日本国自衛隊の最新兵器の追撃を、ゴジラは四方から受け続け、虚しく火焔を吐いてうろたえつつ、全身からどす黒い血を滴らせる始末であった。
ゴジラ退治の最終兵器は、天才科学者芹沢大助博士の発明によるハイドロジェン・デストロイヤーである。ここで象徴的なのは、兵器そのものの詮索ではなく、その使用法である。何も科学者自らがゴジラと心中せずともよいだろうという下世話なヤジをよそに、彼は古風な潜水服を身につけ、水中へと沈む。マッドサイエンティストというにはあまりに品行方正すぎる芹沢博士のストイックな表情は、かつての人間魚雷「回天」の搭乗員に、よく似ていたはずだ。
ぶくぶくと群ら立つ泡の中で、ハイドロジェン・デストロイヤーは発動し、ゴジラはその膨大な肉塊をみるみる無残にも溶解させ、永遠の海の藻屑と化した。やがて海が静まるとともに、濁った海水のたゆたいを透して、ゴジラの湾曲した肋骨や、肉のそがれた頭蓋骨が、科学博物館で見るティラノザウルスの骨格のように海底の岩間に横たわっている光景が現れる。この呪われた怪物が東京湾に骨を沈めたのが、せめてもの救いであろうか。娯楽というアリバイを通した死者と生者との交信劇、『ゴジラ』という遅れてきた無名の戦士達の追悼、まつろわぬ魂たちの銀幕の鎮魂式は――かくして終了した。 (了)
イメージの宝庫 映像の力
―同人・読者アンケートから―
取井 一
【問】心に残っている映画は何ですか。邦画のベスト3、洋画のベスト3をあげてください。なお、制作年・(洋画は国名も)・監督・主な出演俳優、 できればコメントもあげてください。
編集部の問に対しての回答を分析してみた。
まずその映画を選んだ理由に掲げられていたのは、その映画の監督、俳優のファンであるから、ストーリーの展開がおもしろかったから、あるワンショットが印象に残った、あるいはバックの音楽がよかったから―。さまざまであるが、「その映画を観た時」の自分の私生活、時代の感覚が一緒に思い出される、いわば「思い出」とつながっている、という人々も多かったようだ。
選ばれている映画の制作公開は、同人の年齢の反映か、一九七〇年代以前のものが六割を占めていた。テレビの普及、映画館の減少など否定的な要素にもかかわらず、映画つくりには盛り上がりがあった。同時代を生きてきた同人も多いので、思い出のためにも整理しておこう。
邦画では、従来の五社体制に対して、『橋のない川』『キクとイサム』『若者たち』など独立プロの作品が佳作を作った。また、ATG(日本アート・シアター・ギルド)は六一年から八〇年代にかけてこうした独立プロを応援し、自らも制作・配給した。大島渚『新宿泥棒日記』(六九年)、羽仁進『初恋・地獄篇』(六八年・曲本寺山修司)、松本俊夫『薔薇の葬列』(六九年)、森田芳光『家族ゲーム』(八三年)などが作られた。これらの背景には、六〇年代から七〇年代初めの学生運動、ベトナム反戦運動、自主演劇などの盛り上がり、シリアス追求、双方向志向などが指摘されている。
また、フランスを中心としたヌーヴェル・ヴァーグ(ゴダール『勝手にしやがれ』、フランソワ・トリュフォー『大人は判ってくれない』等)の波を受けて羽仁進、勅使河原宏、増村保造、篠田正浩、大島渚、蔵原惟繕、そして今村昌平などの活躍が注目された(従来あまり扱われなかった犯罪者・非行少年、奔放な性、社会における女性の役割の変化を描写し、社会構造と社会通念への批評性を提起した)。それに対して山田洋次は『下町の太陽』『馬鹿まるだし』等地味なコメディーから出発し、〈フーテンの寅〉シリーズのほか、『家族』『同胞』『幸福の黄色いハンカチ』などで高度成長の影に生きる人々の姿を描いていた。
洋画でも、従来のハリウッド(夢と希望)に対して、反体制的なアメリカン・ニューシネマが六〇〜七〇年代に作られた。『俺たちに明日はない』 (一九六七)、 『卒業』(六七)、『イージー・ライダー』 (六九)、『真夜中のカーボーイ』 (六九)、 『小さな巨人』 (七〇)、『いちご白書』(七〇)、『ダーティハリー』(七一)、『スケアクロウ』 (七三)、 『カッコーの巣の上で』(七五)、『タクシードライバー』 (七六)など問題作が作られたが、これ以降ニューシネマは事実上の終焉を迎える(いまはSFとファンタジー、暴力とアクションのハリウッドだ)。
また、アンケート回答の半数は『キネマ旬報ベストテン』に入った文芸作品物で、いわゆる娯楽物(エンターテインメント系)は15%ほどだった。少なかったものは、邦画時代劇(黒澤明作品を除く)とSF物であった(ともに各5本)。子供時代に東映時代劇と冒険SFで育ったわりに意外であった(中にはそのワクワク感を書いたのもあっておもしろかった)。
アニメでは、『紅の豚』があげられていたが、ジブリ作品はいうまでもなく、東映アニメ(『白蛇伝』『少年猿飛佐助』『ガリバーの宇宙旅行』)や虫プロなど、アニメの役割は大きい(ちなみに、スタジオジブリの『千と千尋の神隠し』(二〇〇一年)は興行収入三〇四億円で、アニメ以外の作品を含め、日本映画最高の成績だった)。
いわゆるポルノ映画はアンケートにはさすがあげられていなかったが、旧大蔵映画(六二年設立)などのピンク映画(若松孝二、崔洋一などもデビュー)や、日活ロマンポルノ(七一〜八八)など大きな役割を果たした。武智鉄二の『白日夢』(六四年・松竹)は谷崎潤一郎の戯曲を映画化したものだが、以降三回も映像化されている。『紅閨夢』も谷崎の『過酸化マンガン水の夢』の映像化。『黒い雪』(六五年)は駐留米軍基地と売春宿を扱い、わいせつ作品として起訴されたが二審高裁で無罪となった。神代辰巳『四畳半襖の裏張り』(七三年)、その影響を受けた大島渚『愛のコリーダ』(七六年・日仏合作)など、性愛の極致を追求したが、これからの評価が待たれる。
ホラー映画としては、『羊たちの沈黙』(九一年)、『セブン』(九五年)などがあげられていたが、アメリカのホラー作家スティーブン・キング(一九四七〜)原作の『キャリー』(七六年)、『シャイニング』(八〇年)などモダンホラーの流れといえよう。そういえば、キング原作の『スタンド・バイ・ミー』(八六年)も複数あげられていたが、こちらは、キングの非ホラー短編集『恐怖の四季』から作られた。
語ることは少なくないが、こうしたアンケートの並びを見ていくだけでも楽しいし、改めて観てみたいと思った作品も多いのではないか。
《映画特集》同人・読者アンケート
【問】心に残っている映画は何ですか。邦画のベスト3、洋画のベスト3をあげてください。なお、制作年・(洋画は国名も)・監督・主な出演俳優、 できればコメントもあげてください。
土倉ヒロ子
【邦画】
1 浮雲 1955年・監督・成瀬巳喜男・原作・林芙美子・主演・高峰秀子、森雅之
2 女の園 1954年・監督・木下恵介・原作阿部知二主演・高峰三枝子・高峰秀子・久我美子
3 黒い河 1957年・監督・小林正樹・主演・仲代達矢
【洋画】
1ウエストサイド物語
2サウンド・オブ・ミュージック
3風と共に去りぬ
* 「東京物語」「野菊のごとき君なりき」「砂の器」も入れたいのですが、迷っています。洋画も難しい。アメリカ映画、フランス映画、イタリー映画でそれぞれ上げたいものがあるし・・・
間島康子
【洋画】
1 鳥 1963年 米 ヒッチコック監督
荻野 央
【邦画】
1 それから 1985年 森田芳光監督。
2 日照り雨(連作夢の中の作品) 1990年 黒澤明監督
【洋画】
1 フェリーニのローマ1972年 フェデリコ・フェリーニ監督
2 未知との遭遇 1977年 スティーブン・スピルバーグ監督。
3 羊たちの沈黙 1991年 ジョナサン・デミ監督。
名和哲夫
【邦画】
1 天城越え 1983年 監督 三村晴彦 原作・松本清張 主演・渡瀬恒彦、田中裕子
2 下妻物語 2004年 監督中島哲也 原作 嶽本野ばら 主演・深田恭子、土屋アンナ
3 七人の侍 1954年 監督 黒澤明 三船敏郎 志村喬
【洋画】
1 サイダーハウス・ルール 米 1999年 監督・ラッセ・ハレストレム 原作・ジョン・アーヴィング 主演・トビー・マグワイア、マイケル・ケイン
2 シッピング・ニュース 米 2001年 監督・ ラッセ・ハレストレム 原作・ E・アニー・プルー 主演・ ケビン・スペイシー、ジュリアン・ムーア
3 ブレードランナー米 1982年 監督・リドリー・スコット 原作・フィリップ・K・ディック 主演・ ハリソン・フォード
コメントとしては、ラッセ・ハレストレム監督が好きだから、二作選んでみました。洋画で4位を選ぶならば、ダークナイトかな。
野寄 勉
【邦画】
1 さらば映画の友よ インディアンサマー1979年 監督:原田眞人。出演:川谷拓三、重田尚彦、浅野温子。
2 波影 1965年 東宝 監督:豊田四郎。出演:若尾文子、大空真弓、山茶花究。
3 無法松の一生 (原作:岩下俊作富島松五郎伝)
1943年 大映 監督:稲垣浩。出演:阪東妻三郎。
1958年 東宝 監督:稲垣浩。出演:三船敏郎。
1963年 東映 監督:村山新治 出演:三國連太郎。
1965年 大映 監督:三隅研次。出演:勝新太郎。
*どのVerもよいので一本に絞れません。
【洋画】
1戦争のはらわた(原題Cross of Iron)原作:ウィリー・ハインリッヒWilling Flesh。1977年 英・西独 監督:サム・ペキンパー 出演:ジェームス・コバーン、マクシミリアン・シェル、ジェームズ・メイスン
2 レマゲン鉄橋(原題The Bridge at Remagen)1969年 米国 監督:ジョン・ギラーミン 出演:ジョージ・シーガル、ロバート・ボーン、ベン・ギャザラ
3 大反撃(原題Castle Keep原作者:ウィリアム・イーストレック)米国 1969年 監督:シドニー・ポラック 出演:バート・ランカスター、ピーター・フォーク、パトリック・オニール
* 三作とも音楽が印象的。1、アーネスト・ゴールド。2、エルマー・バーンスタイン。3、ミシェル・ルグラン。自転車や水泳同様、小さいころに刷り込まれたメロディは身体が覚えているものですね。
笹本明男
【洋画】
1 道 1954年 伊 フェデリコ・フェリーニ監督 アンソニー・クイン ジュリエッタ・マッシーナ、
2 俺たちに明日はない 1967年 米 アーサー・ぺン監督 ウォーレン・ビーティー・フェイ・ダナウェイ
3 ブリキの太鼓 1979年 独仏 フォルカー・シュレンドルフ監督、・ダービット・ベネント アンゲラ・ヴィンクラー
小野友貴枝
【邦画】
1 蝉しぐれ 2005年 藤沢周平原作 黒土三男監督 市川染五郎 木村佳乃 緒形拳
2 沈まぬ太陽 2009年 山崎豊子原作 若松節朗監督 渡辺謙 三浦友和 石坂浩二
3 霧の旗1965年 松本清張原作 橋本忍脚本 山田洋次監督 倍賞千恵子・露口茂・滝沢修
【洋画】
1 戦場のピアニスト 2002年 仏独英ポーランド合作 ロマン・ポランスキー監督 エイドリアン・ブロディ トーマス・クレッチマン
2 シンドラ-のリスト 1993年 米 トーマス・キニーリー原作 スティーヴン・スピルバーグ監督 リーアム・ニーソン
ベン・キングズレー レイフ・ファインズ
3 アンナカレーニナ 2012年 英 ジョー・ライト監督 レフ・トルトイ原作 キーラ・ナイトレイ ジュード・ロウ
市原礼子
【邦画】
1 羅生門 1950年 黒沢明監督 京マチ子 三船敏郎
2 雨月物語 1953年 溝口健二監督 京マチ子 森雅之
3 ビルマの竪琴1956年 市川昆監督 安井昌二 三國連太郎
*邦画についての記憶がないのです。順位は関係なく、印象の強い作品です。ビルマの竪琴だけは映画館で観た覚えがあるが、あとは大人になってからテレビで観たと思います。ビルマの竪琴は、水島がビルマに残るところで涙がとまらなかった。黒沢映画の映像と音楽が妖しくて、京マチ子の妖艶な美しさに、日本女性の色気はこれなのかと思いました。
【洋画】
1 シベールの日曜日 1952年 仏 監督セルシュ・ブールギニョン
2 大いなる勇者 1972年 米 監督シドニー・ポラック ロバート・レッドフォード主演
3 スタンドバイミー 1986年 米 監督ロブ・ライナー 原作スティーブン・キング短編集恐怖の四季の中の秋の物語死体。
*心に残る洋画です。若いころはほとんど洋画を見てました。学生時代に下宿していた三軒茶屋や渋谷の名画座で観てました。でもこの三作品は、映画館で観たのは大いなる勇者だけで、あとはテレビですね。シベールの…の記憶をなくした兵士の演技が謎を呼び、最後はどうなったのか友人と語り合った覚えがあります。大いなる…は新宿の映画館で観て、ロバート・レッドフォードのファンになりました。スタンド…は何回でも観たい映画です。曲もすごく良い。ベン・E・キングの歌があっての映画と思います。
取井 一
【邦画】
1 にっぽん昆虫記 1963年 長谷部慶次原作・脚本 今村昌平監督 左幸子 北村和夫 河津清三郎 吉村実子
* 男の観念など女々しく見える女の圧倒的パワーを描いた。主演の左幸子はベルリン国際映画祭において日本人初の主演女優賞を受賞した。この年ケネディ暗殺事件があり、テレビの報道番組が受け、映画館数、観客数が減り始めたが、興行収入はトップであった。
2 乾いた花 1964年 篠田正浩監督、池部良 加賀まりこ
* 勅使河原宏監督の「砂の女」などの大作の前で影が薄くなってしまったが、石原慎太郎原作を独自な映像美に仕上げた才能が光っている。日本の美女のイメージ・価値観が変わったのはこのときの加賀まりこからといわれる。新幹線開通、東京オリンピック開催という華やかな時代にあって、篠田のニヒリズムは考えさせられる。
3 39 1999年 森田芳光監督 鈴木京香 堤真一 岸部一徳 吉田日出子 國村隼 江守徹 杉浦直樹
* 森田監督の中では最高傑作。死刑を望む猟奇的殺人犯(堤真一)と、女性精神鑑定人(鈴木京香)との行き詰まる対決から明らかになっていく。「39」とは刑法第三十九条のことである。
【洋画】
1 欲望 1966年 英伊合作 ミケランジェロ・アントニオーニ脚本・監督 デヴィッド・ヘミングス
2 沈黙 1964年 スウェーデン イングマール・ベルイマン監督 イングリッド・チューリン グンネル・リンドブロム
3 セヴン 1995年 米 デヴィッド・フィンチャー監督 ブラッド・ピット モーガン・フリーマン
外狩雅巳
【邦画】
1 キューポラのある街 1962年 浦山桐郎監督 早船ちよ原作 吉永小百合 浜田光夫 市川好郎 加藤武
2 戦争と人間 1945年 五味川順平原作 山本薩夫監督 浅丘ルリ子 栗原小巻 高橋悦史 高橋英樹 三國連太郎
3 七人の侍 1954年 黒澤明監督 三船敏郎、志村喬
【洋画】
1 自転車泥棒 1948年 伊 ヴィットリオ・デ・シーカ監督 ランベルト・マジラーニ
2 灰とダイヤモンド 1957年 ポーランド アンジェイ・ワイダ監督 スピニグエフ・チブルスキー
3 モロッコ 1930年 米 ジョゼフ・スタンバーグ監督 ゲイリー・クーパー パレーネ・デイトリッヒ
佐藤隆之
【邦画】
1 フラガール 2006年 監督 李 相日
2 容疑者Xの献身 2008年 原作 東野圭吾 監督 西谷弘
3 細雪 1983年 原作 谷崎潤一郎 監督 市川崑
【洋画】
1 十戒 1956年、監督 セシル・B・デミル
2 ハリーポッターと賢者の石 2001年 原作 J.K.ローリング 監督 クリス・コロンバス
3 燃えよドラゴン 1973年、監督 ロバート・クローズ
宮越 勉
【邦画】
1 七人の侍 1954年 監督・黒澤明 主演三船敏郎 志村喬 *志村喬が格好よかった。とにかく出だしからラストまで面白い。時代劇の傑作だ。
2 砂の器 1974年 監督・野村芳太郎 原作・松本清張 主演・丹波哲郎、加藤剛
*原作を上回る傑作だと思う。加藤嘉、緒方拳などの脇もいい。
3 宮本武蔵 1961年〜1965年 監督・内田吐夢 原作・吉川英治 主演・中村錦之助
*見せ場たっぷりの超大作。宮本武蔵はこれが一番だ。
【洋画】
1 ベン・ハー 1959年 米 監督・ウィリアム・ワイラー・原作・ルー・ウォーレス 主演・チャールトン・へストン
*波瀾万丈、中学生の時観て感動した。
2 道 1954年 伊 監督・フェデリコ・フェリーニ 主演・アンソニー・クイン、ジュリエッタ・マシーナ
*他のフェリーニ作品もよいが、私はこれが一番。
3雨に唄えば 1952年 米 監督・ジーン・ケリー、スタンリー・ドーネン・主演・ジーン・ケリー、デビー・レイノルズ
*楽しい作品。南太平洋も好き。
赤穂貴志
【邦画】
1 新幹線大爆破 1975年 監督:佐藤純彌 主演:高倉健、宇津井健 緻密な脚本構成はサスペンス映画のお手本。演出、音楽も冴え2時間半の長尺を感じさせない娯楽傑作。
2 軍旗はためく下に 1972年 監督:深作欣二 原作:結城昌治 主演:丹波哲郎、左幸子 極限状態に置かれた前線兵士たちの業を描く。深作の演出は観客を絶望の深淵に突き落とした。
3 黒い画集 あるサラリーマンの証言 1960年 監督:堀川弘通 原作:松本清張 主演:小林桂樹、原知佐子 小林桂樹の最高傑作。日常を望むサラリーマンが自らの嘘に追い詰められていく悲劇を描く。
【洋画】
1 激突! 1971年 米 監督:スティーブン・スピルバーグ 主演:デニス・ウィーバー 何気ない行為が大事件へと発展する。窮鼠猫を噛む、柔能く剛を制すラストは日本人好みだ。
2 ニューシネマ・パラダイス 1988年 伊仏 監督:ジュゼッペ・トルナトーレ 主演:フィリップ・ノワレ 映画への愛にあふれかえった作品。一方で映画は興行という一面に気づかせられる。
3 殺人に関する短いフィルム 1988年 ポーランド 監督:クシシュトフ・キェシロフスキ 主演:ミロスワフ・バカ 個人による殺害と国家による殺害の対比。東ヨーロッパの寒々しい映像がクールに訴えかける。
井上二葉
【邦画】
1 男はつらいよ 寅次郎忘れな草1973年 監督:山田洋次 主演:渥美清・浅丘ルリ子
2 お茶漬の味 1952年 監督:小津安二郎 主演:佐分利信・木暮実千代
3 晩春1949年 監督:小津安二郎 主演:笠智衆・原節子
佐藤文行
【邦画】
1 蜘蛛の巣城 黒沢明監督 三船敏郎主演 シェイクスピアのマクベスを翻案 京マチ子のマクベス夫人の狂気と、城主の首を貫いた弓の矢(まっすぐではなかった)が明瞭な映像記憶になっている。
2 笛吹童子 監督不明 主演:東千代の介 ひゃら〜りひゃらりーこというテーマ音楽と一体でよみがえる。音楽と映像の記憶が一体化した初期の例になっている。空を飛ぶとき乗っている雲の素材が堅そうで気になっている。
3 フランキーの牛乳屋 主演:フランキー堺 小1のころ小田急線/経堂にあったション便くさい映画館経堂エトワールで母と覧た。フランキーが裸の女性が入浴する湯船に彼女から目を背けて牛乳を注ぐとき、その理由がわからず、となりの母になぜ?としつこく訊いたが、母はこちらを振り向きもせずに頑なに固まっていた。ぼくは、訊いてはならないことを質問したらしいことに気づいたが、その理由が理解できなかった。怪訝の原点。
【洋画】 題名以外のデータ不明ですが・・・
1 西部戦線異状なし 浪人時代によく渋谷の前線座に潜り込んだ。一日居ても100円だった。戦争に子どもを狩り出す教師、戦争の中での個人の優しさのむなしさ。
僕の人生観構築における柱の一本になっている。
2 AI 監督はスピルバーグ? 母への想いが感動的だった。ぼくは日常おかあさん!と(心の中で)言わないようにしてきた。涙の開栓を避けるためだ。なぜごまかしてきたのか。
3 わが闘争 実録映像に血の沸く様な思いが。新宿の武蔵野館にて。戦争と兵器、破壊がなぜか興味を駆り立てる。この心理が問題だと密かに思う。自分が決して優しくないことを自覚。
澤田繁晴
【邦画】ベスト3
1 雨月物語 1953年 溝口健二D. 森雅之、京マチ子
2 生まれては見たけれど 1932年 小津安二郎D. 斎藤達雄
3 清作の妻 1965年 増村保造D. 若尾文子、田村高広、小沢昭一
【洋画】ベスト3
1 第三の男 1943年 英 キャロル・リードD. ジョゼフ・コットン、アリダ・ヴァリ
2 俺たちに明日はない 1967年 米 アーサー・ペンD. ウォーレン・ビーティー フェイ・ダナウェイ
3 裁かるるジャンヌ 1928年 仏 カール・ドライヤーD. モーリス・シュッツ ファルコネッテイ
次 イワン雷帝 1945年 露 セルゲイ・エイゼンシュタインD.
大堀敏靖
【邦画】
1 ゆきゆきて、神軍 1987年 原一男監督 奥崎謙三
2 愛のコリーダ 1976年 大島渚監督 藤竜也 松田英子
3 亀は意外と速く泳ぐ 2005年 三木聡監督 上野樹里
【洋画】
1 燃えよドラゴン 1973年 米・香港 ロバート・クローズ監督 ブルース・リー
2 自転車泥棒 1948年 伊 ヴィットリオ・デ・シーカ監督 ランベルト・マジラーニ
3 サーカス 1928年 米 チャーリー・チャップリン監督・主演
岩木讃三
【邦画】
1 幸福の黄色いハンカチ 1977年 監督/山田洋次 主演/高倉健 倍賞千恵子 武田鉄矢 桃井かおり
2 ALWAYS 三丁目の夕日 2005年 監督/山崎貴 原作/西岸良平 主演/吉岡秀隆 堤真一 薬師丸ひろ子 小雪 堀北真希
3 男はつらいよ シリーズ 1969―1997年 監督/山田洋次 主演/渥美清 倍賞千恵子
【洋画】
1 フィールド・オブ・ドリームス 1989年 監督/フィル・アルデン・ロビンソン 原作/W・P・キンセラ『シューレス・ジョー 主演/ケビン・コスナー エイミー・マディガン
※〔コメント〕夢を追う者にとって、涙が止まらない。
2 スター・ウォーズ シリーズ、1977―2008年 監督/ジョージ・ルーカス
※〔コメント〕これぞSF映画の醍醐味。
3 ベン・ハー 1959年 監督/ウィリアム・ワイラー 原作/ルー・ウォーレス 主演/チャールトン・ヘストン
※〔コメント〕イエス・キリストの偉大さ。
猪熊雄治
【邦画】
1 泥の河 1981年 小栗康平監督 田村高広
2 幕末太陽傳 1957年 川島雄三監督 フランキー堺
3 仁義なき戦い 1973年 深作欣二監督 菅原文太
【洋画】
1 アデルの恋の物語 1975年 仏 トリュフォー監督 イザベル・アジャーニ
2 影の軍隊 1969年 仏 J・P・メルヴィル監督 リノ・ヴァンチュラ
3 アマデウス 1984年 米 ミロシュ・フォアマン監督
F・マーリー・エイブラハム
永野 悟
【邦画】
1 切腹 1962年 小林正樹監督 滝口康彦原作 橋本忍脚本 仲代達矢 三國連太郎 丹波哲郎
2 傷だらけの山河 1971年 石川達三原作 新藤兼人曲本 山本薩夫監督山村聡 高橋幸治 若尾文子 川崎敬三
3 キューポラのある街1962年 浦山桐郎監督 早船ちよ原作 吉永小百合 浜田光夫 市川好郎 加藤武
【洋画】
1 さすらいの青春 1968年 仏 ジャン・ガブリエル・アルビコッコ監督 ブリジット・フォッセー
2 戦争と平和 1967年 ソ連 セルゲイ・ボンダルチュク監督 リュドミラ・サーベリエワ
3 カサブランカ 1942年 米 マイケル・カーチス監督 ハンフリー・ボガード イングリッド・バークマン
* 邦画洋画ともに若い頃みて感動を受けた作品。小林正樹監督では他に「東京裁判」があり、戦争末期の特攻機の映像と玉音放送のフラッシュは創刊号でも引いた。他に、「男はつらいよ」シリーズをあげたい。洋画の1・2はともに高校時代にみた思い出深い作品。
小池金太郎
【邦画】
1 酔いどれ天使 1948年 植草圭之助原作・曲本 黒澤明監督 三船敏郎 志村喬 木暮実千代 久我美子
2 二十四の瞳 1954年 壺井栄原作 木下恵介曲本・監督
木下忠司音楽 高峰秀子 夏川静江 笠知衆 田村高広
3 人間の条件 1959年 五味川純平原作 松山善三脚本 小林正樹監督 仲代達矢 新珠三千代 佐田啓二 山村聡 有馬稲子
次 喜びも悲しみも幾年月 1957年 木下恵介原作・曲本・監督 佐田啓二 高峰秀子 田村高広 夏川静江
【洋画】
1 アラビアのロレンス 1962年 英 デビッド・リーン監督 ピーター・オトゥール アレック・ギネス
2 ウエストサイド物語 1961年 米 ロバートワイズ監督 リチャード・ベイマー ナタリー・ウッド
3 老人と海 1958年 米 ヘミングウェイ原作 ジョン・スタージェスト監督 スペンサー・トレーシー
次 荒野の決闘 1946年 米 ジョン・フォード監督 ヘンリー・フォンダ リンダ・ダーネル
鎌田良知
【邦画】
1 ビルマの竪琴 1985年 市川昆監督 中井貴一 石坂浩二
2 加藤隼戦闘隊 1944年 山本嘉次郎監督 藤田進
3 銀河鉄道の夜 1985年 杉井ギサブロー監督 宮沢賢治原作 細野晴臣
【洋画】
1 かくも長き不在1961年 アンリ・コルピ監督、アリダ・ヴァリ ジョルジュ・ウィルソン
2 ダンス・ウィズ・ウルブズ1990年 ケビン・コスナー監督・主演
3 アマデウス1984年 ミロシュ・フォアマン監督、F・マーリー・エイブラハム トム・ハルス
草原克芳
【邦画】
1 ツィゴイネルワイゼン 1980年 鈴木清順監督
原田芳雄 大楠道代 藤田敏八 大谷直子 悪夢的幻想美と、大正ロマンの郷愁的空間。非リアリズム的会話の妙味。
2 マルサの女 1987年 伊丹十三監督
宮本信子 山崎努 津川雅彦 卓抜な社会批評とユーモアが光る知的エンターテインメント。早世が残念な監督。
3 椿三十郎 1962年 黒沢明監督 三船敏郎 仲代達矢 入江たか子 志村喬 伊藤雄之助 前作用心棒同様、構成力のしっかりした脚本の魅力。むさ苦しい三船敏郎がいい。
【洋画】
1 マクベス 1971年 ロマン・ポランスキー監督
ジョン・フィンチ フランセスカ・アニス人間的にはロクでもない芸術家が、最高の映画を創る好例。マクベス夫人の狂気は見所。
2 ブルーベルベット 1986年 デヴィッド・リンチ監督 カイル・マクラクラン イザベラ・ロッセリーニ デニス・ホッパー 妖しくも不健康なリンチ美学の世界。罰あたりで甘美な毒に酩酊する。
3 カメレオンマン 1983年 ウッディ・アレン監督 ウッディ・アレン(主演・監督・脚本) ミア・ファーロー 環境にあわせて擬態するナチス時代の人間心理をえぐる。鋭い時代批評。
安宅夏夫
【邦画】
1 わが青春に悔なし1946 黒沢明D 原節子、藤田進
2 野菊の如き君なりき1955 木下恵介D 笠智衆、有田紀子
3 浮雲1955 成瀬巳喜男D 高峰秀子、森雅之
【洋画】
1 地獄に堕ちた勇者ども1969(伊)ルキノ・ヴィスコンテイD ヘルムート・バーガー、イングリット・チューリン
2 恐怖の報酬1952(仏)ジョルジュ・クルーゾーD イヴ・モンタン、シャルル・ヴァネル
3 エレ二の旅2004(仏・希・伊)テオ・アンゲロブロスD アレクサンドラ・アイデイニ
次 ピアノ・レッスン1993(仏・ニュージーランド・豪)ジェーン・カンピ二オンD ホリー・ハンター、ハ―ヴェイ・カイテル、アンナ・パキン
大和田茂
【邦画】
1 日本の青春 1968年小林正樹監督 藤田まこと主演
2 エロス+虐殺 1970年 吉田喜重監督 岡田茉莉子主演
3 いつか読書する日 2005年 緒方明監督 田中裕子主演
【洋画】
1 地の塩 1954年 米 ハーバード・J・ビーバーマン監督 ロザウラ・ビブエルタス主演
2 ユリシーズの瞳 1995年ギリシャ テオ・アンゲロプロス監督 ハーベイ・カイテル主演
3 芙蓉鎮 1987年 中国 シェ・チン監督 リュウ・シャチン主演
川本 圭
【邦画】
1 おくり人 2008年 滝田洋二郎監督 本木雅弘 、広末涼子 山崎努
2 時代屋の女房 1983年 森崎東監督 夏目雅子渡瀬 恒彦3 セーラー服と機関銃 1981年 相米慎二監督 赤川次郎原作 角川春樹製作 薬師丸ひろ子、渡瀬恒彦
*おくり人は母が亡くなったばかりだったので胸に響くものがありました。時代屋の女房は若き日の憧れでした。
【洋画】
1 セブン 1995年 米 デヴィッド・フィンチャー監督 ブラッド・ピット モーガン・フリーマン
2 ステインバイミ ー 1986年 米 スティーヴン・キング原作 ロブ・ライナー監督 ウィル・ウィートン リバー・フェニックス
3 アンタッチャブル 1987年 米 ブライアン・デ・パルマ監督 ショーン ・コネリー・ケヴィン・コスナー
*セブンは私自身にもある欲望の怖さが身に染みた。
小林弘子
【邦画】
1 遥かなる山の呼び声 1980年 山田洋次監督 高倉健 倍賞千恵子
2 幸せの黄色いハンカチ 1977年 山田洋次監督 高倉健 倍賞千恵子
3 二十四の瞳 1954年 木下恵介監督 木下忠司音楽 高峰秀子 天本英世 笠智衆 田村高広
*私は山田洋次監督の寅さん<Vリーズの48作品のほとん
どを見ています(つまり寅さん<tァンです)。また、川島重雄という監督作品も記憶に残っているのですが、タイトル忘れました(新珠三千代、三橋達也が出ているものです)。 編集部注 「洲崎パラダイス赤信号」ではないでしょうか。1956年 芝木好子原作 川島雄三監督 新珠三千代 三橋達也 轟夕起子
【洋画】
1 風と共に去りぬ 1939年 米 ヴィクター・フレミング監督 クラーク・ゲーブル ヴィヴィアン・リー
2 誰がために鐘は鳴る 1943年 米 サム・ウッド監督 ゲーリー・クーパー イングリット・バークマン
3 アウトロー 1976年 米 クリント・イーストウッド監督・主演
武藤武美
【邦画】
1 チョコレートと兵隊 1938年 佐藤武監督 藤原釜足 高峰秀子
2 たそがれ酒場 1955年 内田吐夢監督 小杉勇 津島恵子
3 下町 1957年 千葉泰樹監督 山田五十鈴 三船敏郎
【洋画】
1 赤ちゃん教育 1938年 米 H・ホークス監督
キャサリン・ヘップバーン ケーリー・グランド
2 大砂塵 1954年 米 N・レイ監督 J・クロフォード S・ヘイドン
3 眼には眼を 1958年 仏 A・カイヤット監督 C・ユルゲンス F・ルリ
*映画の傑作は無声時代に出揃っているようです。右の六作品は、見逃がされやすい逸品です。未見の方にぜひお薦めします。
小笠原寿彦
【邦画】
1 復讐するは我にあり 1978年 佐木隆三原作 今村昌平監督 緒形拳 三國連太郎 ミヤコ蝶々 倍賞美津子 小川真由美
2 赤い殺意 1964年 藤原審爾原作 今村昌平監督・脚本
西村晃 赤木蘭子 春川ますみ 宮口精二
3 沈黙 1971年 遠藤周作原作・脚本 篠田正浩監督 武満徹音楽 デイビッド・ランプソン ダン・ケニー 岩下志麻
【洋画】
1 勝手にしやがれ 1958年 仏 J・L・ゴダール監督 J・P・ベルモント ジーン・セバーク
2 沈黙 1964年 スウェーデン イングマール・ベルイマン監督 イングリッド・チューリン グンネル・リンドブロム
3 灰とダイヤモンド 1957年 ポーランド アンジェイ・ワイダ監督 スピニグエフ・チブルスキー
杉浦信夫
50年以上昔のことですが、今は無い瓢箪池のそばの様々な出し物の思い出とともに、六区の映画街で、たとえば「大いなる西部、OK牧場の決闘、駅馬車」など青春の輝かしい思い出となっている作品がたくさんあります。ジョン・ウエインの出演作はほとんど見ています。アラン・ラッドの「シェーン」も良かった。
長野克彦
【邦画】
1 蔵 1995年 宮尾登美子原作 降旗康男監督 浅野ゆう子一色紗英 夏川結衣 *同年NHKでは松たか子主演で放送された。
【洋画】
1 ロミオとジュリエット 1968年 英 フランコ・ゼフィレッリ監督 レナード・ホワイティング オリヴィア・ハッセー
2 赤と黒 1954年 仏伊 クロード・オータン=ララ監督 ジェラール・フィリップ、ダニエル・ダリュー
3 風と共に去りぬ 1939年 米 ヴィクター・フレミング監督 クラーク・ゲーブル ヴィヴィアン・リー
永野裕二
【邦画】
1 紅の豚 1992年 ジブリ作品の最高傑作。まさに格好いいとはこのこと。特にラストのお登紀さんの唱が良くてマッチしている。
2 東京物語 1953年 小津安二郎 流石外国人記者の投票で1位になるだけのことはある。家族と言うものを考えられさせる。杉村春子の演技が何ともいえない。
3 息子 山田洋次 1991年 オムニバスで三國連太郎演ずる田舎のオヤジが東京に出てくる件が話の軸だが、ラスト誰もいない田舎の大きな家に帰って、若き日の大家族のシーンを思い出す場面が秀逸。
*ほんとは3位に山内久(原作・脚本)の「若者が行く」(1969年)を入れようと思ったが、名優(三國連太郎)が没したので敬意を表して。
【洋画】
1 第三の男 1943年 英 キャロルリード 怪優オーソンウエルズの演技が光る。殊に久しぶりに顔を出した時の表情が何ともいえない。最初のチターの鳴るシーンが名曲と共に感動的。ギターで練習した。ラストシーンが光り、名画のようだ。
2 サウンド・オブ・ミュージック 1965年 米 何のかんのいいながら入れざるを得ない。音楽が凄すぎる、全て名曲。
3 ステンドバイミー 1986年 米 3位は「明日に向かって撃て」とか「スティング」とか「禁じられた遊び」とか「自転車泥棒」とか色々浮かんだが、これにするだか。少年の日の追憶というか切ないのう。
勝原晴希
【邦画】
○ 田園に死す 1974年 原作・監督・脚本 寺山修司 主演 菅貫太郎、高野浩幸、八千草薫、原田芳雄
記憶に残る映画は数多いですが、<群>としてATG(日本アート・シアター・ギルド)作品の、匂いというか感触は今も生々しく、『田園に死す』は人力飛行機舎とATGの共同作品です。あの衝撃が何かは、未だに分かりません。自分でも気づかない、いや自分のものとは思えない、どろどろとした情念が呼び起こされるのは、怖いくらいです。
【洋画】
○ コレサニャン 鯨取り 1984年 監督ペ・チャンホ 主演 アン・ソンギ、キム・スチョル、イ・ミスク
洋画ではありませんが、もっとも記憶に残る外国映画です。封切りの時にソウル(もしかするとテグ)で見ました。ハンガンの奇跡といわれる高度経済成長のなかで失われてゆくものへの哀惜に満ちた、明るく楽しいのに暗く悲しい映画でした。韓国語はまったく分からなかったのに、なぜか心に染みました。