『群系』 (文芸誌)ホームページ 

荻野 央 詩集 『ねう』の世界 (全)  31号(前半)+32号(後半)




詩集 「ねう」の世界 (前半)


           〜間島康子小論〜 


                     荻野 央





 この詩集を開いて目に飛び込んできた間島氏の言葉が、彼女の地表から不自由であると直感したとき、「ねう」に対するわたしの批評的な感想(あるいは感想的な批評)が膨らみはじめ止まらなくなり、それら不自由な言葉たちが私の空想の扉をこじ開けた。

「ねう」は、<空>(7つの詩)、<いのり>(8つの詩)、<ねう>(9つの詩)、<はなの道>(5つの詩)の4部構成である。


「博物館からあなたへ」

  詩集の冒頭に置かれた作品。


 “わたくしの一角に/あなたへの言葉があるように/地球の重さの一部が/わたくしである”


 この作品は詩集全体をおおう作者の期待を暗示している。おさめられた作品の終わりにか始まりにか…いずれかの時点に書かれたこの作品で、言わば、博物館のような「わたくし」に収蔵されている遺物(経験)は、すべてすでに遠いものに変容しているけれども、地球という天体の宿命から逃れることはないと歌われる。地球とはもちろん「世界」の謂いである。

 あなたへ届けられる言葉を「わたくし」は覆っているだろうし、つまり超え出ているけれど、放たれた言葉には世界の重量の近似値が含まれているので、あなたが「わたくし」を受け止められることを保証することができると読む進めるうちに、空想する機械がぴたり同期してわたしのなかで詩的な広がりを始める。


 “地球の広さは途方もないもののようで/わたくしの移動も限られている/しかし/この一点に世界と時間をすぼめていけば/全ては遠く大きく

  閉じられたもの/と思うのだ

  そうして/閉じたわたくしのなかで/そっとあなたへの言葉がひらく”


 詩人の取りあつかう様々な主題は自己への還元という詩的作用のなかで鍛練されて様々な抽象にまとめられ、時間も空間も宇宙的な視野において詩人の一点に収斂されていくから、針小棒大に閉じているものから開いていくことになる。その作用を通して「わたしとあなた」という絶対的な関係にそれらの主題は存在している。作者の詩に対する流儀作法を思い知らされ、鮮やかにひとつの確かな<詩考>の現われを見た思いがする。



「空」

  <空>の二番目に置かれた作品。

 巨きな空に見上げる多数の視線のうちのひとつ、それはわたしの視線。わたしが嬉しいときは空はくっきりと色彩を際立たせ、わたしが辛いときは空は曇天に偽装するように、空は地表からの視線の数だけ多様であり、多面的だ。Sky、Himmel、Ciel。船も海も女性名詞…空は男性名詞。またSky,Himmelは天国の意味も持ち合わせ、複雑な広がりにおいて彼に優るものはないことを知らなくてはならない。いっぽう彼女は大空を支える重大な水平線の視線であり、撓みながら彼を愛していることも知らなければならない。


  “ある日/わたしはかなしい空を見た/それから/どんなに晴れようと/前のようには/空を見上げることはできなくなった/木々の葉が落ち/

  空の面積が大きくなって/まっすぐに青い空が広がっても/心底受け止めることができなくなった”


 空には表情が無いはずなのに。

「わたし」が鏡の空を見あげるときに抱く感情と空が反映する色彩のすべてを見つけて、それは「わたし」だけのものだと言ってみた。曇天の、夕辺の、夜の空の、朝焼けの、すべての見上げる者たちへの期待は、みんな「わたし」のもの。ただ一つ、悲しみの感情に支配されるとき、「わたし」はただ見上げる行為にしがみつくことだろう。「わたし」のなかの感情は「わたし」の視線が突き刺すときの空の表情として現われ、同じように見上げている他の人々と合同してしまう。

 空は表情を持たぬ、というわけにはいかないのではないだろうか。


 “かなしみ/という文字の代わりに/一つの淡い光る芽のようなものを/そこに/見ることはできないか”


 これが空の答えである。あらかじめ「わたし」の中に芽生えていた無表情として、空と「わたし」と感情の反映と見上げることからの、さかさまの反映の連続が示すもの。「わたし」が悲しい空だ、といいのけたときから始まった、わたしの心の光景が見えてくる。望みとそれに似たようなもの、希望と希望に似たものは、空だけにとどまらず、海にも、道端の石にも、調和する円にも、サイクロイド(円周上の定点の軌跡)の神秘にも存在する。微細な宇宙から無辺の宇宙に対峙する作者のスタイルが、空を見上げる一人の「わたし」ではない「わたしたち」にあるわけだから。

・知ることの無かった「詩の力」の確かな一つの在り様を教えられたように思う。



「白い家まで」

 四番目に置かれた作品。死者たる友人の家の訪いから逃れるようにしてその人は帰路をひた走る。


   “親しい友の静寂の家から車は滑り出した/過ぎた時間の身代わりにと株分けされた/あやめが開きはじめた庭の傍らから/新緑の被さる車通りを/

   カヌーの浮かぶ湖に沿って/友の横顔の向こうに風は切られる/変わりつづけた沿線は/いつからか黙って口を閉じ/古びるほどの思い出とはなら

   ずすぐ隣りに寄ってくる/あれもこれもあの時ここであれとこれがあれがそれが/友の記憶から手繰り出されたことどもが/日に焼けた地図のうえ

   に糸の道となってしみ出てくる”


 この作品の疾駆感と静寂の奇妙な混淆のつくりだす不安定感は、たんに「悼む」心映えからやってくるものだろうか。違うと思う。悼むことに反抗するその人は、生きていてほしいという希望をどうしても捨てられないのだ。でも友人はいない。「わたしたち」の生きていた時代は修辞のなかにおいて「句読点」の濃淡の繰り返しに示されるしかないのだ。「句読点」は二人の関係、生死の屹立を表現して復活の希望と絶望の反復を表現している。しかもその幻の現象が、そのひとの「席」に生じている。でも永続しないだろう、と作者は語るだが…。


   “林に続く裏庭に向かって一列に揺れるあやめ/変わらぬ形はそこにそのままある

    その形に隈取られて行なわれたことは/まどろみのなかに熟し/推敲され校正され/一冊の記憶となり/いつか/改訂されることも/なくもな

   いことかもしれない”


 あやめの列に、膨らんだ友への思いの一つのかたちを見ているのが、やがて編纂されて記憶という静かな書物に変じて、自身の「改訂」がなされるだろうという予感でこの作品は終わる。

 訪いを回避して思い出の力強さを嬉しく思うとき、このような書物への努力は苦しみをともなうものではない。誰かが言ったように、シジフォスが転落していく岩を平然と眺めることのできるのは、彼がその岩に「俺のものだからな」とほくそえむからである。そのようなスタイルで、努力は嬉しさと並行してなされるということになるだろう。その人の思いは通じるに違いない、いなくなった友人へ。そのような印象を持った。


「四月十九日」

 五番目に置かれた作品。詩想の位置の移動が自在なとき、詩人は自由度を増すというものだ。詩的可能性の位置の自由度。生まれた作品のなかで、その人は窓辺の椅子に腰かけ冷たいレモネードをストローで乾いた咽を潤し、向かい側の教会の屋根をながめている。そのひとの内部では夢幻のような自分の移動が生じている。


   “教会の屋根に緑したたる朝/魂の置き場所を変えた

   望んでしたことではなかったので/長い一日が/他人事のようにはっきりと目の前を動いた/曖昧な情緒を捨てたので/すらすらと事が運んだ”


 或るきっかけから、その人の想っている位置の移動が生じて、見慣れていた教会の屋根の緑に「わたし」がいる。その日から様々な事物や現象が、その人との直接な触れ合いから離れていって、他所他所しく振る舞いはじめる。”魂の置き場所”を変えると、すべての(自分も含めた)心的対象は向こう側の対象に変わる。そのような、気づきにくい微かな変化を見抜く作者の表現の視点と力は鮮やかなものであると思われる。これは詩を生みだすときの、大切で重要な基本の一つであり忘れてはならないものだ。

 そして―引き剥がされたような「わたし」はもう待つしかなく、多くの他人の混雑のなかに心許す友人はいなくなり、外出は不可能で読書もできずにいる。突っ立っている一本の「血の詰まった袋」であるにすぎない状態に在ることに、他者たちの膨大縮小、知恵どもの膨大縮小、新たな出会いなど―世界は「わたし」とは無関係な位置へ移動していることに気がつかされる。決定的な一人なのにもかかわらず、事物と現象の総体はが滑らかな状態に在ることに、読者は皮肉に思うことだろう。それらのすべての対象が高い平滑性を帯びる時に生じる正直な感想である。そして…


   “向かい側に教会があった/人足がまばらに横の道を急いでいた/背の高い木が若い緑を吹きそれが/朝日に溶けるように屋根に映っていた”


 「想っている位置」の移動の効果は、これまでの狎れきって飽いてしまった感懐からの自由を更新し、異なる感懐を匂いを放つに違いない。だから、教会の屋根の緑色の侵食とか、太陽の灼光の惑乱とか、雪の中の失恋、砂を食う時の退廃…これらは「わたし」のなかにあるものであったのに、より一層の朝座やかな彩りを帯びることになるだろう。


   “季節は静かに美しくあった/この日でよかったのだろう/雨も降らず/風も吹かず

    ただ緑がしたたる”


 或る一日の或る季節の或る美しさを、教会の屋根から見い出している事態にいる、その人。詩的認識の移動の生み出す素敵な事態はとても魅力的なのだ。作者も、読者も。



  「晴れ男」

 <空>に続く、第二部<いのり>の一番目に置かれた作品。天気にまつわる科学的でない「機運」とも言うべきものを持つ男の話だ。彼は毎日彼の予報に乗じている。明日は明後日は?

 晴れ男の異名が男を裏切ることはままあることだ。曇天の憂鬱、雨天の不透明感、未明と夕べに描かれるTwilightにひそむ不本意、そして深夜の後悔か失意…空のさまざまな形相たち。そんなとき、男は戸惑いを隠せない。


   “けれど/そんな時は/黙ってただ口をつぐんで/自分のなかのとおくを見ている”


 風の具合をしらべ空気を計量して、自分の内奥の「遠いもの」に手を延ばす男に、言葉から逃れるように変容しない諸単語が彼に殺到するのだ。快晴か、雨降りか、暴風か、雪か、不吉か、罪のような霧か。それらは日々交代して男のそばに佇んでいて、男にとって心地よい気分を提供している。

 彼の内部にひそみ表現を拒む「遠いもの」は彼において不動なるものであり、彼自身を予感させているものである。つまり自体的に在るとする表現が素敵なのだ。素敵で重要で、彼の始めから終りまでを支えている「遠いもの」。実在しない「遠いもの」は彼の名前を神秘性で包み、かたち取る。神秘性のうちで彼はそれと交感をおこない空の様々な表情を予言できるというわけである。いや予言ではない、断言に近い。予言は一種の幸福な行為と言っても良いかもしれない。なぜなら見えないはずの「遠いもの」が笑いながら近在に見え隠れしているのが分かるからだ。それこそ彼の「機運」とでも言うべきものだろうか。


   “男は晴れる/ここがその時/自然に今がそうだという時/男はきっと/晴れている”



  「待つ日々」

 三番目に置かれた長編作品。死に向かうわたしを見つめるわたしの物語は、転生ならぬわたし個人のうちに、輪廻/回帰から生まれてきた。


   “ゆっくりと/できるだけゆっくりと/頁を繰ろうとしている”


 最初の連で、死者に似たような「わたくし」の日々が語られているが、この場合、「窓辺に朝陽を浴びることで一日の長さが与えられる」ことでそれぞれの一日の長さが決められていて、「わたくし」は太陽の光の量と輝度に応じて「遠いもの」を感覚し、旅(「静かに階段をおりてゆく」)に出発「していく」こと。

 一般的に固有の日々の切断を悼んだり、ましてそれに対して思考の矢を放たないものだから、ゆくり死の傍にいるという特殊から現れる、自己の定立は様々な心象を生み出すのである。(自覚されない意味が日々捨てられているというのは、逆説的な幸福であろう)


   “まだ眠っている/もう目覚めている/床の上に座っている/体温を計っている/昨日がつづいている”


   “漲る力はもういらない/滾る熱で動かされなくてよい/陽の色が変わり/風が向きを変え/ささやかな移ろいが新しい日々となる/そんな時間

   が体をそっと通り抜けてゆくこと”


 昨日今日明日の長い連続態に、「わたくし」はいつも新しいもの、「今」を未来と現在の揺るぎない現在として厳しく確認していて、過去形としてしか見えぬ「昨日」に「今」を被せようと試みている。これは大切な自己への愛の詩であって、「わたくし」は自分の肉体を通過する時間を捕まえたいほどの強さにおいて、歌われていると言えるだろう。苦々しい讃歌とでも言いたいくらいかもしれない。

 けれども作者はこの状態、この条件だけで「わたくし」のモノローグを終わらせない。死であれ、虚無にしても不在であるにしても、それぞれの喪失に代替する生命の誕生に作者の視線はしっかりと投げかけられているのである。かくして”生の実体”は不測なるものとでも言えよう。



 “エロティシズムの意味である生の約束と、死の豪奢な面との結びつきを見抜くためには多大な力が必要だ。死がまた世界の青春でもあることを、人類は  一致して無視している”

   (ジョルジュ・バタイユ、「エロティシズム」より)


 死亡から赤ちゃんの誕生までの多大なる力とは、バタイユの指摘するような両者の紐帯の再発見のことであり、まず昨日で在り続ける喪失の克服につなげられ、死が世界の無垢なる姿をほうふつとさせるものであることを告げることを言うのである。バタイユにおいて死と生は他人同士ではない。その意は、この作品にも含まれている。


   “もどることのない日々の記憶が/そうしようとおもうわけではないのに/どこからかたぐりよせられる/それらがやさしくふくらみほころび/

    ふと淡い錯覚がうまれる


   “花のように笑いたくなって/青い空のように笑わせたくなって/幼く小さいわたくしの真似をして/生まれた場所に出かけてみる“


 もう時間は「わたくし」を通り抜けて行かない、行かせてはならない。時は「わたくし」の中で滞まって、死亡と生誕、いな、回帰でも構わない、滞留しているときの発酵を見届けて「わたくし」は自分の目指す場所へ向かう。 幼年期は懐かしく、かき抱きたくなる美しい時間である。だからこそ、その時間は永遠に人の内部で生き延びる。死者に時間が存在しないように。

 作品のこの最後の連に、微笑みが、美しい空の青みと花の繚乱に見出せているので、読者に笑みが取り戻せる。その意味で幸福の詩なのかもしれない。



   「香気」

 七番目に置かれた散文形式の作品。

 冬から春へ行く季節のなか、病母を想う詩でありながらも想いが思いもよらぬ場面を作りだす。その場面とは―母のいない母の家で起きたこと、或る香しい匂いに満たされている場面だ。その場面に「わたくし」は立ち、匂いの在りかを尋ねている。そう……病母の病の匂い、呪縛的なオキシフルの、昇華した便の、配膳の残飯の生々しく事が混淆する空間から、また、横たえられた母を包囲する機器の電子音と脈拍の、あえかな音の塊から逃れて「わたくしの魂」は母の家に佇立している。「わたくし」が恐れてでもいるかのように錯覚するのは死の気配のする匂ではない、暗闇の静けさでもない。

 あの音の群れ、いま「わたくし」を包み込む黄色い香気。ふたつを放つ者は誰? 作者は匂いをただひとつの動きあるものと書きながら、思わず問うているのだ。母はいない、立ちつくしている「わたくし」の肉体に、何者かが放射している。花に隠れて、静寂の暗闇を抜けて何者かが、母のいない家に息づいていることに、はっと気がつく。


    “そこから戻り暗い家のドアを開けると香気が唯一動きのあるもののように立ってくる。その主は灯るあかりとともに透ける黄の花を静かに

    浮かび上がらせる”


 また、このような読み方もあり得る。「わたくし」は香気を放つ花を見ている。黄色が彼岸の色ならば、香気はいったい何の意味を匂わせるのだろう、と読者もいぶかしむことだろう。匂いなのに動きを持つが触れ得る実在とは考えにくい。でも「わたくし」を囲繞する匂いは確実にそこに在り、確実さに「わたくし」はすべてをゆだね、明日の母に会いに行くというのだから、空想になかの匂いと「わたくし」の行為が結びついているので、作者は言葉にしづらい言葉を編み出しているように読めてしまう。

 或るものと、何者か、と誰何する「わたくし」の、重ねられた構造があると思う。


   “わたくしはその空間にしばし止まる。無風に揺れるような香気に魂を置く。何ものかを通過させる/そうして/明日の母を訪ねるために

   眠りにつく。”


 詩の言葉の極限を読んだ思いがする。立ち上る香気と忌まわしい花の色の空間から或るものが確実さを得て、自分を通過することを許した途端に、たちどころに或るものは見えなくなる。「わたくし」は 明日の母に会いに行く。言葉になりづらい事態を引き受けていることが無意識になされるというところに、この作品の魅力があるのではないかと思うのだ。


 間島氏は、いたって平明な一つ一つの単語と一つ一つの文章に不連続性を保させながら、”安定した不安”というパラドキシカルな美の詩の世界を産み出す詩人だ。

 語における平明感と不連続性との、危うく幻惑的でありながら、いっぽうで率直さを隠さない氏の詩学は、彼女の作品たちに、不思議に充足される”神秘的なレトリック”を与えている。




ページの先頭へ  31号目次へ   トップへ





詩集 『ねう』の世界 (後半)


                 荻野 央



 前号に続いて、詩人・間島康子氏の言葉を聴く。


   「ねう」

 <ねう>の五番目に置かれた作品。


 “ねう”のアルファベット表記”neu”は、ドイツ語でノイと発音され「新しい」と言う意味を筆者は知った。伯備線の一つの駅の名前は、旅する詩人に「ねう」の語の音に或る神秘を覚えせしめ、その駅の名に思いを馳せている「わたくし」の心象は、次々と心の風景になる。その意味で旅はいつも「新しい」。


 旅を続けるのは「わたくし」と「あなた」。二人はお互いにとても大切な人。いつもは遠くに距てられている二人の、絶えざる新しさという覚醒が旅情のなかへ、もう一度染みとおっていく。


   “とおく離れて住むひとと/約束の旅をする/行先はどこでもいいのだけれど/会いながら遠く行く/ゆっくりと/伯備線を下って/初めての

   土地に出合う”


 二人が、それぞれに推し量っている、互いに互いを”帯同”する共有感覚。そして座席の二人の間に「ねう」の発音が顕れて、二人を静かな旅情へ押しやる。短い発音が、旅の始まりに顕われ二人を、もう結びつけている。

「会いながら遠く行く」の“ながら”は、隔てられた二人の関係の内容をすべて表現するものである。この言葉はこの作品のなかで重要な役割をはたす。”同一性”に接近していくその思いは、途次であるいは旅の終りに、なお一層ぶあついものになるのだろう。。


   “道すがら/次はどこ次は何/身を乗り出すように駅の名を読む/生山の次は「ねう」/ねえねうとはどんな字/ただ通り過ぎる土地が/緑の

   中に思いをふくらめて/美しい場所になっていく/音宇であるか根生であるか/あなたとわたくしの心が言葉を作る/どこか淑淑としたおもい

   を連れて/謎に近づいてゆく/速度を落としやがてそこに止まる電車が/たいせつなものを開けてみせる”


 ふあん、あい、ふじょうり、きょうふ、へいあん、うたがい…できれば避けて通りたい言葉の、それぞれの発音がきつく際立っていることは(嫌になるくらいに)「わたくし」には分かっている、心に直結する平仮名たちの豊穣。そして当てはめられた漢字の豊かさに惑う「わたくし」の耳朶に置かれた「ねう」は、小動物のように身じろぎもせず「わたくし」と「あなた」の漢字による愛撫を受けていることが、よく分かるのだ。 


   “「根雨」/わたくしとあなたは/思いがけない贈り物のように/その名を読んだ/てのひらに/小さな光りをのせたように/笑い合った/

   そして/電車は駅を出る/二つ三つと/重なる山の中腹に/白く霞がたなびいている”


 前の「生山」駅の駅名板の次に書かれた、次の駅名「ねう」の二文字が、漢字を得て、停車している列車の座席で「ああこういう漢字だったのだ、そうだったのだ」と嬉しく納得する旅情に染みていく。画然と「根雨」は屹立感を表わしているようで、ゆっくりと発車する列車の「わたくし」と「あなた」は窓を閉めながら「こんな字だったんだ、ふうん」とでもつぶやいているのだろうか。

根から流れ上がる雨水の駅名は一つの植物が夢想されて、その様子が微笑ましく温かい。(注)



  「坂の町にて」

 <ねう>の六番目に置かれた作品。


   “上がったり下がったりの道道。汗ばんだ額に手をかざしながら見はるかす海の色は、曇った風光に幾分沈んではいるが、そのために、水底に

   待っている光りの塊を予感させ、一層の旅情を湛える”


 海辺の町に上がり下がりの道があって旅人が歩いている。眼下の海がそびえるように巨きくせり出して、海の色と海水に湛えてられている光が、照らし出す様が、素敵な模様に織り込まれている書き出しである。

 この織り込みは、旅を、”愉しむ”ことのできる旅人に与えられた特権のようなもの。海の色にうっとりとして海水に秘められている光に眩しく思う愉楽。何ものにも換えがたい感情のもつれ、その海の色と光りのもつれ。


   “道端を掃いている。そんな何でもない動作を何ということなくこなしていることが不思議を見るような気すらしてくる。

   ―どうぞこの道をお通りください。”

 

 坂の途中で老婆と女の子に出くわし、二人の笑顔と挨拶の言葉に心うたれながら道を降りて行く。突然の他人との出会いに「どこか擬装された意識」を覚えて、海へ向かう道をもう一度見つめる。 老婆の口上に示された世界は黄泉の国ではなさそうで、と旅人は夢見るように下って行く。


   “冥府への札の代わりとすれば先は暗黒ではないかもしれない。通り抜けると萩の花が咲きこぼれている。金木犀も匂ってくる。町が生える。

   町が生え始めた。”


 坂を上がり下りして海が近づいてきて、すると、どこにでもありそうな普通の人々の動きが、思えば奇妙なことのように思え、それは旅情の魔的な性格による効果なのかもしれない。しかし、いま一度改めてながめている自分に気がついたとき、初めて訪れた町があたかも見慣れた風景として生まれ直り、ぐんぐん育つ生きもののように目に映るのだ。二番目の権利とでもいうべき「突然の町の生育」を発見できること。忘れていた感受性をもう一度確かめる旅。旅先の詩作りはまことに愉しい行為、と思われる。

 筆者は旅の詩を書いたことは無い。書いてみたくなった。


 「荒地」の詩人、北村太郎に『小詩集』という作品がある。旅の詩のヒントを探ってみた。


   “部屋に入つて 少したつて/レモンがあるのに/氣づく 痛みがあつて/やがて傷を見つける それは/おそろしいことだ 時間は/どの部分

   も遲れている”(「小詩集」)


 詩人にとって世界の対象は時間において、ずれて自分を訪れるものなのだろう。ずれているなと思った時は<内界>が作られるとでも言うように。

北村太郎は、書くべき詩の対象はその実在よりも後に顕われると言う。いかな時間の遅れでも、旅の終焉に旅の時、

<内界>は存在しているということなのだろうか。町が生え始めたという感覚は、あらためて異郷の地のずれて訪れている感情に支えられているように思う。いずれにせよ、なかなか得難い感覚だ。


   “ぼくは水平線を見つめる/魚の死はいつでも不意に起るのだ/(それは確かだ)/ぼくの死はもう決まつているのだろうか?/たとえ 鉛のよ

   うに/断崖を落ちていつたとしても/ぼくの逆さの眼は 見るだろうか/水平線の彼方 一秒でも/罪の光りを”


 魂の街を駆け抜ける詩人は、眠る人々に見えぬ火を発見して驚く。このようにひとつの発見から北村太郎の旅は始まり、旅の途中の「石廊崎」で、彼は忌むべき「火事」のような水平線の和らぐ穏便な曲線のもとに、一尾の魚の死を確実に捉えている。魚群に隠れている一尾の突然の死と、いっぽうの魚卵の孵化は、詩の形式を借りて、壮大な生死の円転においてはっきりと現われている気がした。旅先の<内界>の石廊崎も、海辺の町もかくして詩人に留まる。なぜなら生え始めるからである。



   「水の容器」

 <はなの道>の二番目に置かれた作品。

 水を湛える容器。または水のように透明で流動的で、揺れつつ受け入れる器。そのように食い違うイメージを統べる花のこと。


    “六月になると/雨の間からにじむように咲くものを/それに向かえば吸いこまれそうになることを/どのように謳ったらいいのだろう

    山の花/水の花

    とおく/ひんやりとした水脈をひいて/里に下り民家の庭に座り/黒い板塀からあふれでたりしている”


 梅雨にもっとも似合う花。それは鉢からはみ出て巨きくなって思わず板塀からはみ出てしまい、しとしと雨を受けている紫陽花だ。梅雨までは目立たぬの緑色の塊で、盛りを過ぎた真夏になると人知れず枯れている。強い太陽の光を浴びて、青い花々は焦げてしまっているのを見るのは辛いものである。だから改めて、紫陽花にとって雨が恋人なのだと思う。

 その家の板塀から、雨に濡れながら顔を出している紫陽花に、幼いころの<わたし>が、長靴の少女が、決まった時刻に立ちどまり、花にささやきかける。その声を読む。花と人間の麗しき対話の愉楽を読者は味わう。


    “あおいいろでなければいけませんよ/青色に咲いてくれなければいやですよ

    無言のまじないが聞こえているのか/その家の紫陽花はきっと青くひらいた”


 「きっと咲くだろう」という予感でなく現実にそう咲いたという結果表現に、淡やかな植物の決然たるものを感じる。その”もの”とは意志のことであり、植物にだってあるのだ、と読者は確信する。凛とした「きっと」という言葉がそう思わせるからだ。

 野に群生する紫陽花も、狭苦しい鉢の中に保護されて売られるスーパーストアの紫陽花も等しく、美しく濡れた青を実現する。”きっと開いた”のである。予感をともなって期待と結果は一致しているのが植物の生命の動きであるから。また、紫陽花は「水の花」であるという詩人の指摘に驚かされた。


“山の木の間から見える空は小さい/光りをそっと受けながら/花は空の色を思った/その色に少しでも近づきたい/山の水は花の茎を花の幹を花の根を/惜しみなく昇る/透明を集め清冽にながれる/そうして/だんだんに濃く花にあつまる”

 ここに謳われる水の動きはとても素敵に見える。青を予感させ実現させるのは植物だけではない。水の生命感と憧れの空の青みも手伝うのだ。雨だれであれ涙であれ、溶けゆく感情であれ、水分はエロス的な輝きを内に包みこみながら、土の中へ吸いこまれて土の中から紫陽花を流れ上がる。それは根雨が花の満開という希望へ向かうことを意味している。

 

   “大地から空へと向かう巨大な動きに呑み込まれている花自体は、付け足し的な役割、どうやら明らかに価値を認められないお飾りにされてし

   まっている。花のなし得ることはと言えば、単調さを破ることによって下から上へという全体的な衝動が生み出す避けがたい誘惑を強調するこ

   とだけである”     (「花言葉」、ジョルジュ・バタイユ)

紫陽花の「青い花」の表現は、じつは紫陽花の一塊の、一鉢においてのみ価値がある。腐敗性物質の充満している土中から、水分が根から幹、茎、枝と、紫陽花の全体を表現していることを、眺める少女の<わたし>は、或る「重大な反応」を心の中に生成していると言うことになる。

詩人の表現するかなめが実はここにあって、すなわち紫陽花の全てが「水の容器」という美しい言葉に他ならないことを、読者は見過のがせない。

バタイユは花という存在をこのような理解のうえにあるのだと言う。そのような認識のうちに得られる詩的想念は、次の行に顕われている。

花は水とむすばれ/どこまでも/さびしさを集めて/雨にぬれなければならない”

 梅雨前線につくられた雨が土に沈みこみ、やがて腕を流れる血液のように根から幹から茎から、葉へ花弁へ染みわたり「水分を集める容器」として生成されること。それもただの容器ではない。生命を盛る雨と言う容器であり、その中で紫陽花は街が生えるように夏の枯死まで、さびしそうに咲き続け、いっぽう、少しずつ大人への階梯を上って行く少女は、ただの青い花で無い紫陽花のすべての事を思うのである。


 「冬の気持ち」

 <はなの道>の四番目に置かれた作品。

 春に花妖、夏に燦然、秋に憂悶、それから・・・冬に屹立。冬を除いた三つの季節のなかで、事象は形を曖昧にさせる。それは朝に夕に大気に身を投じれば分かるが、ただ冬では事象はあからさまにその形を表わす。

でも、散歩者に事象は厳しく主体を訴えているのに、散歩者はそのことに気がつかない。寒風に襟を立て、ぶあついマフラーに眼球は埋め込まれて、俯く姿勢を取るからである。これでは冬の感情は散歩者に理解されないであろう。

 彼らは孤独裡に形を厳しく対立させているのだが、いっぽう、人は思考の沈黙に沈み込んだままだ。そして冬が解凍し、木々の新芽が現れ、風が柔らかくなる頃、人々が俯く姿勢から頭を起こして背中を立て、周囲にあらためて気づき、冬の終わりに散歩者は思う。

 

   “花が/花としてあり/草が/風の形にゆれ/石が/静かに座している

   そのように/ふたたび見え始めたとき/ひとが/元通りのひとになった”

   日々歩く土地があたたかくなり/地とわたくしを遮っていた/一枚の紙ほどの/冷たさが/どこへともなく気化していた

   不思議のように宿っていたものが/不思議のように霧散していった


 花はそのままの形を誇りはじめ、柔和な風が草原を慈しみはじめ、石の静けさを暖かく湛えはじめる季節になるときに、散歩者は凍れる冬の気持ちが、自分の中に流れ出していたことを、思い出している。

 

   “そんなとき/向こうから来る/髭の老人に会った

   少し曲がった古木の杖を/伴走者のように脇で振る/老人の顔は日に焼けていた

   定まっていく気持ちが/冬の日差しに/ほっくりと/囲われた”

     (終り)


 (注)エルンスト・ユンガーは随想『母音頌』(1963)で、不安定で「つかのまの移ろいやすい成分」たる母音を、確定させるのが子音で個々の状態・様相・総じて変化を与える役割を持つと定義した。また、ランボーによる母音の色を紹介している。

それにしたがえば、「ねう」の“う”は“u”であり緑色、ユンガーの作成した母音の国では「生殖と生」を表象する。

“ね(雨)”という子音に確定された「根雨」は、かくしてランボー的には暗い大地から醸成され、立ち上がる緑色のエレメントが目に浮かぶのだ。二人の旅人がその漢字にイメージしたものは、ひょっとするとこのイメージに相似しているのかもしれない。二人に尋ねてみたいものだ。



     ページの先頭へ 32号目次へ トップへ