『群系』 (文芸誌)ホームページ
33号 村上春樹論考 3編 勝原晴希 星野光徳 竹内理矢
《目次》
――村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を考える
―「納屋」への放火、「父」あるいは「母」とのはざま
心は魂に憧れる。魂は心を求める。
――村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を考える
勝原晴希
一 コンピューターは自我をもつか
村上春樹は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(新潮社、一九八五)を振り返って、「くたくたに疲れた。自分の実力よりバーを一段半くらい高くして書いていた」、「力を振り絞って書いた」と記している(注1)。まったくのところ『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は、これを考えようとする者に思考の極限を要求する。作品の全体を把握することは容易ではないので、少しずつ解きほぐしていきたい。
わたしにとって『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は、とても読みづらい。今井清人氏が情報論における「冗長性(リダンダンシー)/ノイズの概念」に拠って説明する「記述上の戦略」(注2)を受け入れるとしても、その文体――とりわけ作品の前半部――はあまりに単調で含みもなく変化に乏しいと感じられる。なによりも受け入れ難いのは、作品世界の基盤となり前提となっている、SFめいた設定である。
冒頭、「ハードボイルド・ワンダーランド」の「私」はエレベーターの中で、ズボンの左右のポケットに入れた小銭の金額を、右手と左手で並行して同時に勘定する。その行為を「私」は「右側の脳と左側の脳でまったくべつの計算をし、最後に割れた西瓜をあわせるみたいにそのふたつを合体させる」(15頁)と説明する。そこでは「本当に右側の脳と左側の脳を分離して使いわけているのかどうか、正確なところは私にはわからない」と留保をしているのだが、後の「洗いだし」の場面では、「与えられた数値を右側の脳に入れ、まったくべつの記号に転換してから左側の脳に移し、左側の脳に移したものを最初とはまったく違った数字としてとりだし、それをタイプ用紙にうちつけていく」(68頁)となっていて、この場面の説明では、本当に右側の脳と左側の脳を分離して使い分けている。さらに「右脳と左脳(これはもちろん便宜的な区分だ。決して本当に左右にわかれているわけではない)の割れ方にキイが隠されている」と説明するのだが、「決して本当に左右にわかれているわけではない」ものの「割れ方」とは、どういうものなのだろうか。「図にするとこういうことになる」として掲げられている「図」(68頁)を見ると、本当に左右に分かれているのだ。じっさい、左右対称ではないとしても、分かれている(割れている)のでなければ「数値を分析してそのギザギザを再現する」ことはできないはずである。
エレベーターを降りてピンクの若い女に案内された「私」は、クローゼットの奥から梯子を降りて、地下の川を上流に向かい、滝をくぐり抜けて老博士の研究室にたどりつく。博士が「私」に渡した数値は「一年間に及ぶ研究の成果」である「実験測定値」であり、「それぞれの動物の頭蓋骨及び口蓋の容積の三次元映像を数値転換したものと、その発声を三要素分解したものをくみあわせてある」(71頁)ものだった。だがそのことと、「人間の頭蓋骨の固有の信号にあわせて、音を抜いたり増やしたりすることができる」こととの間に、どのような理論的根拠があるのかは説明されない。さらに老博士の研究は「骨から記憶を収集」することを視野に入れて」いて、「今の段階では脳をとりだした方がより明確な記憶の収集ができる」と博士は語る。「今の段階で」(!)脳から「明確な記憶の収集ができる」――なるほどそれほどまでに科学技術が進展しているのでなければ、次のようなことは不可能だろう。
彼ら(『組織』の科学者連中)は私を二週間冷凍し、そのあいだに私の脳波の隅から隅までを調べあげ、そこから私の意識の核ともいうべきものを抽出してそれを私のシャフリングのためのパス・ドラマと定め、そしてそれを今度は逆に私の脳の中にインプットしたのである。(中略)そんなわけで、私の意識は完全な二重構造になっている。つまり全体としてのカオスとしての意識がまず存在し、その中にちょうど梅干しのタネのように、そのカオスを要約した意識の核が存在しているわけなのだ。(「224頁)
……やれやれ。「私」はすでに「二週間」の「冷凍」を体験している。もしそのようなことが可能であるなら、わたしたちはもっと新鮮な刺身を食することができるだろう(注3)。とはいえ、このような設定がなければ、むろん作品の最後のピンクの若い女の提案はありえない――「あなたの意識がなくなったら、私あなたを冷凍しちゃおうと思うんだけど、どうかしら?」(下399頁)。そしてこの無邪気な提案がわたしたち読み手の心を、なにほどか和らげてくれることも確かなことである。
この作品につまづく理由を、長々と記してきた。右に記したことどもを、「科学的な信憑性に耐えられるかどうか問うのは、ここではほとんど意味がない。というか、滑稽でさえあるだろう」と、菅野昭正氏はいう(注4)。「戯れの根拠をそれ以上追うのは野暮な詮議というものである」と。しかしながら菅野氏もいうように、右のことどもは「小説を生成する第一原因でもあれば、小説を動かす原動力の源でもある」。わたしたちは作品を読むという体験において体感したことを、大事にすべきだ。なぜこの作品は、これほどにまで、荒唐無稽なのだろう? そのことは何を意味しているのだろう? 「戯れの根拠」が問われなければならない。
老博士の開発した「シャフリング・システム」は「そもそもはコンピューターにインプットするデータを組みかえるための補足的な手段として開発されたもの」だったと、老博士の孫娘であるピンクの若い女は語っている(362頁)。じっさい、第一回路(そもそもの「私」の意識)、第二回路(抽出された「私」の意識の核であり、もともと「私」が作り上げていた思考システム)、第三回路(前者を老博士が再編集したもの)という説明、「インプット」「アウトプット」「ジャンクション」といった用語は、脳の働きをコンピューターの機能に置き換えてなされている。老博士はいう、「今の新しいコンピューターはそれ自体がかなり象工場的機能をふくんでおる」と。「象工場」とは何か。「我々の頭の中」は「死んだ記憶の集積場」=「象の墓場」ではなく、「正確には象工場と呼んだ方が近い」。
そこでは無数の記憶や認識の断片が選りわけられ、選りわけられた断片が複雑に組みあわされて線を作りあげておるからです。それはまさに〈工場〉です。それは生産をしておるのです。(下94頁)
「我々の頭の中」は「象工場」であり、「今の新しいコンピューターはそれ自体がかなり象工場的機能をふくんでおる」。ということは、コンピューターが「象工場」となったとき、コンピューターは自ら「生産」をする、つまり、意識をもつ。『二〇〇一年宇宙の旅』の、ハルのように(注5)。「私」は図書館の女の子に、語っている。
「世界はどんどん複雑になっていく。(中略)要するにコンピューターが自我を持ちはじめるまでのつなぎさ。まにあわせなんだ」
「コンピューターはいつか自我を持つようになるの?」
「たぶんね」と僕は言った。(下322頁)
未来の「新しいコンピューター」が完全に「象工場的機能」を備えたとき、コンピューターは自我をもつだろう。そしてそのとき、自我はコンピューターとして理解されるだろう。だがそうしたことは、可能だろうか? 老博士がいうように「脳というのはトースターとも違うし、洗濯機とも違う」(下115頁)。ついでにいえば、西瓜とも違うし、梅干しとも違う。冷凍マグロは解凍されても、決してふたたび泳ぎはしないだろう。わたしがつまづいたのは、この点にある。はたして自然は、機械として捉えられるだろうか、という点に。
二 自由と必然は同時に矛盾なく成立する
「人間の深層心理」を暗号作成の「ブラックボックス」として利用するに際して「ふたつのトラブルをクリアする必要がある」と老博士は語る(「25」)。「ひとつは表層的行為のレベルにおける偶然性であり、もうひとつは新たなる体験の増加に伴うブラックボックスの変化」である――「これを追究していくと、神学上の問題になるです。決定論というか、そういうことですな。人間の行為というものが神によってあらかじめ決定されているか、それとも隅から隅まで自発的なものかということです」。
老博士が「スポンタニアティー」(spontaneity=自発性、自発的行動)という言葉を口にしているように、この発言はカント『純粋理性批判』を意識していると思われる。すなわち「純粋理性のアンチノミー」のうち「超越論的理念の第三の抗争」には、次のような「テーゼ」および「アンチテーゼ」が示されている。
テーゼ
自然の法則にしたがう原因性は、世界の現象がそこからことごとく導出されうる唯一の原因性ではない。世界の現象を説明するためには、なお自由にもとづく原因性を想定することが必要である。
アンチテーゼ
自由は存在せず、世界におけるいっさいはひたすら自然の法則にしたがって生起する。(注6)
右のテーゼ、アンチテーゼともに、互いに他を反証することによって、証明される。乱暴に要約すれば、原因―結果という因果法則の系列における最初の原因については、それが最初であるという理由によって、もはや先行する原因は成り立たないのであるから、第一原因はなにものの結果でもなく、因果法則から自由でなければならないことになる。かといって因果法則に反する自由(非依存性=自発性=スポンタニアティー)を認めるならば、そのような自由は不断に発生し得るのであるから、もはや因果法則は成り立たず、経験のいかなる統一も可能ではなくなるだろう、というわけである。
アンチテーゼの証明の記述に、「自然の法則からの自由(非依存性)はたしかに強制からの解放である一方、いっさいの規則の手引きからの解放でもある」(485頁)のに対して、「自由というまやかし」を斥ければ「自然はたほうその代償として、経験の一貫した合法則的な統一を約束してくれる」とある。「我々の頭の中」は「象工場」であり、「今の新しいコンピューターはそれ自体がかなり象工場的機能をふくんでおる」と考える老博士は、「超越論的理念の第三の抗争」のアンチテーゼ、すなわち「自由は存在せず、世界におけるいっさいはひたすら自然の法則にしたがって生起する」とする立場に立っている。
カントは、世界を「物自体」と「現象」との二重性において捉え、わたしたち人間の認識の対象は「現象」であって、「物自体」は認識できないとした。そのうえで、「現象それ自体は事物[物自体]ではないかぎりで、それらの現象の根底には、現象をたんなる表象として規定する超越論的対象が存していなければならないがゆえに」、「この超越論的対象に対して、この対象がそれをつうじて現象する性質のほかに、ある原因性」(「現象ではない原因性」)を賦与することができるとする。そしてそれぞれの「原因」(超越論的対象が現象する原因性と、現象ではない原因性)の有する性格を、「経験的性格」(「事物が現象において有する性格」)、「叡智的性格」(「物自体そのものの有する性格」)と呼ぶ(557頁)。
この行為する主体は、ところでその叡智的性格にかんしては、いかなる時間条件のもとにも立たないことだろう。時間はひとえに現象の条件であるにすぎず、物自体の条件ではないからである。こうした主体にあっては、どのような行為も生成することも消滅することもないだろうし、かくしてまたその主体は、すべての時間規定、あらゆる変化するものの法則、すなわち「生起するもののすべては(先行する状態の)現象のうちにその原因性を見いだす」という法則に下属することもないだろう。(中略)こうした叡智的性格を直接に見知ることは、けっしてありえないだろう。(中略)とはいえその叡智的性格は経験的性格に応じて、それでも思考されなければならないであろう。それはちょうど私たちが一般に超越論的対象を、その対象がそれ自体そのものとしてなんであるかについてなにひとつ知らないにもかかわらず、思考において現象の根底に置かなければならないのと同様なのである。(558頁)
「物自体」は「現象」ではなく、「時間はひとえに現象の条件であるにすぎ」ないから、「その叡智的性格にかんして」いえば「物自体」が「時間条件のもとに」立つことはない(注7)。「この存在者は、感性界におけるその結果をみずから開始する」が、「感性界における結果がみずから開始する必要はない。それというのも感性界における結果はいつでも、先行する時間のなかの経験的結果をつうじて、しかもやはり経験的性格(これは叡智的性格の現象にすぎない)を介してだけあらかじめ規定されており、ひとえに自然原因の系列を継続するものとしてのみ可能だからである。かくして、そもそも自由と自然とは、それぞれがその完全な意義をともなって、一箇同一の行為において、同時にかつまったく矛盾なく見いだされることだろう」(559頁)。
なんだか狐につままれたような気持ちになるが、右の引用につづけて「それは、当の行為が、その叡智的原因と引きあわされるか、あるいは可感的原因と引きくらべられるか、に応じてのことなのである」と述べていることを考えれば、分かる。「可感的原因」は「自然原因の系列」にあり、自然法則にしたがうものとしてあるが、「叡智的原因」は「自然原因の系列」に「下属」しないので、自然法則に対して「自由」なものとして見いだされる、というわけであろう。かくして自由は不断に存在するとともに、すべての「現象」は自然法則にしたがうものとして認識される。「自由と自然」とが「同時にかつまったく矛盾なく見いだされる」というのは、わたしたちの精神と身体とが「同時にかつまったく矛盾なく見いだされる」といっているに等しいだろう。
さて、先に、老博士は「超越論的理念の第三の抗争」のアンチテーゼ、すなわち「自由は存在せず、世界におけるいっさいはひたすら自然の法則にしたがって生起する」とする立場に立っているとした。正確にいえば、老博士は「便宜的に」その立場を取っている。
「私はどちらかと申せば、現実的な考え方をする人間です」と博士はつづけた。「古いことばを借りるならば、神のものは神へ、シーザーのものはシーザーへ、ということですな。形而上学というものは所詮記号的世間話にすぎんです。そんなことにうつつを抜かす前に、限定された場所でなさねばならんことは山とある」(下96頁)
「神のものは神へ、シーザーのものはシーザーへ」というのは、「叡智的原因」はさておいて、「可感的原因」を追究する、ということを意味している。「我々の頭の中」を「象工場」として捉え、「シャフリング・システム」を開発した老博士は、「感性界におけるその結果をみずから開始する」「存在者」(=神の領域)は棚上げにして、(叡智的性格の現象にすぎない)「経験的性格」を介してのみ規定されている「感性界における結果」(=シーザーの領域)を追究している(注8)。そして『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』という作品においては、人間の冷凍が可能になっており、意識のシステムの抽出とその再投入(インプット)という事態が成立してしまっている。
カントにしたがえば確かに「自然」は「自然原因の系列」にあり、自然法則にしたがうものとしてある。ただしその場合であっても、「自然」は「できごとの由来を、原因の系列においてつねに上流にさかのぼりつづけて探しもとめるという困難を悟性に課している」(485頁)。要するに自然は限りなく機械に近似して捉えることができるが、決して機械に一致することはない。というのも「現象それ自体は事物[物自体]ではないかぎりで、それらの現象の根底には、現象をたんなる表象として規定する超越論的対象が存して」いる(前引557頁)からである。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』のSFめいた設定の「戯れの根拠」(前出・菅野)にあるのは、「限定された場所」において「現象」の「経験的性格」にのみ注目するという態度であり、そこでは「超越論的対象」の有する「叡智的性格」が見落とされている。
三 限定された場所、便宜的ということ
「限定された場所」において「現象」の「経験的性格」にのみ注目するという態度は、そして、「私」の態度でもある。「私」は、しばしば「便宜的」という言葉を口にする。作品冒頭、エレベーターに乗っている「私」は「前後の状況を考えあわせてみて、エレベーターは上昇しているはずだ」と「便宜的に」決める。
たとえば地球が球状の物体ではなく巨大なコーヒー・テーブルであると考えたところで、日常生活のレベルでいったいどれほどの不都合があるだろう? (中略)地球が巨大なコーヒー・テーブルであるという便宜的な考え方が、地球が球状であることによって生ずる様々な種類の瑣末な問題――たとえば引力や日付変更線や赤道といったようなたいして役に立ちそうにもないものごと――をきれいさっぱりと排除してくれることもまた事実である。ごく普通の生活を送っている人間にとって赤道などという問題にかかわらねばならないことが一生のうちにいったい何度あるというのだ?(16〜17頁)
自らを「どちらかといえば様々な世界の事象・ものごと・存在を便宜的に考える方」であるという「私」が、「私はどちらかと申せば、現実的な考え方をする人間です」という老博士と似通っていることは明らかだろう。すなわち「私」もまた、「限定された場所」において「現象」の「経験的性格」にのみ注目するという態度を生きているのであり、「超越論的対象」の有する「叡智的性格」は棚上げにされている。だがそれは「私」に限られたことだろうか。わたしたちの多くが「日常生活のレベルで」そのように生きていて、そして自分は「ごく普通の生活を送っている」と考えているのではないだろうか。
たとえばわたしが、通勤電車の座席で読んでいた本を落としたとする。本はわたしの手元から電車の床に落ちた。それはその通りなのであるけれども、同時にわたしは新百合ケ丘から経堂へと走る電車の車内にいて、その電車を載せる地球は自転しつつ太陽の周囲を廻り、さらに太陽系を含む宇宙の星々はビッグ・バン地点から急速に遠ざかっている。であるとするなら、わたしの手元から電車の床に落ちた本は、ほんとうは、どこからどこに移動したことになるのだろうか?
もちろん、わたしたちはふつう、そんなことは考えはしない。老博士ではなくても「そんなことにうつつを抜かす前に、限定された場所でなさねばならんことは山とある」のだ。わたしたちはふつう、「私」のように「前後の状況を考えあわせて」みるまでもなく、本は手元から電車の床に落ちたと考える。そのように考えることを「便宜的」であるとも思わないわたしたちと、「(エレベーターは)十二階上って三階下り、地球を一周して戻ってきたのかもしれない」と考える「私」(注9)と、ほんとうは、どちらが「まとも」なのかは、分からない。少なくともいえることは、自らの考えが「便宜的」であることを繰返し語る「私」は、その考えが「便宜的」であることを自覚している、すなわち、「限定された場所」において「現象」の「経験的性格」にのみ注目するという態度を生きていると、自覚している(注10)、ということである。
それゆえ「私」は、明瞭な「数字」と「事実」を好む。「自由というまやかし」を斥ければ「自然はたほうその代償として、経験の一貫した合法則的な統一を約束してくれる」(前出・カント)からだ。「正確な数字を把握すること――救済はそれによってもたらされるはず」(21頁)であり、「トラブルの大部分は曖昧なものの言い方に起因していると私は思う」(101頁)のであり、「貸出しカードに並んだスタンプの日づけを見るのが大好きだった」(150頁)。「間違えようのない簡潔な事実というのはこの世で最も好ましいこと」(190頁)と考える「私」は「限定的なヴィジョンの中で暮している人間」(下384頁)であり、図書館の女の子の亡き夫のような「直截的で断片的でイメージが完結している」(下386頁)死が、自らにはふさわしいと考えている。そのような「私」の語りの文体が、単調で含みもなく変化に乏しいと感じられるのは、当然であろう。(注11)
とはいうものの、自らの考えが「便宜的」であることを自覚している「私」は、その「便宜的」な「考え」に充足しているわけではない。明瞭な「数字」と「事実」が「私」を満たしてくれるわけではない。「美しい夕暮れやきれいな空気が好きなのと同じように、私はそういった時間(=眠りにつくまでのささやかなひととき)が好き」(136頁)なのだし、「新しい手付かずの太陽とともに目覚めることの心地良さは何ものにもかえがたい」(138頁)と感じ、「やはり世界は様々な音に充ちているべきなのだ」(139頁)と考え、「世界の終り」の老大佐のように、鳥のためにヴェランダのテーブルの上にパン屑をまいたりもしている(140頁)。そして何よりも、さまざまな客が訪れる「スーパーマーケットという場所が大好きなのだ」(261頁)。
「限定された場所」において「限定的なヴィジョンの中」で自覚的に「便宜的」な考えにしたがって暮らしている「私」は、自らの疲労と老いを、繰り返し口にする。そして「できることならそっと静かに暮したい」(「115頁」)と願い、「引退したらチェロかギリシャ語でも習ってのんびりと老後を送りたい」(163頁)、「のんびりと暮し、ギリシャ語とチェロを習うのだ」(248頁)と、ただそれだけを楽しみにしている。そのような思いが「私」が意識の奥底に作り上げているとされる「世界の終り」に投影されていることは、いうまでもあるまい。「便宜的」とは、その場の、一時の都合に合わせて、取りあえず間に合わせに、ということである。「宇宙の意味について無知」(195頁。ボルヘス『幻獣辞典』の序文の言葉)であるままに、「限定された場所」において取りあえず間に合わせに処理される生は、ただ疲労のみを残し、いたずらに老いばかりが積み重なっていく。
四 擬制からの解き放ち、祝福
作品の最後ちかく、「私」は図書館の女の子とともに車で公園に向かい、やがて女の子は家に帰って、ひとり芝生に寝転んで空を見上げる。
空をじっと見あげていると、私は自分が見わたす限りの海原に浮かんだ小さなボートのように思えた。風もなく波もなく、私はただそこにじっと浮かんでいるだけだ。大洋に浮かんだボートには何かしら特殊なものがある、と言ったのはジョセフ・コンラッドだ。『ロード・ジム』の難破の部分だ。
(中略)船という擬制の中から切りはなされ見わたす限りの大洋に放り出された小さなボートにはたしかに何かしら特殊なものがあるし、誰もその特殊性から逃れることはできないのだ。(下389頁)
空も海も、それだけをただじっと見ていると、「存在のすべてを集約しているように感じられることがある」と、「私」はいう。「擬制」とは「相異なる事実を法的には同一のものとみなし、同一の法的効果を与えること」をいう(『大辞林』第二版、三省堂、一九九八)。たとえば「電気」は、法的には「有体物」と見なされる。「有体物」とは、空間の一部を占める有形的存在である物のこと。つまり「電気」は物質ではないのに、法的には物質として扱われ、それゆに窃盗罪が成り立つわけである。「有体物」という「擬制の中から切りはなされ」た「電気」とは、本来の(というか物理学において観察される)現象(電気現象)、あるいはエネルギー(電気エネルギー)である。すなわち「船という擬制の中から切りはなされ見わたす限りの大洋に放り出された小さなボート」とは、社会あるいは文明による「擬制」から切りはなされて「存在」という「海原」に自らを見出した、人間の姿である。「誰もその特殊性から逃れることはできない」。「限定された場所」において「限定的なヴィジョンの中」で「便宜的」な考えにしたがって暮らしていても、その「限定」が取り外されるときが、誰にも必ず一度は訪れる。すなわち死のときである。
図書館の女の子を迎えにいくための車をレンタ・カーで借りる前に、「私」はいくつかのカセット・テープを買っているが、その中に「『ライク・ア・ローリング・ストーン』の入ったボブ・ディランのテープ」(下286頁)がある。「ライク・ア・ローリング・ストーン」は、かつていい服を着て一流の学校にいき、宿なしの暮らしなど知らなかった「ミス・ロンリー」に、転落して「どんな気がする」と問いかける歌だ。「どんな気がする/どんな気がする/ひとりぼっちで/かえりみちのないことは/ぜんぜん知られぬ/ころがる石のようなことは」とボブ・ディランは繰り返し、歌う(注12)。その歌は、医師から精神病棟に転落するチェーホフ『六号室』、貴族から刑務所に転落するドストエフスキィ『死の家の記録』を想起させる。
とはいえこの場面には悲哀感はあっても、死を前にした恐怖も不安もない。たとえば「やみくろ」の巣の中心に避難した老博士のもとへと地底の闇の中を進み、互いの体を確かめるように抱き合ったピンクの女の子が「突然私の体を離れた」とき、「私はまるで一人宇宙空間にとり残された宇宙飛行士のように、底のない絶望感に襲われ」(437頁)ているが、そこでは恐らくたとえ「擬制」であっても、自らの存在を確かめられるものが求められている。それに対して芝生に寝転んで空を見上げるこの場面では、死(意識の死)を前にして、すべてのものを捨て去って「擬制」から解き放たれた、やすらぎのようなものが漂っている。あたかも「泡立て器の一部であることをやめて」「皿の上に並んだ黒いねじ」が「みんな幸せそうに見えた」(下308頁)ように。
公園を出て港へと車を走らせ、人気のない倉庫のわきに車を停めた「私」は、シートを後ろに倒してボブ・ディランのテープを聴く。フロント・グラスから射しこむ太陽が「私」を光の中に包む。
太陽の光が長い道のりを辿ってこのささやかな惑星に到着し、その力の一端を使って私の瞼をあたためてくれていることを思うと、私は不思議な感動に打たれた。宇宙の摂理は私の瞼ひとつないがしろにしてはいないのだ。私はアリョーシャ・カラマーゾフの気持がほんの少しだけわかるような気がした。おそらく限定された人生には限定された祝福が与えられるのだ。(401頁)
「太陽の光が長い道のりを辿ってこのささやかな惑星に到着し、その力の一端を使って私の瞼をあたためて」いることは、ひとつの自然現象として記述することができる。それは「世界におけるいっさいはひたすら自然の法則にしたがって生起する」ことの、ひとつの現われである。そして/しかし同時に、そのことに「不思議な感動に打たれた」という「私」の感慨には、「現象それ自体は事物[物自体]ではないかぎりで、それらの現象の根底には、現象をたんなる表象として規定する超越論的対象が存していなければならない」ということが含まれている。太陽の燃焼エネルギーの「私の瞼」への到達は合法則的な自然現象であるとともに、「私の瞼ひとつないがしろにしてはいない」「宇宙の摂理」でもある。
こうしてわたしたちは、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』におけるSFめいた荒唐無稽な設定の、「小説を生成する第一原因でもあれば、小説を動かす原動力の源でもある」「戯れの根拠」(前出・菅野)に辿りついた。「我々の頭の中」は「象工場」であり、「今の新しいコンピューターはそれ自体がかなり象工場的機能をふくんでおる」という老博士は、わたしたちの意識/無意識に「システム」を想定し、「脳」を「ブラック・ボックス」として利用する「シャフリング・システム」について、あたかもコンピュータについて語るかのごとく語っている。「神のものは神へ、シーザーのものはシーザーへ」という老博士は、「現象」の「経験的性格」に注目し、「物自体」の「叡智的性格」は棚上げにしている。そうしたありようは、「限定された場所」において「限定的なヴィジョンの中」で「便宜的」な考えにしたがって暮らしている「私」の生き方にも共通している。そのような設定が「第一原因」「原動力」となって、作品は棚上げにされていた「叡智的性格」の再発見あるいは回復へと向かうのだ。すなわち「私」は車の中で海を見、ボブ・ディランの『風に吹かれて』を聴きながら、思う――「世界はあらゆる形の啓示に充ちているのだ」(下402頁)と。
こうした叡智的性格を直接に見知ることは、けっしてありえないだろう。(中略)とはいえその叡智的性格は経験的性格に応じて、それでも思考されなければならないであろう。(カント。前引558頁)
そのことをたとえば中原中也は「あらはるものはあらはるまゝによい」(「いのちの声」『山羊の歌』一九三四)と歌った。
五 草原の輝き 花の栄光
老博士の説明によれば、「オリジナル思考システムA」の表層を削って意識の核だけを残し、「その表層を削り取った思考システムを冷凍して井戸の中に放り込む」というのが「シャフリング方式の原型」(下98頁)であった。その「回路」は「ブラインド回路」であり、その回路に入ると、「自分の思考の流れを一切認識することができ」ない(下100頁)。だが「ふたつの思考システムを切りかえて使用するということが脳にとってはもともと不可能であった」(下116)らしく、二十六人の被験者のうち生き残ったのは「私」だけであった。博士の仮説ではあるが、それは恐らく「私」が「もともと複数の思考システムを使いわけて」いたからだ。すなわち「私」は自ら気づかぬうちに、「表層的行為のレベルにおける偶然性」を排し、「新たなる体験の増加に伴う」「変化」(下97頁)を排除した「意識の核」を作り上げていた。その要因として博士は「あんたには極端に自己の殻を守ろうとする性向がある」と指摘する(下119頁)。
「私」が自らまとめあげていた「意識の核」は、「世界の終り」だった。その世界には時間も空間も、生も死も、「正確な意味での価値観や自我」もなく、「獣たちが人々の自我をコントロールする」のだと博士は語る(下122頁)。さらに博士は自らが「編集しなおした意識の核」を「三つめの思考回路」として組み込んだ(下109頁)。その目的のひとつは、「他者の手によって秩序づけられ編集しなおされた意識が被験者の中でどのように機能するか」を知りたかった(下110頁)ということ。そして第二に、「第二の思考システム」と博士の編集しなおした「第三の回路」との間の「誤差に対する反応を計測してみたかった」(下121頁)ということにあった。「その計測結果から、あんたが意識の底に封じこめておるものの強さや性格やその成因をもう少し具体的に推測できるはずだった」。
「記号士たちややみくろ」によって研究室を破壊され、もはや誤差計測は不可能だと、博士はいう。しかしながら作品終盤の「私」の次のような述懐は、「私」が「意識の底に封じこめておるものの強さや性格やその成因を」語っている。
……世界には涙を流すことのできない哀しみというのが存在するのだ。それは誰に向っても説明することができないし、たとえ説明できたとしても、誰にも理解してもらうことのできない種類のものなのだ。その哀しみはどのような形に変えることもできず、風のない夜の雪のようにただ静かに心に積っていくだけのものなのだ。
もっと若い頃、私はそんな哀しみをなんとか言葉に変えてみようと試みたことがあった。しかしどれだけ言葉を尽してみても、それを誰かに伝えることはできないし、自分自身にさえ伝えることはできないのだと思って、私はそうすることをあきらめた。そのようにして私は私の言葉を閉ざし、私の心を閉ざしていった。深い哀しみというのは涙という形をとることさえもできないものなのだ。(下393〜394頁)
涙を流すこともできず、言葉にすることもできない「深い哀しみ」。それが「私の心を閉
ざし」、「意識の核」に「世界の終り」を作り上げさせた。その「深い哀しみ」は何によっ
てもたらされるのかは、右の引用の直前に語られている――「たしかに私はあまりにも多
くのものを失ってきた。そしてこれ以上失うべきものは私自身の他にはもうほとんど何も
残ってはいないように思える。しかし私の中には失われたものの残照がおりのように残っ
ていて、それが私をここまで生きながらえさせてきたのだ」(下392〜393頁)。
こうして、「私」とは何者であるのかが、明らかになる。もちろん「私」は三十五歳の「記号士」である。だが三十五歳であることは、もはや若くはないことを示すに過ぎず、「記号士」とはSFめいた設定における『組織』に与えられた役割に過ぎない。「私」は何者であるのかは、自らが語っているように、「それが――その失いつづける人生が――私自身」(下277頁)なのだ。「私」に宛てた郵便物が届いているにも関わらず、「私」の名前は示されない(「世界の終り」の「僕」は名前を失っている)。『羊をめぐる冒険』の冒頭をもじっていえば、「失いつづける者」、それが「私」の名前であり、誰であれ「失いつづける者」はすべて「私」である。いったい、「失いつづける者」は何を失うのか?
ピンクの若い女に起こされて、老博士とふたたび会うために準備をしながら、「私」は二
人組の男に破壊され尽くした部屋を見回し、「草原の輝き・花の栄光」と声を出さずに朗読
する(上379頁)。「草原の輝き」はワーズワースの詩のタイトルであり、その詩が引用される映画のタイトルでもある。その映画は、次のような内容だ――「高校生の同級生ディーニーとバッドは仲のいい恋人同士。大人になりかけのふたりは感情的にも肉体的にも成熟していくが、セックスについては意識して触れないようにしていた。そんなある日、バッドは性への衝動を押さえられずに他の女性と関係を持ってしまう。このことを知ったディーニーはショックを受け……」(注13)
自失したままディーニィーは授業を受ける。女性教師がワーズワースの詩を朗読する。
かつては目をくらませし 光も消えされり
草原の輝き 花の栄光
再びそれは還らずとも なげくなかれ
その奥に秘めたる力を 見出すべし(注14)
「この詩の意味は何でしょう?」と、教師がディーニーを指名する。「若いころは物事を非常に理想主義的に見ます。この詩の意味は年をとると若いころの理想主義を忘れるがその代わり力を――」。バッドの行為をすでに知っているディーニーは心を振り絞ってこたえようとするが、それ以上はいうことができず、自失状態で教室を出て行く。ディーニーは自殺を試み、精神病院に入る。バッドは大学に進むが、学業に手はつかない。パスタ・ショップの女の子に故郷を聞かれ、「そこに帰ればいいのに 恋人がいるんでしょ」といわれて「昔はね」と答える。――以降の内容の紹介は差し控えるが、『ノルウェイの森』を想起させる(注15)。涙を流すこともできず、言葉にすることもできない、痛切な「深い哀しみ」。それはすでに若者ではなくなった誰もが知っていて、誰もが秘めているものだ。
作品における「十七歳」へのこだわりは、すでに指摘されている。ピンクの若い女は十七歳であり、「世界の終り」の女の子が十七歳のときに「影」が死に、「私」が「この前十七歳の女の子に口づけされたのは十八年も前の話」(431頁)で十七歳のときであり、「J・D・サリンジャーとジョージ・ハリソンが好きだった」女の子も十七歳。また小学、大学時代の記憶に比して、高校時代への言及も多い――「高校生というのはみんなどことなく不自然な存在であるように思えた。みんなどこかが拡大されていて、何かが足りないのだ。(中略)老人たちの姿には高校生ほどの不自然さは感じられなかった」(下308〜309頁)。老博士は「私」に、「あなたには何かがある。あるいは、何かが欠けておる。(中略)そういう状況を進化の過程と呼ぶ」(100頁)と告げていた。ピンクの若い女もまた、いう――「あなたには何か特別なものがある(中略)感情的な殻がとても固いから、その中でいろんなものが無傷のまま残っているのよ」(下389頁)。
「失いつづける者」は何を失うのか? 「私」は何を失ったのか? 「無傷のまま残っているもの」とは何か? 過去に探る必要はない。「みんな……ぐるぐるとまわっているだけ」(下330頁)だからだ。
図書館の女の子の家を訪ねた「私」は、女の子の「死んだ主人」が「いつも古い音楽ばかり聴いて」いたと知り、「僕に似てる」と思う。「満月に近い月が見え」、二人はテーブルの上に置いた「頭骨」を眺める。パット・ブーンの『アイル・ビー・ホーム』が流れ、「時間が間違った方向に流れているような気がした」。そして女の子は「月の光の中で服を脱いだ」。『ノルウェイの森』の、直子のように。
……何もかもがずっと昔に一度起ったことみたいだった。(中略)ぐるぐるとまわっていつも同じところにたどりつくのだ。それはまるでメリー・ゴー・ラウンドの馬に乗ってデッド・ヒートをやっているようなものなのだ。誰も抜かないし、誰にも抜かれないし、同じところにしかたどりつかない。
「何もかも昔に起ったことみたいだ」と私は眼を閉じたまま言った。
「もちろんよ」と彼女は言った。(中略)
「どうしてわかる?」
「知ってるからよ」と彼女は言った。(中略)「みんな昔に一度起ったことなのよ。ただぐるぐるとまわっているだけ。そうでしょ?」(下329〜330頁)
*
「三回性交」したあと眠りについた深夜、「頭骨」が「人為を超え」て光を発するのだが、
もはや書きつづける時間がない。「心は魂に憧れる。魂は心を求める。」という、この文章
のタイトルの「心は魂に憧れる。」にすら、あと一歩でたどりつかなかった。萩原朔太郎の
「遊園地にて」(『氷島』一九三四)を引用して、ひとまず終わることとしたい。「メリー・
ゴー・ラウンドの馬」は〈魂〉に焦がれて「ぐるぐるとまわっている」のである。
遊園地(るなぱあく)の午後なりき/楽隊は空に轟き/回転木馬の目まぐるしく/艶めく紅(べに)のごむ風船/群衆の上を飛び行けり。
今日の日曜を此所に来りて/われら模擬飛行機の座席に乗れど/側へに思惟するものは寂しきなり。/なになれば君が瞳孔(ひとみ)に/やさしき憂愁をたたへ給ふか。/座席に肩を寄りそひて/接吻(きす)するみ手を貸したまへや。
見よこの飛翔する空の向うに/一つの地平は高く揚り また傾き 低く沈み行かんとす。/暮春に迫る落日の前/われら既にこれを見たり/いかんぞ人生を展開せざらむ。今日の果敢なき憂愁を捨て/飛べよかし! 飛べよかし!
明るき四月の外光の中/嬉嬉たる群衆の中に混りて/ふたり模擬飛行機の座席に乗れど/君の円舞曲(わるつ)は遠くして/側へに思惟するものは寂しきなり。(注16)
注1 村上春樹「「自作を語る」はじめての書下ろし小説」(『村上春樹全作品1979‐1989C』講談社、一九九〇)
注2 今井清人「『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』―ねじれの組織化―」『現点』一九八九・七→『村上春樹―OFFの感覚』(国研出版、一九九〇)。引用は栗坪良樹・柘植光彦編『村上春樹スタディーズ02』(若草書房、一九九九)による。
注3 ことのついでに注意を喚起しておきたいのだが、少なからぬ論者がこの作品を「近未来小説」としているけれども、そうではない。というのも「私」は三十五歳であるとされていて、「しかるべきときにペニスが勃起しなかったことなんて東京オリンピックの年以来はじめてのことだった」と語られているからだ。東京オリンピックは一九六四年。作品内時間を一九八四年九〜一〇月と考えれば(前掲「自作を語る」によれば、一九八四年の夏から書き始めて翌年一月に完成、三月に書き直しが完成。刊行は八五年六月)、このとき「私」は十五歳だったということになって、なんとか辻褄が合う。「ハードボイルド・ワンダーランド」の世界は、わたしたち読み手の世界に酷似しているが、わたしたちの世界には存在しない天才科学者が驚嘆すべき研究を実現している、パラレル・ワールド(『一Q八四』)であり、まさに「ワンダーランド」である。
注4 菅野昭正「終りからのメッセージ―村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』をめぐって」(『群像』一九九一・八→『小説を考える―変転する時代のなかで』講談社、一九九二)。引用は『村上春樹スタディーズ02』による。
注5 スタンリー・キューブリック監督、一九六八年公開。9000型コンピュータである人工知能ハルは、機能停止直前の薄れゆく意識(?)のうちに「コワイ……」と呟く。
注6 イマヌエル・カント、熊野純彦訳『純粋理性批判』作品社、二〇一二。483頁。
注7 「どのような行為も生成することも消滅することもない」という「物自体」のありかたは、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の「世界の終り」の世界に似ている。だからといって「世界の終り」が「物自体」の世界だというのではない。村上春樹はカント哲学を作品化しているわけではない。「世界の終り」の性質は、作品の内部で考えられなければならないだろう。
注8 それゆえに孫娘のピンクの若い女に「おじいさまはときどき自分のことに夢中になりすぎてしまって、それで人に迷惑をかけちゃうことになるのよ」と叱られる(「25」)のだが、一方、「あらゆる純粋な自然現象がある場合に人々を傷つけるのと同じ」働きをもつ「科学の純粋性」を語る老博士を、「私」は恐らくその「公正さ」によって許す。
注9 エレベーターが「異界」へと移動するものであったことは、神山眞理「物語に表現される空間の図学的考察―村上春樹の小説を示例として」(『(日本大学)国際関係学部研究年報』29集、二〇〇八・三)に説かれている。また山根由美恵「村上春樹「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」論―二つの地図の示すもの」(『近代文学試論』37、一九九九・一二)は、「やみくろ」の聖域の地下構造が、「世界の終り」の「街」と一致することを指摘している。
注10 『羊をめぐる冒険』の「僕」は、「もし宇宙人が僕のところにやってきて「ねえ君、赤道は時速何キロメートルで回転しているんだ?」と質問したとしたら、僕はとてもこまってしまう」、「(宇宙人は)たぶん笑うだろう。死ぬほど笑うだろう」と語る。
注11 他方、「世界の終り」の「僕」は当初、「心」を見失っている。それゆえその語りの文体は、静かで美しくはあるけれども、やはり単調である。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の「私」と「僕」は、ともに「心」を見失っているため、「私」の語りは説明的となり、「僕」の語りは美文的となっている。指摘されているように後半になって「私」と「僕」は「心」の回復を目指すのだが、それにつれて、どちらも文体の質が変化する。
注12『BOB DYIAN HIGHWAY 61 REVISITED』SONY MUSIC DIRECT (JAPAN)INC.MHCP 806.2004,所載の片桐ユズル訳による。
注13 製作・監督エリア・カザン、原作・脚本ウィリアム・インジ、一九六一年公開。出演はナタリー・ウッド、ウォーレン・ベイティー。あらすじは、同作品DVD(Warner Home Video,2001,DL-11164)パッケージによる。
注14 字幕翻訳・高瀬鎮夫による。
注15 村上春樹は「観るたびに胸打たれる」、「青春というものの発する理不尽な力にうちのめされていく傷つきやすい少女の心の動きを彼女(=ナタリー・ウッド)は実に見事に表現している」と述べている(『村上春樹・川本三郎『映画をめぐる冒険』講談社、一九八五』)。川本三郎のあとがきに「村上さんと最初の打合せをしたのが昨年の十二月」とあり、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の執筆時期と部分的に重なっている。
注16 「側へに思惟するもの」とは、「漂泊者の歌」(『氷島』において「一つの輪廻を断絶して/意志なき寂寥を踏み切れかし」と悲痛に自らに訴える者にほかならない。
*作品の引用は新潮文庫(平成二二年四月発行、平成二五年四月・六月六刷)によった。
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村上春樹 再読(2) ――『1973年のピンボール』
星野光徳
1
前回の(1)において私は、「村上の文体には、現代アメリカ小説のような歯切れの良さを装いながら、実は歯切れの悪い何かがある。村上春樹の小説の〈謎〉は、隠された物語やメタファーの謎ではなく、その文体の根底にこそある〈何か〉ではないだろうか」と書いた。私は村上春樹の作品を読むたびに、その〈語り〉の底に秘められた〈何か〉に躓く。そこには何か薄暗い、しかし決定的な志向がある。或いは清潔な宿痾のような――。
村上のデヴュー第2作『1973年のピンボール』(1980・3)にも、その〈何か〉は散りばめられている。
いま思えば、別の意味でそう外れていたわけでもなかったのだが、『1973年のピンボール』というタイトルを、当初、私は大江健三郎の『万延元年のフットボール』(1967)のもじりではないかと思ったものだ。実は『万延元年のフットボール』となんらの影響関係も見当たらない『1973年のピンボール』は、この国の70
年代が、いわゆる戦後文学の地平から遥かに隔たってしまったことを示す地点の一つだった。そういう意味においてのみ、この二つの作品は読み比べられてもいい。
〈世界の変質〉が誰の目にも見え始めた70年代の終わり――とも前回私は書いたが、私自身の記憶でもバルトやフーコー、デリダ…といった所謂ポストモダンの思想家たちの著作が日本の書店にも溢れて、それまでの思考=世界解釈の枠組み自体が劇的に変化したのは70―80年代であったし、田中康夫『なんとなく、クリスタル』(1980)、高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』(1981)、島田雅彦『優しいサヨクのための嬉遊曲』(1983)といったその頃の新人たちの登場も印象的だった。つまり、60年代にはまだ生きていた(少なくとも私自身には影響を与えた)〈主体〉、〈進歩〉、〈変革〉といった観念が瓦解し、いわば〈形式の差異〉だけの中に取り残されたような空虚感――学生たちの〈主体〉奪還のための闘いなどは一時の幻影として過去に押しやられ、のっぺりとした既視感に包まれたような日常が露わになった時代だった。(ただし、科学技術の「進歩」と経済の拡大・増殖だけは進み、それは変化と見まがうばかりだったが。)
村上春樹の作品が、そういう時代の変質を象徴するもののように見えたのは確かだった。だが、それはアメリカ小説的重層化とリズムを持ち込んだというだけで、この国の文学に根源的変質をもたらしたわけではなかった。
僕が話した相手の中には土星生まれと金星生まれが一人ずついた。(略)彼はある政治的なグループに所属し、そのグループは大学の九号館を占拠していた。
(略)九号館にはウォーター・クーラーと電話と給湯設備があり、二階には2千枚のレコード・コレクションとアルテックA5を備えた小綺麗な音楽室まであった。(略)彼らは毎朝熱い湯できちんと髭を剃り、午後は気の赴くままに片端から長距離電話をかけ、日が暮れるとみんなで集まってレコードを聴いた。おかげで秋の終わりまでには、彼らの全員がクラシック・マニアになっていたほどだ。
気持ち良く晴れわたった十一月の午後、第三機動隊が九号館に突入した時にはヴィヴァルディの「調和の幻想」がフル・ボリュームで流れていたということだが、真偽のほどはわからない。六九年をめぐる心暖まる伝説のひとつだ。
(略)彼は僕に一番立派な椅子を勧め、理学部の校舎からくすねてきたビーカーに生温かいビールを注いでくれた。
「それに引力がとても強いんだ。」と彼は土星の話を続けた。「口から吐き出したチューインガムのかすをぶっつけて足の甲を砕いた奴までいる。じ、地獄さ。」
「なるほど。」二秒ほど置いてから僕は相槌を打った。そのころまでには僕は三百種類ばかりの実に様々な相槌の打ち方を体得していた。
「た、太陽だってとても小さいんだ。ホーム・ベースの上に置いた夏みかんを外野から見るくらいに小さい。だからいつも暗いんだ。」彼はため息をついた。
『1973年のピンボール』の「僕」は自己にかかわる物語を語る前に、他人の「生まれた故郷や育った土地」の話(の断片)を聞いて回る。大学闘争をカリカチュアライズする表現には、『風の歌を聴け』には微かにあった大学闘争の余韻はすでにない。あるのは大学闘争――全共闘運動のあからさまなデフォルメであり、物語をファンタジーの型に流し込むことでその本来の意味を抜き取るというおなじみの手法であり、結果としては侮蔑と変わりはない。いや、その表現は、全共闘に象徴的だった集団と個の緊張関係そのものの無化――終焉を宣言していたとさえいえる。それは、〈個〉が〈社会〉に呑み込まれる事態に抗するのではなく、〈社会〉よりもひたすら〈個〉のレベルの問題あるいは断片に徹するという宣言だった。
あの東大闘争からたった十年余りで、全共闘の意味は無化されてしまったわけだ。まるで明るく移植されたカート・ヴォネガット・ジュニアふうの文体のリズム。しかし、ヴォネガットふうの土星人や金星人の話も、そこではただナンセンスな断片にすぎない。
2
『1973年のピンボール』のストーリーだけを追う限り、デヴュー作以上に分かりにくい構成に見える。
プロローグというべき章は、「見知らぬ土地の話を聞くのが病的に好きだった」という語りで始まる。それは「十年も昔」のことだ。「直子」が育った街の話もその一つだったが、それは他の話からは際立ったものとして「僕」の記憶に刻まれた。「僕たち」が二十歳だった一九六九年の春のことだ。
「プラットフォームの端から端まで犬がいつも散歩してるのよ。そんな駅。わかるでしょ?」
「おそろしく退屈な街よ。いったいどんな目的であれほど退屈な街ができたのか想像もつかないわ。」
何らかの目的を目指して「退屈な街」ができるわけではない。「目的」という言葉を〈脱臼〉させるこの表現は、「目的」という理念一般への否定を孕んでいる。それが「いつだって」「正確な言葉を捜し」て喋る「直子」の発言であってみれば、その「正確」さも疑ってかからなければならない。
それから四年後の一九七三年の五月、「僕」は「直子」の語った郊外の街を訪ねた、と語られる。そして、「直子」が家族とともにこの土地に越してきた当時の説明――。
家の設計者でもあった最初の住人は年老いた洋画家だったが、彼は直子が越して来る前の冬、肺をこじらせて死んだ。一九六〇年、ボビー・ヴィーが「ラバー・ボール」を唄った年だ。
一九六〇年をあの反安保闘争の年としてではなく、アメリカのヒット・ポップスで記憶するという感覚。そして「僕」をとらえている既視感――「繰り返し」という絶望。
何もかもが同じことの繰り返しに過ぎない、そんな気がした。限りのないデジャ・ヴュ、繰り返すたびに悪くなっていく。
しかも、その郊外の街を訪ねた帰途の台詞として、「直子」は死んでしまったと語られる。それは恐らく一九七〇年のことだ。
帰りの電車の中で何度も自分に言いきかせた。全ては終わっちまったんだ。もう忘れろ、と。そのためにここまで来たんじゃないか、と。でも忘れることなんてできなかった。直子を愛していたことも。そして彼女がもう死んでしまったことも。結局のところ何ひとつ終ってはいなかったからだ。
『ノルウェイの森』を読んだ読者には、この重要な名前をもつ恋人の死は決定的な一点に見える。しかし、さして深く語られるわけでもない「直子」は、あの長編に描かれる「直子」と同一人物とはいえない。それはまだ『風の歌を聴け』で隠されるように語られた「自殺した恋人」というモチーフの域を出ない。
そして、奇妙な双子の女性と暮らしている一九七三年の「僕」――。「目を覚ました時、両脇に双子の女の子がいた。」どういう経緯で「僕」の部屋に住みついたのか分からない双子は名前も名乗らない。「右と左」でもいいし、「縦と横」「上と下」…「入り口と出口」でもいいと言う。
勿論、この双子をリアルな登場人物と読む読者はいまい。では一体、この匿名の一対は何の喩であるのか。
このプロローグには一見脈絡もない挿話が並び、読者を戸惑わせるかも知れない。この作品も『風の歌を聴け』のように物語を隠す物語なのだろうか、と。しかし、このプロローグがすでにこの作品の重要な前提を示しているのも確かだ。一九六九年が「十年も昔」であるなら、今は三十歳の「僕」が、一九六九年から「直子」の死んだ一九七〇年を忘れることができないまま、一九七三年の出来事を語るという作りであること。標榜すべき理念の失われた時代を、既視の生のように生きている(と感覚している)「僕」の物語であること。
これは「僕」の話であるとともに鼠と呼ばれる男の話でもある。その秋、「僕」たちは七百キロも離れた街に住んでいた。
一九七三年九月、この小説はそこから始まる。それが入り口だ。出口があればいいと思う。もしなければ、文章を書く意味なんて何もない。
「七百キロも離れた街」はここでは空間的な距離(東京と芦屋?)に反して、心理的には同時に生きられる、つまり同じ場所だ。しかし「鼠」は『風の歌を聴け』の結末部で小説を書き出したあの「鼠」とは別人に見える。前作であの土地(ジェイズ・バーのある)に取り残された、もう一人の「僕」自身と読めるからだ。「鼠」という呼び名を継いでいるだけで、同一人物だという理由にはならない。いや、『風の歌を聴け』においても「鼠」は「僕」の陰画であり、『羊をめぐる冒険』(1982)から振り返れば、「鼠」は作品ごとに変貌している。
だが、一九七三年の「僕」と「鼠」の物語が語られる前に、プロローグの続きのようにして(その実、この小説全体の秘められた主題を予め示すような)「ピンボールの誕生について」という一節が語られる。
ピンボールの史上第一号機が一九三四年に(略)もたらされたというのはひとつの歴史的事実である。そしてそれはまたアドルフ・ヒットラーが大西洋という巨大な水たまりを隔てて、ワイマールの梯子の一段めに手をかけようとしていた年でもあった。
(略)ピンボール・マシーンとヒットラーの歩みはある共通点を有している。彼らの双方がある種のいかがわしさと共に時代の泡としてこの世に生じ、そしてその存在自体よりは進化のスピードによって神話的なオーラを獲得したという点で。
ピンボール・マシーンの進化を、あの二十世紀最悪の戦争犯罪を遂行した軍人政治家に比定するレトリックに、私は躓く。小説の展開に向けてゲーム機を神話化するために、神話化された軍人政治家の名を比喩として用いたというだけでは済まされない問題がある。一方は何らの実体も産み出すことのないゲーム機であり、他方は現実にホロコーストを実行した歴史的な人物である。歴史的素材を扱うかに見えて、実はそこから歴史的意味は巧妙に抜き取るというのが村上のレトリックだ。『海辺のカフカ』(2002)を読んだ目で振り返れば、私はそこで語られていたアイヒマンについての挿話を思い出さずにはいられない。(それはナチス親衛隊中佐として事務的・効率的にユダヤ人大量処分を計画実行したアイヒマンには、計画を遂行する事務官僚としての責任以外、罪の意識などなかったのではないかとして、それを肯定するかのようなカフカ少年の感想が語られる。)。『海辺のカフカ』の内実については、後に小森陽一が苛烈な批判をすることになるが(小森『村上春樹論』2006・5)、この『1973年のピンボール』にすでに、それは垣間見えていた。いえば、村上にはナチスの残虐な効率性に親和する、非人間的な〈何か〉があるのではないか。「いかがわし」いのは、村上の作品の方かも知れない。
(ピンボール研究書「ボーナスライト」の序文)
ピンボール・マシーンはあなたを何処にも連れて行きはしない。リプレイ(再試合)のランプを灯すだけだ。リプレイ、リプレイ、リプレイ……、まるでピンボール・ゲームそのものがある永劫性を目指しているようにさえ思える。
永劫性について我々は多くを知らぬ。しかしその影を推し測ることはできる。
ピンボールの目的は自己表現にあるのではなく、自己変革にある。エゴの拡大にではなく、縮小にある。分析にではなく、包括にある。
殆どの機械というものは、エゴの拡大のために造られ
たものだ。しかし、ピンボール・マシーンだけはエゴの縮小=限定のためにあるという。限定された自己を微分するのではなく、刻々に積分される自己像として果てしなく再生産=再確認するためだけのマシーン――。
3
小説の本編(?)では、東京での「僕」の物語と、前作と同じ街にとどまっている「鼠」の物語とが交互に語られる。(奇数章は「僕」、偶数章は「鼠」の物語として語られる規則性が18章以降で入れ違うのも、「僕」と「鼠」が截然と分けられる存在でないことを示している。)
この本編の粗筋を強いて示せば、次のようなものだ。
友人と二人で翻訳事務所を開いた「僕」は、突然アパートの自分の部屋に住みついた双子の女の子と暮らし、電話局の男が交換して忘れていった古い配電盤を死者のように貯水池へ葬る。双子との奇妙な日常は淡々と過ぎ、或る日突然、かつて熱中したピンボール・マシーンが「僕」に蘇る。「僕」はピンボール・マニアを介して、その日本に一台だけ残っているかも知れない思い出のマシーンの在処を捜す。
一方、やはりかつてそのピンボールに熱中したことのある「鼠」は、海岸の街で沈鬱な(停滞そのものというべき)日々を送っている。ふとしたことで知り合った女と深い仲になりながら訣別を決意し、バーのマスターだけに街を出ることを告げる。
ピンボール・マニアの大学講師に教えられて「僕」は郊外の倉庫に眠っていたマシーン「スペース・シップ」と再会し、人間同士のように言葉を交わす。
街を出る決意をした「鼠」は、霊園の林の中で自ら求めていた深い眠りに落ちる。(それは自殺と読める。)
日常に戻った「僕」は耳の掃除中にくしゃみをして両耳が聞こえなくなる。医院での治療で聴覚はもとに戻るが、耳の穴の形が特殊なのだと言われる。十一月の静かな日曜日、出て行く双子を見送って、「僕」はまた一人になる。
本編による限り、これは「僕」の、かつて死んだ恋人の喩としてのピンボール・マシーン探索の物語と、「僕」の分身である「鼠」が停滞からの再出発を期しながら死ぬ物語との合体である、とひとまずは読めてしまう。ただし、ストーリーとしては小説の結構を欠いているように見える。断片が積み上げられる途中までは退屈といってもいいし、読み易さは作品の浅さゆえのようにも見える。勿論、作中の「僕」が浅いのではなく、人物の内面に深く立ち入ろうとしない語り手(一九七九年の「僕」)のポーズのせいだ。ただし、その〈退屈〉と〈浅さ〉は、村上の作品の現在性を読み解く鍵であるかも知れない。〈退屈〉と〈浅さ〉はそのまま〈絶望的既視感〉と〈諦観〉と言い換えることができるからだ。
この作品構造を分析的に批評した加藤典洋(『イエローページ村上春樹』1996・10)は、『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』に先行した「原物語」を想定してみせた。
その『1973年のピンボール』の原物語で、鼠は、一九七三年秋、十一月に車に乗ったまま睡眠薬を飲んで自殺する。つまり村上は、一九七九年、この一九七三年の原物語を解体し、これを事実とは違う形に置くことに、この小説を書く理由を見ているのである。
(略)
ここで村上は、鼠の死を鼠の再出発の物語に暗喩させて描くのではなく、鼠の死を鼠の再出発に「置き換え」、換喩的に再構成しているのである。
(略)
死とはかけがえのないものだが、死が回復可能な形におかれるとは、そういう大切な死が、可能でなくなる、ということだ。村上は、鼠の死の物語をピンボール・マシーンの探索譚に置き換えることで、いわば、失うことすらできない、二十世紀後半の悲哀にガラスの向こうから触れているのである。
(略)
回復不可能なものの喪失というモチーフ自体を喪失しつつあるわたし達の、新しい喪失なのである。
村上は近代文学が描き続けてきた〈失われてしまえば回復不可能なもの〉を回復可能なものとして描くことで、純文学の枠組みを解体した、と加藤典洋は言うのだ。
断片の集積のように仕組まれた(ヴォネガットふうの)物語は、確かにそのようにも読めないことはない。しかし、そうなのだろうか。加藤の深読みは、ときに徒らに深すぎる。
また、作品中の暗喩や象徴や多義性を摘出したがる石原千秋(『謎解き村上春樹』2007・12)は、この作品を「言語論的転回」に挑戦して「世界の果て」に行こうとした「僕」の物語と読み解いた。「言語論的転回」とは簡単にいえば〈世界は言語だ=言語的解釈に立つ限り世界からは出られない〉という思想だ。作中の「僕」も「鼠」もむしろ言葉を聞かないこと(言語的繰り返しを拒否すること)で、世界の果てまで行こうとしたのではないか。かつて「見知らぬ土地の話を聞くのが病的に好きだった」「僕」は、一九七三年においては〈繰り返し〉の中に身を潜めて世界に耳を閉ざしている。翻訳の仕事も、双子との暮らしも、(実はピンボール・マシーンの象徴するものも)〈繰り返し〉だった。そして、海岸の街にとどまる「鼠」も〈繰り返し〉を生きている。「僕と鼠が経験する繰り返す時間は、『時間の死』に限りなく近い。」
一九七三年の九月から十一月までの三ケ月の出来事は、「僕」に何かを終わらせた。そのことで「僕」は癒され、自分のための時間を取り戻したが、そのために「僕」は多くのものを失ってもいたのだ。治ること、癒されることは、そういうことだった。しかし、「僕」 が失ったものは、いつかは神話のように甦るだろう。抑圧されたものは必ず回帰する。
(略)
「世界の果て」に行くことは「世界」の中で日常的に営まれる生を引き受けることだったが、また一方で、甦った神話を生きることでもあった。そのような逆説を、「僕」はこの三ケ月で学んだのだ。そこが「出口」だ。
石原千秋の解読は意外にも平凡だ。しかし、この作品は「僕」が何ものかを代償として最後には癒されるという物語だったのだろうか。「言語論的転回」にまで挑んだ物語が結局は日常に回帰するものだったというのだろうか。
4
この物語のクライマックスは当然ながら、「僕」が失われたピンボール・マシーン「スペース・シップ」と束の間の再会を果たす場面だ。その場面があまりにも甘美に描かれたせいで、読者はこのシーンこそが小説の目指したものだったと錯覚するほどだ。
ずいぶん長く会わなかったような気がするわ、と彼女が言う。僕は考えるふりをして指を折ってみる。三年ってとこだな。あっという間だよ。
(略)
ゲームはやらないの? と彼女が訊ねる。やらない、と僕は答える。何故? 165000、というのが僕のベスト・スコアだった。覚えてる? 覚えてるわ。私のベスト・スコアでもあったんだもの。それを汚したくないんだ、と僕は言う。
(略)
いろんなことがすっかり変わっちまったよ、(略)でも嫌な街だったわ、と彼女は真顔で言う。何もかも粗雑で、汚らしくって…。そういう時代だったのさ。
(略)
なんだか不思議ね、何もかもが本当に起こったこと じゃないみたい。いや、本当に起こったことさ。ただ消えてしまったんだ。辛い? いや、と僕は首を振った。無から生じたものがもとの場所に戻った、それだけのことさ。
僕たちはもう一度黙り込んだ。僕たちが共有しているものは、ずっと昔に死んでしまった時間の断片にすぎなかった。それでもその暖かい想いの幾らかは、古い光のように僕の心の中を今も彷徨いつづけていた。そして死が僕を捉え、再び無の坩堝に放り込むまでの束の間の時を、僕はその光とともに歩むだろう。
何と郷愁に濡れたシーンであることか。しかも最後の一文は、村上にしては妙に生硬だ。甘美さを演出するために思わず書いてしまった一文にも見えるが、これは語り手の、というより作者の、むしろ素直な郷愁が入り混じった表現だ。「彼女」が最後にいた新宿が「何もかも粗雑で、汚らし」かったというのも、作者の率直な感想ではなかったか。つまり、ここには郷愁と入り混じって、一九七〇年の新宿の猥雑さ=無秩序を嫌悪した作者が顔をのぞかせている。だが、最後に「僕」は、もう振り返りもせずに決然と「ピンボール・マシーンの墓場」から立ち去っていく。まるで、ふと漏らしてしまった湿った郷愁を振り切るように。
しかし、最も注意すべきことは、ここで「彼女」と呼ばれたことで「スペース・シップ」が自殺した「直子」のメタファであると誰もが思ってしまうことだ。だが、それだけではない。失われたピンボール・マシーンは「直子」であると同時に、かつての「僕」自身であり、かつての「鼠」なのだ。つまり、この断片の集積のような物語においては、三年前に自殺した「直子」はかつての「僕」である。作品冒頭においても、「僕」は「直子」に教えられたと言いながら、四年後あの郊外の街にかつての自分に会いに行ったのだし、或る日突然のように記憶に甦ったピンボール・マシーンは、世界を拒絶するように(つまり世界から拒絶されるように)そのマシーンに熱中したかつての自分自身だった、と読むべきではないか。
それぞれの「 」も省かれた、この場面における「僕」と「彼女」との会話は、「僕」の自問自答、というより独白なのであって、その一人二役の会話には「僕の」(ここでは作者の)自己愛が露出している。しかし、「僕」はそう長くはそこ(郷愁=自己愛)にとどまらずに決然と立ち去る。――世界が見えなくなった時代(70―73年)に、世界を見まいとすることで生き延びた自分と「僕」は初めて向き合ったのだ。
つまり、この未完成にも見える物語は次のように読めるのである。
「直子」が自殺し、「僕」がピンボールに熱中した一九七〇年。それは一九七三年の時点から見ても、或いは語り手の今である一九七九年から見ても、「無から生じたもの」ではないことに、「僕」は(少なくとも語り手の「僕」は)気づいている。気づいていてなお「もとの場所に戻った、それだけのことさ」と言わせるのが村上の文体でもある。だが、「暗い穴の中で過ごしたような」一九七〇年の記憶は「消えてしまった」わけではない。「草原のまん中に僕のサイズに合った穴を掘り、そこにすっぽりと身を埋め、そして全ての音に耳を塞いだ」――世界に耳を閉ざして忘れようとしていただけだ。
それから三年間の停滞を生きた「僕」は今それに気づいた以上、新たに出発しなければならない。何処に向かって? 少なくとも「回帰すべき日常」に向かってではない。敢えていえば新しい「世界の果て」に向かってということになるだろう。(『羊をめぐる冒険』や『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読んだ目で振り返れば、「世界の果て」は様々に存在するのだから。)
『一九七〇年のピンボール』は、断片の集積であることによって却って入り組んで見えるが、実は「僕」が三年前の自分から再出発するという、案外に単純な物語だ。そのために「僕」は「鼠」という分身を殺さねばならない。――リプレイを繰り返すしかないマシーンとの再会と別れ、個性もないコピーとしかいいようのない双子との別れ、名前で呼ばれることもない女に癒されながらも閉ざされた世界から決定的な脱出を願う「鼠」(死ぬことで神話化した「鼠」は次の長編に別の姿で登場するが)、その後に悄然と残されたかに見える「僕」は、実は新たな出発に向けて、過去の自分を清算したのである。耳が聞こえなくなり耳鼻科で回復するという、あらずもがなに思える挿話は、「僕」が世界に向かってまた耳を澄ますことになるという暗喩以外ではない。
だが、それは過去の全てを忘れ去るということではない。「鼠」の死は新たな意味を帯びてまた語られるし、「自殺した恋人」は肉体を備えた人物として改めて描かれる。
ただし、作者の〈志向〉――心の底に隠された青写真は、決して汚濁にまみれた渾沌ではなく、整然と区画された「世界の果て」を目指していくように見える。それに伴って、その文体はますます清潔な明るさを纏いながら、非人間的ともいえる無機性を秘め続けていくのである。『1970年のピンボール』はその二段目に架けられた急拵えの梯子であったといえよう。(つづく)
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フォークナーから村上春樹へ
―「納屋」への放火、「父」あるいは「母」とのはざま
竹内 理矢
序
村上春樹は全作品集の刊行に寄せた月報のなかで、短篇「納屋を燃やす」(一九八三)の執筆以前に、ウィリアム・フォークナーの短篇“Barn Burning”(一九三九)を「読んだこともなかったし、それがフォークナーの短編の題であったこと自体知らなかった」と述べている(「自作」XIII)。だが、今村楯夫が『羊をめぐる冒険』(一九八二)と“Barn Burning”の「状況設定の対応性」や「人物の現れ方」の類似性を指摘して論証したように(四三‐四五)、「納屋を燃やす」執筆時期に村上がすでにフォークナーの短篇集を読んでいた可能性は高く、フォークナーの“Barn Burning”からある種のインスピレーションを受けたと推測される。ところが、村上はそうした推測を防ぐかのように、一九八三年の単行本版におけるアフリカから帰国する「女友達」を空港で待つあいだ主人公の「僕」が「フォークナーの短篇集を読んでいた」という一節を、一九九〇年出版の全作品集版では空港の「コーヒー・ルームで週刊誌を三冊読んだ」(二四一)と改稿し、フォークナーからの射影を遮断しようとした。自作とフォークナーの世界との連関を分断し、独立したテクストとして読まれることを望んだ結果であろうが、なぜ村上はフォークナーの影響を否定し隠そうとしたのか。結論を先回りしていえば、その理由はおそらく、フォークナー文学に見られる濃厚な土地の習俗や歴史あるいは強烈な個性をもった父との確執や葛藤から自らの文学世界を切り離す必要があったからであろう。むしろ自己の文学は、そうした習俗や歴史から遊離した時空、反逆すべき「父」の文化的不在と「母」との隠微な結ぼれを特徴とする時空で成立するのであって、そのような世界こそが二十世紀末に近づく現代日本の姿であることを示したかったのだろう。そして村上は、家父長制と共同体の解体以後のグローバル資本主義世界のなかで、乗り越えるべき「父」の不在状況がもたらす男の女(「母」)に対する暴力とその裏返しの愛執、および、情愛ではなく金銭取引こそが他者との交流の基盤となった現代人の殺伐とした孤絶的状況を浮き彫りにしたのである。それは、村上が隠蔽しても浮上してくる転倒したフォークナー的世界との地続き―「父」を凌駕しない男たちの横溢する欲望の力学―を照射しているのである。
一 フォークナーの“Barn Burning”―血縁と「父殺し」
フォークナーの“Barn Burning”は、十九世紀末のアメリカ南部ミシシッピー州を転々と移動する貧農家族に焦点をあて、農民を搾取する地主階級に対する激しい嫉妬と怨嗟から納屋に放火をくりかえす分益小作人の父親アブナー・スノープスと、そのような父に対する不信感や反発心とそれと裏腹の愛情と忠誠心のはざまで思い悩む十歳の息子サーティ・スノープスを描いている。アメリカ南部の大納屋は、穀物と農具の保管場所であり、毎年地主から農具と土地を借りその借賃として収穫物を地主に納める小作人アブナーにとっては自らを不当に使役し搾取する経済構造の象徴的中心である。だからアブナーの納屋への放火とはそうしたシステムと自らの境遇に対する抑えきれない憤怒の投射である。一方、少年は、南北戦争を勇敢に闘ったと信じる父への敬意、一家の大黒柱である父への親愛の情、そして父の横顔に刻まれた積年の労苦への畏怖ゆえに、父親の生きざまを否定できない。父が「身体と魂を所有」(九)された社会構造の犠牲者であり、社会正義とは弱者の搾取によって成立する偽善的思想ではないかという疑念を払拭できないのである。とはいえ、法に照らすかぎり、父の放火は身勝手かつ非道な自己主張であることも認識している。それゆえ、個人的情愛と社会的良心のあいだで少年の心は深々と分裂し、「悲哀と絶望」(四)に苦悶するのである。
裁判後に「放火魔!」というささやき声を耳にしたとき、少年は自分より大柄な少年に殴り倒されてもくりかえし飛びかかっていく。
. . .there was a face in a red haze, moonlike, bigger than the full moon, the ownerof it half again his size, he leaping in the red haze toward the face, feeling noblow, feeling no shock when his head struck the earth, scrabbling up and leapingagain, feeling no blow this time either and tasting no blood, scrabbling up to seethe other boy in full flight. . . . (5‐6)
赤い靄のなかに一つの顔があった。月のような、いや満月よりももっと大きい顔だった。顔の主は彼の一倍半ほどの背丈があったが、彼はぼんやりと赤くかすんだなかのその顔にむかって飛びかかっていった。べつになぐられた感じもなく、ぶつかった感じもなく、彼の頭は地面にたたきつけられたが、這い起きてまたとびかかっていった。こんどはなぐられたともおぼえず、口のなかにはいった血の味もわからなかったが、這い起きてみると、相手の少年は一目散に逃げていくところだった。(注一)
この少年の姿は、父への忠義というよりむしろ、裁判で自らが父に不利な証言をする誘惑におそわれた後ろめたさに起因する。中傷者への攻撃性を強める一方で、そうした罪責感から自らの肉体への苦痛と懲罰を欲求する衝迫に駆られているのだ。だが、注意すべきことに、殴り倒された身体の傷をいたわる母に少年は「痛まないよ。ほっといてよ」(七)という。少年が母に甘えることを進んで享受しえない厳しい環境で育ち、今や肉親の情から自立しはじめている事実が明らかになるのだが、母の心情を慮るならば、衝動的な攻撃性を見せるようになった息子がほかならぬ夫のように成長するのではないかという思案が彼女の心のなかをめぐっていると推量される。しかし、母と息子の情緒の交感は、貧農家族の息子はひとしく「母」から自立した「男」にならねばならないという外的な掟によって断絶されるほかない。少年がプランターに父の放火の意図を密告するべく母の手をふり払うのは、「自己の人生に対する支配的な女性の影響力からの隠喩的な逃避」(Miles 一五八)であり、さらには母との関係を断ち切ったうえで父を裏切り死に至らしめるふるまいは、「少年としての純な良心の声に従うという倫理的感動」(田中 三四二)を呼びおこす。作品のラストは次のように締めくくられる。
He was a little stiff, but walking would cure that too as it would the cold, andsoon there would be the sun. He went on down the hill, toward the dark woodswithin which the liquid silver voices of the birds called unceasing?the rapid andurgent beating of the urgent and quiring heart of the late spring night. He did notlook back. (25; emphasis mine)
からだのふしぶしもすこし痛かった。しかしこれも寒さとおなじように、歩きだすとなおるだろう。それに、太陽がまもなく昇ってくるのだ。彼は丘をおりて、暗い森のなかへはいっていった。森のなかでは、鳥たちのなめらかな銀色の鳴き声が、たえず、やむことなく、流れつづけていた―逝く春の夜の、あわただしい、合唱する心臓の、あわただしくさしせまった鼓動のようだった。彼は後ろをふり返らなかった。
少年が「後ろをふり返らなかった」とき、家父長制から離脱した個人が背負わなければならない孤独と、その重みを引き受けて個人として生きようとする壮絶なしかし清澄な覚悟が読者に迫ってくる。血縁の桎梏からの脱却は、「独立独行」という「成熟」のプロセスでもあるのだ(Billingslea 二八七)。
二 村上の「納屋を焼く」―孤独と「母殺し」
さて、このフォークナーの短篇と村上の「納屋を焼く」をつなぐ補助線として、坂口安吾の「文学のふるさと」(一九四一)を引く。坂口は童話「赤頭巾」の例をあげて、心の美しい少女が狼に食べられてしまう物語展開は、多くの童話に反して「モラル」を描かずに読者を「突き放す」が、そのような「モラルがない」こと自体が「モラル」であるとし、アモラルこそが文学の「ふるさと」だと主張する。文学が映しだすのは、「存在それ自体が孕んでいる絶対的な孤独」であって、換言すれば、自己とは他者と切り離された「孤独」な存在であり、たとえどんなに他者と分かりあえたとしても、最終的には自己と他者は別個の存在であるという人間の哀しい宿命を文学は伝えている。だから、文学は存在の「孤独」を「ふるさと」とし、それを「意識」し「自覚」しながら「生育」するものである、つまり、人間存在の底にひそむ宿命的な「孤独」を直視し、その宿命を引き受けるのが文学という営みであるということである。
フォークナーの短篇は坂口のいう文学の「ふるさと」を出発点にし、それを描いているといってよい。父親の放火は社会倫理からいえば「モラルがない」のであり、その父親の暴力は少年を圧倒し「突き放す」からである。そして父親が憎悪に駆られてひとりで放火に向かう場面、少年が思い悩んだ末に父から離反し血縁を絶つ決断をする場面、その後少年がひとりで森に入り翌朝「後ろをふり返ら」ずに歩きだす場面などは、他者から切り離された個人の「絶対的な孤独」を映しだしている(注二)。
一方、村上の短篇も独特の方法で存在の「絶対的な孤独」を描出している。主人公の「僕」は、「男」に勧められたインド産のマリファナを吸いながら、小学生のときに手袋屋のおじさんを演じた学芸会の記憶を思いだす。
応接間では彼女の恋人が二本めの大麻煙草を巻いていた。…我々は二本めのマリファナを吸った。まだヨハン・シュトラウスのワルツがつづいていた。僕はどういうわけか小学校の学芸会でやった芝居のことを思いだした。僕はそこで手袋屋のおじさんの役をやった。子狐が買いにくる手袋屋のおじさんの役だ。でも子狐の持ってきたお金では手袋は買えない。
「それじゃ手袋は買えないねえ」と僕は言う。ちょっとした悪役なのだ。
「でもお母さんがすごく寒がってるんです。あかぎれもできてるんです」と子狐は言う。
「いや、駄目だね。お金をためて出なおしておいで。そうすれば 「時々納屋を焼くんです」
と彼が言った。
この芝居は、新美南吉の童話「手袋を買いに」の翻案と考えられるが、ストーリーがかなり変質している。新美の童話では、子狐の霜焼けになった手を見た母狐が、子狐の片方の手を人間の手に変え、その手を差し出せば人間から手袋を買えると教え、子狐はあやまって狐の手を出してしまうものの、お金を確認した心の優しい帽子屋のおじさんから手袋を無事に購入する話であるからだ。ところが、こうした「母の子への愛情」を描いた童話は、「僕」の記憶のなかで子の母へのいたわり、つまり「子の母への愛情」の物語へと転換している。ちょうど「男」が大麻を吸うと「いろんなことを思いだ」しその「記憶の質」が大きく変わるというように。しかも、非情な売り手がお金のない子狐を追い払うといった、営利主義が子の純真な想いを蹂躙する物語に変換されている。
この変化はいったい何を意味するのだろうか。第一に、大麻を吸っている間に「僕」の意識が朦朧としている事実をふまえるならば、この記憶の想起は、フロイトの「夢」理論と同じく、「僕」の幼少期のかなえられなかった願望=現在も潜在する無意識の表出と考えられるだろう。第二に、まるで「僕」の意識の流れを把握しているかのように「男」が「納屋を焼くんです」という点を考慮すれば、グローバル資本主義の時流に乗った「男」が作家である「僕」のイノセントな無意識の欲望を感知し操作していると解釈できるだろう。土居健郎が『「甘え」の構造』において、母との「分離」の事実を否定しその痛みを「止揚」すべく「情緒的に自他一致の状態」をつくりだそうとする日本人の「甘え」の心理を分析するように、日本人の対人関係に母子一体感を希求する心性が働いているとすれば、「僕」の変容した学芸会の記憶と「男」の納屋への放火という発話は、個人として成熟しきれていない男(「息子」)の女(「母」)に対する愛情の昇華と関わっていることになるだろう。
事実、「僕」が変容した「子の母への愛情」の物語をぼんやりと思いおこしているときに、「男」が〈納屋を焼く〉と切りだす点は意味深長である。「女友達」が行方不明になるその後の展開を考慮すれば、〈納屋を焼く〉とはおそらく女性を殺害する犯罪行為の隠喩である(注三)。今村はフォークナーが“Barn Burning”のなかで「「父親殺し」により家からの離脱を謀る少年」を描いたことを指摘したうえで、村上の「僕」は「父を殺すこともなく、その分身たちは代わりに「少女殺し」を繰り返す。そこには「父殺し」ができない者たちの倒錯的な殺害の衝動、女性を殺す男たちの系譜とその末期を見ることができよう」(四八)と的確に論じている。しかし、本稿の文脈でいえば、この女性に対する暴力は、「少女殺し」に仮託した「母殺し」でもあるだろう。「お金をためて出なおしておいで、そうすれば」―手袋を母にプレゼントできる、母への想いは成就する―という暗示的文脈が、「男」の〈納屋を焼く〉という発言によって後退し、「男」の「放火」行為が前景化されるからだ。つまり、「放火」は母に手向ける逆説的愛のメタファーと化し、「母」への思慕を断念できない未成熟な「息子」のなす行為として浮上するのである。フォークナーの世界に比して、村上の「納屋を焼く」の「男」は、反逆すべき「父」をもたず、したがって「父」との対立を通じて「母」への愛情を断ち切ることはなく、若い女性を殺害することで「母」への愛の昇華を強迫的に反復する。だから、サーティのように、村上の「男」が「父殺し」と引きかえに「孤独」な個人として成熟を迎えることは決してない。グローバル経済で獲得した富―「父」の世代を圧倒する経済力―を利用して女性と接点をもち、その実、彼女たちと親密な精神的交流を果たすことはない。ただ女性を「商品」として客体化し、期を見はからって闇に葬り去り「消費」するのだ。そうして資本のようにナルシスティックな自己膨張を遂げていくのだ。
では、「男」の「放火」を「母殺し」と読む文化的意義とは何であろうか。江藤淳は『成熟と喪失』(一九六七)で妻や愛人や恋人に母の面影を見る「戦後」の成熟しない男の精神と実態を喝破したが、村上の描きだす一九八〇年代日本とは、そうした母の面影すらも突き破りその存在をくりかえし抹消すると同時に自分だけのものとして専有する衝動に駆られるといった、男のゆがんだ愛執が見え隠れする世界といえるだろう。もはや「成熟」に向かう過程や可能性を問うどころか、羊水への退行現象と金銭を媒介にした希薄な人間関係を描破しているといわざるをえない。江藤は村上文学を世代間の断絶と対立という「戦後」の現実を受けとめていない「サブ・カルチャー」として批判したが(「文学と非文学の倫理」)、筆者の読みでは村上もまた独自の方法でアメリカという「近代」の到来とその後の経済成長がもたらした「父」の文化的不在と「息子」の「母」への固執を描くことで「戦後」を引き受けている。その「戦後」意識は「納屋を燃やす」では「父」の不在と「母」としての女性との関係にあらわれるが、やがて『海辺のカフカ』(二〇〇二)で明確に「父」と「母」をめぐる葛藤のドラマとして表出されることになる。終戦前年にB29と思われる飛行物体を目にしたのち森のなかで戦地の夫をおもう女性教師に殴打され記憶を喪失したナカタ少年が、それから五十年以上過ぎた現代においてメタフォリカルな次元で終戦から数年後に生まれたカフカ少年の「父」を殺害する。この殺害は、父をあやめ母とつがうという呪いを父にかけられたカフカ少年の「夢の回路」を通した「父殺し」であるが、同時に、幼少の自分を置いて去った「母」への愛情の具現でもある。そして海辺で自らを見まもる「母」へのカフカ少年の赦しは、戦争という殺戮の記憶と交感し戦後の焼け跡を明視した「父」の心的外傷、学生運動で幼なじみの恋人を亡くした「母」の精神的傷、そのように深い傷を負った夫婦の埋めようのなかった心のへだたり、その結果としての「母」の失踪と「父」との疎隔、そうした個人的かつ歴史的な爪痕を少年が自らの心に受け入れそれと和解した哀切な瞬間でもあるだろう。毎朝仏壇の前で戦死者を哀悼していた亡き父―中国からの帰還兵であり僧侶を兼任した国語の高校教師―を回想するエルサレムでの演説「壁と卵」(二〇〇九)は、村上文学に示される家族関係の希薄さ、逆説的に増幅する「父」不在の存在感、沈黙に秘められた語られない傷痕の実在という「戦後」の文化状況を照らしだし、作者がしだいに「父」の問題を作品に刻印しはじめた事情を説明するだろう。
三 「子」の宿命―不在の忘却と不在の現前性
村上の短篇には、坂口の論とつながる表現、「男」の「モラリティーというものを信じています」という発言がある。女性(「母」)の身体を破壊する「男」に社会的な「モラリティー」などない。「責めるのが僕であり、ゆるすのが僕です」とは、たとえ罪の意識を覚えても、他者(法)によって罪の咎めを受けることなく自分で自分を赦し罪業を無に帰すのである。これが「男」のモラルだとしても、きわめてナルシスティックでインファンタイルな自己完結である。
現代日本の疎遠な人間関係を象徴するかのように、消息を絶った「女友達」の行方を彼女の家族も友達も捜索しない。彼女は二年前に父親を亡くし一家は離散しているのかもしれず、また「男」がいうように、連絡を取りあう親しい友達は一人もいないのである。だから、彼女の存在がこの世から抹殺されても、無縁社会においては、彼女の消息を誰も―語り手の「僕」をのぞいて―気に留めないのである。彼女はかつて蜜柑むきのパントマイムに感心する「僕」に、「才能でもなんでもないのよ。要するにね、そこに蜜柑があると思いこむんじゃなくて、そこに蜜柑がないことを忘れればいいのよ」と述べたが、これは彼女が自らに語りかけているようにもとれる。土居が「自分がある」という感覚の条件に「集団所属」によって否定されることのない「自己の独立」の確固たる「保持」を挙げるように(二一八)、他者との関係をもたない「女友達」は逆に「自分がない」のである。とすれば、彼女の発言は、他者との一体感がないことを忘れたいといった切なる想いの表れでもあったのではないか。だから「僕」が「まるで禅だね」と返したとき、まさに彼女の無意識の願望をいいあてていたのである。なぜなら、禅とは親から分離される以前の主客未分の世界への回帰を志向する思想であるからだ(土居 一二一)。
そればかりではない。彼女の述懐はほとんどダイイング・メッセージとして反響する。「僕」に、彼女自身がいないことを忘れ、個人として生きなさい、と言い残したように響くのである。だが、こうした孤立を産み落としたのは、ほかでもない「男」の「放火」=女性(「母」)の殺害行為であり、その意味で「男」は、有を無とし、無さえも「僕」(世界)に忘却させようとしたのである。さらに、「男」と「女友達」が帰り就寝した翌朝に「僕」が「学芸会の芝居のつづきを思いだそう」とするが、子狐が手袋を入手できたのか「うまく思いだせ」ないでいるのは、「僕」の幼少期の切なる想いが消却されたことを暗示し、したがって男の〈納屋を焼く〉という発話行為は「僕」の「母」への愛慕の切断でもあったのだ(注四)。
作品のラストにかけて「僕」は焼け落ちない現実の納屋を視認しながら同じコースをランニングするが、それは、現実世界での「女友達」の不在を思いおこしつつ、深層心理では幼少期の「母」への愛着あるいは女性に対する「甘え」を喪失した「孤独」な長距離走である。そうした不在や喪失を受け入れ、「僕」がしだいに個人として成長してゆく可能性も示唆されるが、しかし、そのロードに「父」はやはり屹立しておらず、テクストがいっさい「僕」の妻がどのような人物でありどのような夫婦関係であるのか明らかにしていない以上、「僕」が妻に向きあい成熟の道を歩むとはいいがたい。
一方、現実の納屋に「放火」するアブナーは、ないことを忘れることなど決してできない。むしろ、上流階級が享受する物質的豊かさがないことを告発することで、自分と家族が虐げられている現実をあるものとして出現させる。彼にとってはないことの現前性、いいかえれば、不在の圧倒的迫力こそが、自己と階級社会との関係性の究極的な問題であるからだ。また、少年サーティも、亡父の怒りと憤懣をないものとして忘れることなどできず、自らが死に追いやった父は永遠に彼の記憶に残存し、父を裏切った自己像も現前しつづけるだろう。そうして少年は拭い去りようのない「孤独」と哀しみ、償いようのない罪責感を抱えて生きるほかない。大麻では変質しえない圧倒的な現実―「父」を殺した「子」の宿命―がフォークナーの世界にはリアルに実在する。
結論
本稿は、坂口と土居の論を補助線に、フォークナーの短篇小説がどのように村上の短篇小説に流れこんでいるのか検証し、両者の相違と特殊性を通してそれぞれの「父」と「母」をめぐる「子」の葛藤を考証してきた。フォークナーは、濃密な家族関係における血縁と共同体との相剋を描画し、村上は、日本の無縁社会における不毛な男女関係と抽象的な都会人の孤絶を紡いだといえようが、両者の文学的差異は、アメリカ南部と現代日本がたどった戦後の道程と関わっている。前者は、旧秩序の崩壊とともに落魄しゆく南部貴族と貧困にあえぎながらも社会上昇しゆく下層階級との衝突と対立を背景に「父」から離反し個人として出発する「息子」の軌跡に光を投じ、一方、後者は、旧秩序崩壊後のめざましい経済復興とグローバル化のなかで相当の富を有し乗り越えるべき「父」を失った男たち、「母」への思慕を断念できずに個人として成熟しない男たちの円環を描写したのである。両短篇は、人間の「孤独」や「悪」を起点に文学が切り拓かれる普遍性を明示するとともに、「父」あるいは「母」との「子」の葛藤の陰翳が歴史的断絶を経験した文学空間にすぐれて表出される事実を浮き彫りにしている。
注
一、“Barn Burning”の翻訳は『フォークナー短編集』(新潮文庫)に収録された龍口直太郎訳に拠る。
二、フォークナーが“Barn Burning”をCollected Stories of William Faulknerの巻頭短篇に選んだ事情は、それに続く短篇との内的連関や主題の発展を意図したからであろうが(Millgate 二七〇-七二)、それに加えて「孤独」を文学の出発点としそこから作品世界を広げ深めていく作者の狙いもあっただろう。
三、加藤典洋は、〈納屋を焼く〉を女性の強姦と殺害の換喩として読む可能性を提示している(一六二)。たしかに英語の“burn”には「性的に興奮する」という意味があり、「火」には性的な含意が付与される場合もあるが(バシュラール 九〇)、しかし、「男」と「女友達」はすでに深い恋人関係であるため、本稿は強姦の可能性は除外した上で放火を「殺害」のメタファーとして読む。
四、「男」が「僕」の分身だとすれば、「僕」自身による「母」への思慕の断念ともとれる。村上は「自作を語る」にて「人知れずこっそりと納屋を焼き捨てる静かな不気味さ」と「心の片隅でふっと静かに燃え落ちてしまう納屋」、そうした「ものすごくひやっとした小説」をときどき「書いてみたくなる」と告白している(XIII‐XIV)。この「ものすごくひゃっとした」感覚とは、「静かな」消失と喪失を描いたことよりも、その静けさの背後にひそむ人間の罪悪と欲動―女性殺害や母への愛情の共振―を示唆したことに起因するだろう。とすれば、村上はいわば強迫反復的に「心の片隅」で女性(母)に対する思念を「人知れず」昇華し消滅させる物語を執筆する衝動を有しているように思われる。この論点についてはあらためて「戦後」の文脈で問わなければならない。
引用文献
Billingslea, Oliver. “Fathers and Sons: The Spiritual Quest in Faulkner’s ‘BarnBurning.’” Mississippi Quarterly 44.3 (1991): 287-308.
Faulkner, William. “Barn Burning.” Collected Stories of William Faulkner. NewYork: Random House, 1948. 3-25.
Miles, Caroline. “Little Men in Faulkner’s ‘Barn Burning’ and The Reivers.”Faulkner Journal 15 (Fall 1999/Spring 2000): 151-68.
Millgate, Michael. The Achievement of William Faulkner. New York: RandomHouse, 1963.
今村楯夫「フォークナーと村上春樹―「納屋を焼く」をめぐる冒険」『フォークナー』第六号、二〇〇四年、四二‐四九。
江藤淳『成熟と喪失』河出書房、一九六七年。
-----. 「文学と非文学の倫理」『連続対談 文学の現在』河出書房、一九八九年。二〇五‐六三。
加藤典洋『テクストから遠く離れて』講談社、二〇〇四年。
坂口安吾「文学のふるさと」『堕落論』新潮文庫、二〇〇一年。二七‐三六。
田中久男『ウィリアム・フォークナーの世界―自己増殖のタペストリー』南雲堂、一九九七年。
土居健郎『「甘え」の構造』弘文堂、二〇〇七年。
バシュラール、ガストン、前田耕作訳『火の精神分析』せりか書房、一九九一年。
村上春樹『海辺のカフカ』上・下 新潮文庫、二〇〇五年。
-----. 「壁と卵」『文藝春秋』二〇〇九年四月号。一五六‐六九。
-----. 「「自作を語る」 短篇小説への試み」『村上春樹全作品1979-1989B』講談社、一九九〇年。付録I‐XVI。
-----. 「納屋を焼く」『蛍・納屋を焼く・その他の短編』新潮文庫、一九八七年。
-----. 「納屋を焼く」『村上春樹全作品1979-1989B』講談社、一九九〇年。二三七‐五九。
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