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澤田繁晴 牧野信一



 万策尽きたか?


       ――牧野信一

                 

                          澤田繁晴



 「群系会報 第十八号」(平成25・8・2)において、幼少の私は「しげはる」という自分の名前をうまく発音できなかったために、名前の最初の文字「し」と最後の文字「る」だけを残して、自分のことを「しゃる」と呼んでいた、と書いた。これは本当の話である。田舎では、人を渾名といったようなもので呼ぶことが多いが、これは子供の世界でもよく見られることである。自然発生的で、誰が名付けをするのか明確になることは少ないが、本当の名前よりはその人の特徴をよくとらえていることが多く、感心する。例えば、〇○(家名)のオンジ(二番目の子)とか、〇○のゲンゴロウとか、〇○のお玉とかである。また、三角屋根(家名ではなく、家の特徴をとらえて)のバッチ(一番下の男の子)とか角(家の場所)のモラワレッ子とかである。

 小林秀雄によると、牧野信一は芥川龍之介と同じように「芸術上の理知派(アンテレクチュアリスト)」であるが、「芥川氏の理知は、その速度に於て、鮮明度に於て、遥かに牧野氏に及ばない」と述べている。

 

   作者の自意識を代表する主人公が、常に生生しくその全貌を描かれてゐるといふ点にある。自意識のみが描かれ  てゐるのではなく肉体をもち行動する人間としてえがかれているという点にある。……彼の作品が、艶を持ち、肉付き  がいゝ所以である。

 

 作中の主人公が、骨格だけの存在ではなく豊潤な肉をも備えた存在になっているということのようである。

 確かに、牧野の作品が芥川の作品よりも、良くも悪くも作中人物の内面に一段と入り込んでいることは分るが、それで、芥川よりも理知的であるかどうかということになると分らない。

 この度、私は、牧野の作品の朗読会が牧野の出身地の小田原であるということを聞きつけて足を運んだ。そして牧野の作品を黙読していただけでは分らなかったことにまで気がつくことになった。はっきり言ってしまうと「幼稚っぽい」のである。骨格だけでなく、肉も備えている故でもあろうか。これは素直な印象であって、朗読者の個人的な特性の故ではないと思う。朗読に黙って耳を傾けているとこの特色が徐々に顕著になって来る。そして朗読会が終って、夜になると私は、牧野が足を運んだお店とは関係はなかろうが、ある「小料理屋」のガラス戸を開けた。

 田舎での生活は、半ば子供の世界に似たところがあるのではなかろうか。牧野が生まれ育った小田原には、地理的位置からしても、町の規模からしても半都会、半田舎といった特色があるように思う。牧野は、このような地において人となったのである。それかあらぬか牧野の作品には、シャレたところと、土俗的なところの両方がある。しかし、ここで私が書こうと思っていることは、「子供の世界」の方のことである。さまざまな「しがらみ」がある故に、一人前の大人になり切れない「半他者」の並立からなりたっているかに思われる「子供の世界」のことである。牧野信一は、四十歳で自殺をするに至っ

たが、考えようによっては、子供として四十歳まで生き延びたのだと考えられないこともないのではなかろうか。


   一 渾名について

 

    このごろ私は、ときどき音(おん)取(どり)かくから手紙を貰うので、はじめてその音取という苗字を知った次第であり    ますが、それまではその人の姓名は怒山(ぬやま)かくー―とばかりおもうて居りました。ところが怒山というのは、その    人の村の名称だったのです。(中略)ともかく私は、この頃その人から手紙を貰って、音取かくーー・・・・・・それも定っ   て音取とあるわけではなく、音頭となったり、雄鶏と変わったりするのです。おかくに会って、私が名字を訊ねてみると   稍々暫く呆然とした後に、

   「おんどるだな」

   と答えるのですが、る(・)が、り(・)なのか、または他のものか決して聞き分けにくいのであります。

 

 おかくの倅は「ぶくりん」という渾名で呼ばれていて、手紙の文中では柚吉、柚七、柚太とさまざま書かれていて、改めて尋ねてみてもウヤムヤで、他の誰もそれ以外の正確な名前を知る者はいない。どうやら、おかくの父親(ぶくりんの祖父)がその渾名で呼ばれていて、分っていることは祖父に似ていたために子供のときからそのように呼ばれていたということだけである。これは何も「おかく」や「ぶくりん」についてだけ言えることではない。この辺りでは一般的に渾名の方で人は知られていて、「いつの間にか当人でさえも自分の本名を忘れている者さえ珍しくありません」ということさえ起っているようなのである。

 例えば、地元で唯一中学の課程を終えていて、消防小頭を勤め、「渾名廃止論」の急先鋒、風地改革運動に寧

日なき諸星源十の渾名は「湯あがり」であり、本編の主人公、水車小屋の現所有者である「私」の渾名は「トンガラシ」といった具合である。何故に「トンガラシ」になったのかは、他のことと同じように必ずしも分明ではない。「トンガラシの渾名は、何も近頃の私にはじまったわけではなく、赤子の時からそんな苦しげな顔をしていたものか、それとも頭の恰好でもが

唐辛子を髣髴させるのか、ともかくおかくに与えた私の印象がトンガラシであり、それはおかくの命名に他ならなかつたのです」ということであるようだ。

 また、おかくの代書をしている本名・石綿枝之助の渾名は「ぐでりん」であり、小説に取り上げられている主人公宛の手紙には、「強意見をもつてぶ(・)くり(・・)ん(・)の行状をたしなめて呉れ」となっている。このように言われるのも、主人公が「とも角(かく)一旦(いったん)はおかくの眷族(けんぞく)へ贈りたいと思っていることをおかくに察しられているからである。

 因みに、主人公の弟の渾名は「ラッキョウ坊主」、「ネギ坊主」であり、かく、「おかく」はこの小さな世界で、その第六感によって隠然たる力を揮っているようである。まるで、この世界の、隠れた(?)神のようにである。


   孫の田市は未だ十三なのだ。それともおかく(・・・)は田市と二人で水車を廻しながら、ぶくりんの料簡の入れ代るの  を待つ気なのか―一向にそこのところのおかくの考えも解らぬのであります。実にもうこんな無知文盲の始末の悪さと   来たらおはなしになりません。

 主人公は「無知文盲の始末の悪さ」という言葉で逃げようとしているようであるが、ことはそれ程単純ではない。これでは「子供の世界」を御することさえできないであろう。牧野に「父を売る子」という作品があるが、この作品は、距離的にも左程遠くない世界(「名古屋近辺」)を扱った杉浦民平の『ノリサダ騒動記』を思い起させる。

 もちろん、小説の登場人物はこれだけの渾名でおさまりきるわけではない。その他にも、次のような主人公にも訳の分らない渾名があるのである。ある時主人公は、このことに腹を立てて消防小屋での寄合騒ぎに顔を出す。


   私は、小屋の軒先に掛かっている消防係の札を月あかりに透かして、中の連中を順々に見比べるのであったが、小  頭の湯(・)あがり(・・・)を諸星源十と突き止めた他、ニワットリ(・・・・・)、ガラ倉(・・・)、泥亀(・・)、河童(・・・)の(・)金  (・)さん(・・)、鉄砲玉、屋根音(・・・)、ぐでりん(・・・・)等々と難なく十七、八人も数えられるのに、筒先係の新倉善   太が誰なのか、機械係の又岡又平、乙波孫十郎が誰なのか、どうしても見当がつかなかった。

 

 主人公にとって消防小屋は理解し難い別世界であったのである。

 ここに出て来るニワットリというのは、ぐでりんの兄であり、声が鶏のに声に似ている田地売買周旋業者とある。それ以上に重要なのは「月あかり」というこの小説のタイトルであろう。主人公には、この世界が、「月あかり」で見る程度にしか見えていないのである。信一は、ぐでりんの訳の分からない手紙を手にして、「人を玩具にするにも程があるぞ、面と向って訊いてやろう」 と思い、ぐでりんをそとへ呼び出そうとして「水へ飛び込むときのような大きな息を吸い込んで」消防小屋の扉を開けるのである。まるで、月あかりで見る「あたりの景色のようにどっちつかずの連中が、私は、心底から腹が立って来た」からであった。


   二、水車小屋


 冒頭で「田舎の世界は、子供の世界に似ている」と書いた。自己充足的なところがある、からである。また、子供には、自分のことをさえ、「俺は」などとは言わずに「〇○は」と自ら渾名で言うことがある。

 この小説は、「水車小屋」を巡る所有権闘争を扱っている。闘争などとは言えず、談合で済みそうではあるが、それぞれにその人なりの思惑があるのである。

 「湯アガリ」と「ぐでりん」の二人の話を聞いていると、「おかく」は、水車小屋を息子の「ぶくりん」に継がせるのではなく、  「ぶくりん」の子供、すなわち「おかく」の孫に譲りたいと思っていることが分ってくる。

 「ぶくりん」は、以前、主人公の家に属する水車小屋に雇われていたのであるが、「遊びほうけているばかりで」滅多に寄り付こうともしなかったのであるが、主人公は、「おかくへの義理合い」からもこの水車小屋を直ぐにも音取家へ進呈して「ぶくりん」の更生を考えているのであるが、「おかく」その人が自分の息子である「ぶくりんにやったら台なしじゃ」と言って、納得せず、孫の田市に譲りたいと思っているのだから事はスンナリとはない運ばない。

 この小説の主人公は、十五歳年下の弟ともども幼年の頃「音取かく」に育てられた経験を持つ。このことから推測するに、主人公の家と「音取家」は、地主・小作に似たような関係にあったように思われる。小説の後半において、主人公の名前が作家名と同じ牧野信一であることが明かされる。かく、牧野家と音取家は密接な関係に合ったようなのである。その割には「ぶくりん」の作成による手紙の文言は鷹揚なものである。


   牧野(・・)を槇野と書くのはまだしもで、どうかすると、槇島になったり、巻原と変わったりするのです。−名前と来る    と、信之介やら、新太郎とか真平なんていう風にこれもその都度まちまちなのです。それでも、お角は信一(・・)の信   の音(おん)だけは覚えているのかといくらか私が感心しようとすると、次の手紙では槇原英太郎殿と麗々しく認めら    れたり、英兵衛となったりしているのです。それもまあ、弟の英二郎、祖父の英清などの思い違いなのでしよう  

   が・・・・・・(傍点筆者。以下この小説の主人公の名前を信一と呼ぶこととするーー筆者注)

 

 「おかく」の記憶力に信を置けないのは明らかであるが、筆者は、「おかく」には、自分の息子に対して示す判断力をみると、第六感のようなものはかなりの程度供えていたようには思う。手紙の依頼主がかくあるからでもないであろうが、その次男である代筆業の「ぐでりん」も一筋縄では行かないような人物である。


   ぐでりん(・・・・)はおかくの前では孫のものにするから好かろうというし、ぶ(・)くり(・・)ん(・)をつかまえると、ともかくトンガ   ラシがそう云うんだからひとまず仮面(かめん)をかむってお辞儀をしておくんだな、こっちのものにさえなれば後は俺が    采配をふるって一儲けしてやるからーーと、売渡先の周旋を誓うことと云い、また湯アガリなどに出会うと、極力その   水車小屋は村の公共物にしよう、その間の運動は自分が引きうけたーーとばかりに出しゃ張るのです。


 水車小屋の委譲先としては、次の三つが考えられていた。

 @おかくの子の「ぶくりん」、

 Aおかくの孫の「田市」、

 B消防署(消防器具置き場として。「湯アガリ」がここに勤めていた。村の一部の意見として、公共物として寄付してもらおうという案)

 かく、小説は進めば進む程ますます錯綜の度を増して行く。主人公の信一は訳の分らないことに腹立ちを感じてはいながらも、半分は諦めているようでもある。この世には、理知だけではどうにもならないことも多い。日本においても、「理知派」の代表と思われていた二作家が揃いも揃って自殺することになることからもそれが分る。


   三、窮境からの脱出


 このことは何も人の生死に係わることだけとは限らない。

 「小説」としても同断であろう。坂口安吾の「風博士、蛸博士」に触れて牧野は述べる。[「風博士」 『文芸春秋 第九巻第七号(七月号) 卷末折込の「別冊文壇ユーモア」』昭和六(一九三一)年七月一日]


  風と云えばその中に斯んな個所があります。「諸君、偉大なる」博士は風になったのである。果して風となったか? 然り、風となったのである。何となればその姿が消え失せたではないか、姿見えざるは之即ち風である乎?然り、之即ち風である。何となれば姿が見えないではない乎。これ風以外の何物でもあり得ない。風である。然り風である。風である。風である。」

 「諸君、彼は余の憎むべき論敵である。単なる論敵であるか? 否否否。千辺否。」

 「かりに諸君、聡明なること世界地図の如き諸君よ、諸君は学識深遠なる蛸の存在を容認することができるであろうか? 万辺否。」

 私は、フアウスタスの演説でも傍聴してゐる見たいな面白さを覚えました。奇体な飄逸味と溢るゝばかりの熱情を持った化物のやうな弁士ではありませんか。    


      〇


 私もかつて、坂口安吾の「風博士」の真意をつかもうとしたことがなかったわけではない。しかし、なすべきことは安吾がそこで何を描こうとしたか、その意味を詮索することではなく、真になすべきことは同音意義語の「穿鑿」ではなかろうか。「意味」の探索ではなく、「意」の探索である。安吾はこの作品において、牧野が陥った窮境からの脱出をーー牧野が成し得なかった脱出を自分なりに試みたのである。第一の目的が「窮境」から抜け出すことであってみれば、意味などはどうでもよかったのである。たとえそれが香具師の口上みたようなものだとしたところでである。ただ、安吾にはそれができたが、変に小市民的な牧野にはそれができなかった。牧野自身は凧のシッポを自殺によってしか切断することができなかった。このヒントになるようなエピソードが牧野にある。牧野は、室生犀星の「弄(らぬ)獅子(さい)」(犀星の自伝的作品。養母との関係等を赤裸々に描いたと当時思われていた。その後、誇張もあったことを徐々に明らかにされるーー筆者注)を犀星の面前で激賞したようである。まさにこれこそが、牧野が成し得なかったことである。犀星の「牧野信一君を哭す」(『サクラの花びらーー牧野信一文学碑建立記念会誌』 昭和51・3・21)


   三度目(牧野と犀星が顔を合わせたーー筆者注)は、藤村翁のための記念会で会った。去年六、七月の早稲田文学に僕が「弄獅子」といふのを発表したが、牧野君は、その作を、まるで打ちこんで文学者の見識を投げ捨てたほめ方をしてくれた。僕は大いに嬉しくなつてゐた後であつたから、その会で隣席した時は好感をもつて語りあつた。

(中略)

 しかし、自殺は、牧野君で打ち止めにしたい。そんな弱いものが文学の精神の中にあつてはならないと思ふ。


 最後の一行などは、犀星の本音であろう。犀星は、牧野のような「お坊ちゃん」ではなかった。


              〇


 牧野は「変装奇譚」の中で、ゲーテの「ファースト」が出る二百年前のファウスト博士を持ち出して来ている。ファウストが「剃刀を用ひずして髯を剃る方法」を伝授する話である。これはその実、「液状になしたる砒石の素を」顔面に塗りつけるだけのことであったらしい。その結果は「面皮脱落病」という疫病の流行を見、面皮の脱落はもとより、「肉までも失われ、世にも浅はかな面貌とな」ったとのことであるが、杳として行方知れずのファーストの追跡は失敗に終っている。牧野をこのファーストに擬するのはかわいそうであるが、牧野は歌ったのみで、言葉を使うまでには至っていないと言えるかと

は思う。ダーウィンによると言葉は歌から発生したということである。小説の中での、主人公とダンサーの会話には次のようにある。


  「何てまあ景色の好い面白そうな田舎だらう、是非行きたいーーと何時も君が云ってゐる田舎・・・・

  ・・僕が其処の生活を歌つた詩を読んだ君の憧れになつてゐる」

  「伴れてつて下さる。嬉しい! 何時?」




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