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31号掲載【書評】3本 




【書評】澤田繁晴著『炎舞 文学・美術散策』について


               ―様々な視点・鋭い視線―


                          

                    名 和 哲 夫 



               


 評論というものについて、僕はこう考えている。ある本、あるものを読んで(見て)どうしても書きたい、訴えたいことがあって、的確にそれを表現・批評する(し直す)ことであると。そして、こういった自費出版の場合の利点は本当に好きなことを書けるという点である。(しかしながらそれは諸刃の刃で独りよがりになりがちである。) 

 そういった点で、澤田さんのこの「炎舞」(速水御舟の「炎舞」からこのタイトルは取られたという)に収録された評論群は、評論というものの価値を実感させる。

 まず惹き付けられたのは巻頭の「絵師の貎 ―長谷川等伯「松林図屏風」である。

 最初、等伯の銅像の写真から始まる。意外な始まりである。続いて、肖像画作家としての等伯を論じ、何故等伯が自画像を描かなかったのかという観点から彼の代表作へと迫って行く。意外な展開でありしかし惹き付けられる展開である。これを読めば誰もが「松林図屏風」をもう一度鑑賞しないではいられなくなるであろう。

 さて、「文学・美術散策」とあるようにここで扱っている題材は様々である。すべてをここで紹介する訳にはいかないので、私の心に残った論をあと二つ紹介したい。

 「「軽井沢的なものの」意味 ―掘辰雄の選択」

「堀辰雄が一番心を砕いたのは、小説の舞台であった。この日本で西洋的な本格小説を成立させるためには、それにふさわしい舞台が必要だったからである。」「堀辰雄は、それとは違った、あるいはもっと困難な道を選んだ。軽井沢という、その当時の日本における唯一の西洋を選んだのである。」「その死まで十年の歳月を残しているが、これによって、堀は往生できるのである。」

 なんという展開、鋭い視点、特異なまとめであろうか。

 「川端康成という仕組み」

「…その原罪の中継人たる川端は、その原罪・両親の存在そのものを「抹殺・忘却」することなしに生き続ける事が難しいと感じたのであろう。」

 次の「人類の陥った宿命―川端康成「人間の足音」」と併せて、川端康成への新たな視点を鋭く展開して納得させてくれた。

 最後に自分のことを書いて恐縮だが、昨年来少しばかり病気になりその症状のことで悩む日々であった。この評論集を読んで、自分も澤田さんのように書いて行きたいと勇気づけられたことを書かずにはいられない。






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【書評】岩谷征捷著『島尾敏雄』―にんげんを凝視める旅―


                            石井洋詩 



 島尾敏雄研究の大きな指標となっている岩谷征捷氏の、『島尾敏雄論』(八二年)、『島尾敏雄試論』(九二年)、『父と兄の時間』(〇六年。古井由吉、武田泰淳、梅崎春生の作品論を併録)に続く四冊(氏の言葉では三冊半)目の島尾敏雄論である。これまでの論考と異なって、収録されている七篇はすべて、文体が〈です・ます調〉に統一されている。その変化の奥に、寺内邦夫氏の島尾研究の姿勢に触れて、「いったい私にとって、島尾文学の受容とは何だったのでしょうか?」と自らに問いかけ、また「体験しない者が規定することば、それが論理的にすじみちだっていればいるほど、そこからはみ出てしまうものがある」と述べる氏を思わざるを得ない。常に自らを省みる眼が対象をいよいよ深く見つめるように促し、文体の変化として現れているようだ。

 各論の内容に触れよう。前半には『死の棘』関係の論三篇が置かれている。最初の「『死の棘』を読むために」は「終戦日記」及び「昭和二九年日記」が公開されたことに触発され、島尾作品と「日記」との関係を改めて考察し、氏のこれまでの所論を再確認している。その核になる『死の棘』の捉え方を三つにまとめると、一つは「女」から送られてくる脅迫の電報やメモはミホの仕業であること。第二は、『死の棘』が「〈贖罪〉の過去を作り出」し、「〈贖罪〉を生きることと、それを新しい過去として記録する」ところに生まれた「治癒のための小説」であること。そして「遠い過去のこと」を「〈現在〉のこととして告白に身を切られる者の思いをともなって作者は記述している」ところに「この作品の奇妙なリアリズムがある」ということ、である。

 二篇目の「書くという病―『死の棘』感想―」は氏の『死の棘』論の集大成と言えようか。ここで氏は前述した『死の棘』の捉え方を、より具体的に作品に即して読み解いているのだが、ここではそれ以外の新しい視点について触れよう。まず、「風景の象徴化」という表現に見られる(自然描写)への視点が加わっている。次に、「トシオとミホの物語と表裏一体の関係で、確実に父母のモノガタリも進行している」という二重構造への視点。さらに、前記の核として採り上げたことにも繋がるのだが、「二つの作品、「日記」と小説とは、ともに二人の共同執筆」であり、「『死の棘』というすでに終わった事件の小説化とは、その空白を二人で埋める作業でもあった」という、「日記」そのものを共同作品と見る視点である。こうした新しい視点からの読みを織り込むことで、氏の論点はより確固としたものになっている。

 三篇目の「治癒のための小説」は、最初の『島尾敏雄論』に収録されたものの再録だが、文体の改変と共に、字句の修正や何カ所かの表現の削除がある。それは、「あとがき」で「根本的な改稿をしませんでした。私の島尾文学観の根は、ここにあると思ったからです」と述べているように、氏の読みの一貫性を強めるものであり、表現に対する厳密性の深まりを示すものでもある。

 後半の四篇は別の主題を扱って、それぞれに強い喚起力をもつ論考である。四篇目の「にんげんの加害力―〈特攻待機〉体験―」は、寺内邦夫氏の「掌編『はまべのうた』到来記」に触発された氏が、島尾の「那覇に感ず」を介して「沖縄戦〈集団自決〉訴訟」を自らの問題としても考察し、更に「魚雷艇学生」『震洋発進』と書き継いでいった島尾が「自分が同じ立場にあったなら、という想像力」によって、「〈加害力〉こそがにんげんの本質であることを見抜いていた」ことを論じている。氏は更に「自他の区別を無化してしまう視点」を持った島尾文学が「神」と相対してくる文学になっていると言う。

 第五篇「私注「島へ」」は、単なる作品の注解に終わらず、すぐれて〈ヤポネシア〉論、〈夢の方法〉論ともなっている。前者に関して「〈南島〉を定義づけてしまう営みへの嫌悪と、それを避けようとする強固な決意に貫かれている」と言い、同時に「南の奄美からの発想」の「範囲にとどまるもの」とその限界も見落としていない。後者に関しては「現実を解く鍵が夢の中にあり、夢の中において人が自由な個性をもつという思いが、確とした表現力を与えられているところにこそ、島尾文学のすぐれた独自性がある」と述べる。まさに宜なるかな、という思いを強くさせられる。

 第六篇「「父祖の地・相馬 小高町へ」は、島尾敏雄研究会・小高大会に参加した折の見聞記であるが、小高と島尾作品とのつながりを追いながら、氏の思いは「書いている今」と「書かれている過去」との乖離を埋める島尾の創造行為へと向かっていく。第七篇「Nangasakuへ」は、〈長崎作品〉にみる(歩行者の文学)としての側面と、〈夢の系列〉作品にみる「具体的な事物をとおして、背後にひそみ隠れているものを描き出そう」とする側面とについて論及している。

 最後に氏の言葉を記して筆を擱く。

「シマオトシオという一人のにんげんを凝視し続けることで、私は私の残りの生を生きてゆくことにします。私は、そのように、シマオトシオ自身でもあるのです。」

               (二〇一二年七月 鳥影社発行。一八〇〇円+税)








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 【書評】武藤武美著『プロレタリア文学の経験を読む』


               ―浮浪ニヒリズムの時代とその精神史』


                           草原克芳  2




■「今からほぼ百年前、「大逆事件」と「韓国併合」を契機に日本帝国主義が内外への侵略と抑圧を格段に強化しようとしていた頃、社会主義や無政府主義とほぼ前後して近代精神史におけるもう一つの「内面的革命」が進行していた。それは文学における自然主義が担ったもので、正宗白鳥がその先陣を務めていた」(白鳥・折口・犀星「ごろつき」の文学)

――タイトルから、小林多喜二など一般的な「プロレタリア文学」を連想してしまうと本書の潜在的な射程を読み誤ることになる。そもそも「プロレタリアート」という言葉そのものは、ブルジョアジーの対概念として賃金労働者を意味する以前に、古代ローマの下層階級、遊民、流浪民を意味したという。こちらがむしろ、本書のいう「ゴロツキ」「流民」「ルンペン」の意味範囲に近い。

著者の武藤武美氏は、日本の自然主義文学とは、二十世紀における「ゴロツキ」「詩的モッブ」が牽引した文学運動だという。これは中村光夫らのフランス文学系の自然主義成立への解釈、すなわち「フローベール、モーパッサンへの独断的誤解による異種、変奏」ではなく、ロシア文学における《余計者の系譜》の移植をこそ、自然主義の「魂」とする見方かも知れない。それは小説作品における社会性や虚構性を模倣するより、ともかく文学者としての「内面」「生き方」を移植することであり、作家自身が、ツルゲーネフの『ルーヂン』、レーモントフ『現代の英雄』のペチョーリンといった小説の主人公そのものを、生きてみせることであった。当然、そのような詩人は、明治・大正の日本社会においても、居場所はない。しかし、その余計者、ゴロツキは、奇妙にも生の深部をかいま見ることになる。この身をやつした「羽織ゴロ、三文文士、無用の者」こそが、本書がスポットライトを当てようとする栄光の文学者たちなのである。

■圧巻は、第二部「浮浪文化と克服の諸相」におけるスリリングな展開だ。ここでは著者のいう「自然主義=内面的革命」の諸相がそれぞれの作家の個性を通して、多面的角度から連作的作家論として検討される。「「操觚者」中野重治―そのグニャグニャの雑文精神」なるタイトルの中野論の次に、アナーキズムと芸能の関連からプロレタリア文学、映画が語られる。さらに葉山嘉樹の破滅型に近い「転向」を論じ、日露戦争後の「騒擾時代」の精神状況における石川啄木、佐藤春夫、中野重治の葛藤を考察する。ひときわ著者の思い入れが強いらしい正宗白鳥は、この路線の先駆として「第一部 浮浪する精神の諸相」から登場し、本書の通奏低音を決定している。「この世に生まれてきたことのおそろしさ」につきまとわれた白鳥は、身近な無能者であった弟の「律四」を『今年の秋』『リー兄さん』などで、繰り返し描いてきた。

■こうして、自然主義からプロレタリア文学を含む一群の論考により、読者はひとつの眺望に導かれるはずだ。「帝国主義的な強権」を前に「無用の者」たちが引き籠もった時代の精神の見取り図が、鮮やかに浮上してくるのである。そして、社会的に位置を定められない「羽織ゴロ」「三文文士」、日露戦後に整備されていく近代国家から落ちこぼれた「無頼漢」こそが、自由かつ根底的な実存の探究者ではないのか、という疑問に直面する。しかしながら、本書では、白鳥、重治に加えて、尾崎翠、啄木、犀星、さらには折口信夫までもが同一の視線で吟味されている。あの碩学の釈超空までが、ゴロツキ文士?……と、読者は戸惑うだろう。しかし「額には黒ずんで紫がかった痣」があることを自己への呪いとし、「父母から激しく疎まれ」、二度も自殺未遂を図った落第少年が、歌舞伎役者や、乞食芸人の血みどろのエロスへと向かう宿命的デカダンスが明かされるのだ。そして、第三部においては「チャップリン映画における浮浪者」を論じ、二十世紀映画や大衆芸能へと筆は及んでゆく。

■全体として本書は「生活は大量生産過程の函数でしかありえず、生活様式のすみずみまで制度化と企画化によって貫かれた」現代における「浮浪への衝動」を見つめた近代批判の書であり、生の基底を問う文明批評といえよう。こうして得られた視界は、ある普遍的な位相へと差しかかるはずだ。たとえば坂口安吾の「文学のふるさと」や『堕落論』といった原初的ビジョンの近隣領域へ。本書の思考に、少なからぬ影響を与えたであろう「不逞の輩」花田清輝の姿が、いささかバタ臭いインテリ・ゴロツキとして見え隠れするのも、評者には面白かった。

■とはいうものの、この閉塞状況に、突破口はないのか。最終第四部「浮浪ニヒリズムの克服―藤田省三を読む」では、著者の師でもあった政治学者藤田省三の素顔と思想を伝えつつ、その処方箋を指し示す。精神的アナーキストを自称した藤田が逝去して三年、著者はいま何が必要かと自問する。それは「大都市部のゲットーに封じ込められている落ちぶれ者や、ルンペンやホームレスや諸々の難民・移民とディアスボラたちの人間的経験に学ぼうとする精神」ではないのか。そこから発せられる「蛮気」こそが、現代の「復興期の精神」を創出するのではないのかと――。本書は、武藤武美氏の三十年に渡る論考を集成したという。にもかかわらず、一貫したスタンスの持続と、ねばりのある筆致は見事というほかはない。近頃忘れかけていた「批評文を読む愉しみ」というものを与えてくれる一書である。

(二〇一一年十一月 影書房 三三〇頁 二五〇〇円+税 )



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