『群系』 (文芸誌)ホームページ
星野光徳 『風の歌を聴け』論
村上春樹 再読(1)
――『風の歌を聴け』
星野光徳
1
もう随分以前、私がまだ二十代後半の頃に、千駄ヶ谷駅近くのパブ「ピーターキャット」には何度か飲みにいったことがある。その店の無口なマスター――当時、講談社の『群像』新人賞でデヴューしたばかりの村上春樹を紹介してくれたのは、河出書房の編集者だった。カウンターの向こうで注文された料理を黙々と作るマスターと店の客として口をきいたことはあった筈だが、小説の話などはしなかった。
村上春樹のデヴュー作『風の歌を聴け』(1979・6)は、ちょっと分かりにくい、現代アメリカ青春小説の亜流のように見えたものだ。いかにもアメリカ小説的な洒落たフレーズが用いられ、アメリカのポップミュージックなど、いわゆるカタカナ文化がそこに溢れていたせいかも知れない。実際、その後村上自身が翻訳することにもなるフィツジェラルド、サリンジャー、カポーティー、レイモンド・カーヴァー、あるいはティム・オブライエンやジョン・アーヴィング、更にはカート・ヴォネガットといったアメリカ現代作家との共鳴関係はあった筈だ。
しかし、当時の私には、その三年前にやはり『群像』新人賞となり芥川賞を受賞した村上龍の『限りなく透明に近いブルー』ほどの衝撃はなかった(ように思う)。
「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」
僕が大学生のころ偶然に知り合ったある作家は僕に向かってそう言った。僕がその本当の意味を
理解できたのはずっと後のことだったが、少なくともそれをある種の慰めとしてとることも可能で
あった。完璧な文章なんて存在しない、と。
しかし、それでもやはり何かを書くという段になると、いつも絶望的な気分に襲われることにな
った。僕に書くことのできる領域はあまりにも限られたものだったからだ。例えば象について何か
が書けたとしても、象使いについては何も書けないかもしれない。そういうことだ。
8年間、僕はそうしたジレンマを抱き続けた。――8年間。長い歳月だ。
(略)
今、僕は語ろうと思う。もちろん問題は何ひとつ解決していないし、語り終えた時点でもあるい
は事態は全く同じということになるかもしれない。結局のところ、文章を書くことは自己療養の手
段ではなく、自己療養へのささやかな試みにしか過ぎないからだ。(1)
この話は1970年の8月8日に始まり、18日後、つまり同じ年の8月26日に終わる。(2)
大学闘争の記憶は色褪せ、バブル景気までには間があるとはいえ二度目の石油危機を乗り切った日本経済は自信に満ちて消費文化を謳い上げ、インベーダーゲームが氾濫し(この双方向ゲーム出現の意味は大きかった)、ニューアカデミズムやらポストモダン的論調が現れ、〈世界の変質〉がはっきりと見え出した1970年代の終わり。今思えば、これがその〈世界の変質〉を象徴する文体のスタートだったのかも知れない。理想も絶望も語らず、私的な日常の中に等身大の自分を見つめるようでいて、その実、〈物語〉の背後に自己を隠す文体。警句と比喩に満ち、「自己否定」などという観念とは訣別した世界(しかし、村上の作品世界には自己否定的契機がないわけではないが)。村上はあたかも書くことの意味について語るような口ぶりでこの小説を書き出す。しかし、これは書くことについての小説ではない。むしろ、書かれないことについての小説だった。
後に、村上は毎日新聞夕刊(2001・10・12)にヤクルト・スワローズのリーグ優勝を喜んでみせる記事を書き、その中に「僕が小説を書こうと唐突に思いついたのは神宮球場の外野席だ。23年前のシーズンの開幕ゲームだった」と書いた。2001年10月といえば、そのひと月前にニューヨーク貿易センタービルへのテロ事件があり、それへの報復としてアフガニスタンへの米軍の攻撃がなされていた頃だ。村上のこの文章は、世界史的な事件を対岸に見ながら思考停止した日本人を戯画化したものだったと川村湊は述べたのだったが(「苦いビールを片手に、球場で」『AERA Mook 村上春樹がわかる』)、この作者自身が思考停止状態となったような記事全体よりも、彼のデヴュー作『風の歌を聴け』を書くきっかけが神宮球場の外野席で唐突に思いつかれたという神話だけが残った。
作家がどこで執筆を思いついたかは実はどうでもいい。注意したいのは、彼が小説を書き出してから23年後の2001年に、「小説を書こうと唐突に思いついたのは神宮球場の外野席だ」ったという〈物語〉が作られ、遡って村上春樹に象徴される〈世界の変質〉が1979年頃に突然のようにやってきたという印象が私たちに刻まれたことだ。しかし、実は、すでに庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』(1969・8)や高橋三千綱『退屈しのぎ』(1974・6)の文体に、その芽生えは現れてはいたのだ。
だがともかく、その後、村上春樹が次々と短編、長編を発表するようになって、彼の描く作品をやや分析的に眺めるようになってから振り返ると、『風の歌を聴け』は(いい意味でも悪い意味でも)まさしく村上春樹の作品世界の始まりを宣言するものであったことが見えてきた。そして、その作品の背景にはアメリカ現代小説があった。
2
『風の歌を聴け』は40の断章に分けられているが、ちょっと分かりにくいというのは、40の断章がシャッフルされたように時系列を乱し、人物も錯綜しているからだ。勿論、それは意図された構成だ。わざと分かりにくくしているとさえいえるが、話は現在二十九歳の「僕」(作者もこのとき二十九歳だった)が二十一歳だった「僕」を回想して語る「手記」という体裁だ。その後の春樹作品でもおなじみになるこの回想スタイルは、実はなかなか曲者だ。
40の断章を時系列に沿って並べ直して粗筋を示すと、それはまるで単純な物語のように見える。
恋人に自殺された大学生が夏休みに帰省し、妊娠しているにもかかわらず男に捨てられたらしい
若い女とふとしたことで知り合う。若い女はレコード店の店員である。男と女は互いの暗い体験を
語り合うこともせず、何度か会う。女が中絶手術を受けた後のある夜、二人は何もせずに抱き合っ
て眠る。二人にとってそれは最後の夜になる。
(三浦雅士「村上春樹とこの時代の倫理」『主体の変容』1982・12)
しかし、この要約だけでは物語の深層構造までは分からない。いや、そもそもこの小説は「僕」と(レコード店員である)「左手の小指のない女の子」だけの物語ではない。もう一つ、「僕」と友人「鼠」の物語があるのだ。
加藤典洋は、1970年8月のカレンダーまでを持ち出して、この小説に描かれる出来事が、作者がそう書いたような18日間には収まらないことを証明し、その上で「ここで、鼠は死んでいる」という解釈を示した。
この小説は、小指のない女の子の生きている現実世界と、鼠のいるいわば異界(幽霊世界)の間
を僕がゆききする、二つの世界をめぐる、「ひと夏の物語」なのである。
(加藤典洋『イエローページ 村上春樹』1996・10)
加藤は村上のその後の、いわゆる「鼠」物――『1973年のピンボール』(1980・6)、『羊をめぐる冒険』(1982・10)の物語を〈既視感〉のように『風の歌を聴け』に見てしまっている。しかし、ジェイズ・バーで一緒に飲み、プレゼントを渡し、店主であるジェイとも最近の鼠の様子について話し、プールにも一緒に行って「恋人」とのことを「僕」に相談しかけた鼠が、この世に実在しない人物だったと読むことには無理がある。
やはり、鼠はここでは僕の友人として生きている人物である。そして、この小説に読み取るべきは、「僕」と「小指のない女の子」の物語、「僕」と「鼠」の物語、と同時に、まるで隠された「鼠」と「小指のない女の子」の物語であり、実は、更にその向こうに隠された「僕」と「自殺した恋人」の物語なのだ。
「僕」の恋人が自殺したのはこの年の春休み、つまりたった四カ月前でしかない。また、中絶手術をした「小指のない女の子」は「鼠」の恋人であったと読める。そこにこの小説の、表面には見えない物語が浮かび上がるのだが、注意深く読まなければ、そのことは見落とされてしまう。
私にそれをはっきりと示してくれたのは斎藤美奈子だった。隠された「鼠」と「小指のない女の子」の物語は〈ジョン・F・ケネディー〉をキーワードとして浮かび上がる、と斎藤はいう。
@「ねえ、昨日の夜のことだけど、一体どんな話をしたの?」/(略)/「いろいろ、さ。」/
「ひとつだけでいいわ。教えて。」/「ケネディーの話。」/「ケネディー?」/「ジョン・F・
ケネディー。」(9)
A 鼠はモジモジしながらポケットを探った。三年振りに無性に煙草が吸いたかった。(略)鼠は
また何かをしゃべらなければならないような気がした。/「ねえ、人間は生まれつき不公平に作
られている。」/「誰の言葉?」/「ジョン・F・ケネディー。」(6)
B「小説を書こうと思うんだ。どう思う?」/(略)/鼠は裸の胸に吊るしたケネディー・コイン
のペンダントをしばらくいじくりまわしていた。(31)
(略)
異彩を放っているのはAだ。〈鼠は……気がした〉という記述からもわかるように、一貫して「僕」の視点で進行するテキストのなかで、Aを含む「6」だけが、テキストのルールを逸脱し、「鼠」の視点で記されている。
ふつうなら違和感を抱くはずのこのシーンを読者があっさりと通過してしまうとしたら、直前の一文のせいだろう。〈鼠の小説には優れた点が二つある。〉これがあるために、「鼠」に焦点化して語られた後の十八行は、なんとなく「鼠の小説の中の記述」のように錯覚されるのだ。
しかし、これは「鼠の小説」の中の話などではない。(略)Aが実在の会話であったからこそ、「女」はその名前を印象的に覚えてい、酔った勢いで「僕」にしゃべってしまったのではないか(@)。いっぽう「鼠」は「小説」にかこつけたりしながら、この話を「僕」に語ろうかどうしようかと迷っていたのではなかったか。
つまり「6」に出てくる〈女〉は「小指のない女の子」だった。ということは、なにを隠そう「鼠」こそ、妊娠の片一方の当事者だったことになる。 (略)
恋人に死なれた「僕」と、恋人に去られた「鼠」。『風の歌を聴け』は「女に置き去りにされた
男の物語」といっていい。背後にあるのは「女の自殺」と「女の妊娠」である。自殺と妊娠! こ
んな手垢つきの物語は、もちろん隠さなければならなかった。『風の歌を聴け』の目的は、この物
語内容を表舞台から消すことだけだったのではあるまいか。
(斎藤美奈子『妊娠小説』1997・6)
斎藤の『妊娠小説』は、日本近代の小説群を〈女の妊娠を男がどう受け止めるか〉というテーマの系譜として眺め直した、一種痛快な近代日本文学論であるが、そこでは村上のこの話題となったデヴュー作も、背後に隠された物語の析出によってあっさりと切り捨てられている。「小指のない女の子」=「鼠の恋人」説には平野芳信の先行論文があったらしいが、ここでは『風の歌を聴け』が物語を隠すことで物語性の奥行きを深めた小説だということを見ておきたいだけだ。因みに、この「手記」に〈ジョン・F・ケネディー〉の名が登場するのは、斎藤美奈子が指摘した@・A・Bつまり作品中の9・6・31だけではない。「僕」が「自殺した恋人」について語る26にも、それは登場する。
僕は彼女の写真を一枚だけ持っている。裏に日付けがメモしてあり、それは1963年8月とな
っている。ケネディー大統領が頭を撃ち抜かれた年だ。 (略)
彼女は14歳で、それが彼女の21年の人生の中で一番美しい瞬間だった。そしてそれは突然に
消え去ってしまった、としか僕には思えない。どういった理由で、そしてどういった目的でそんな
ことが起こり得るのか、僕にはわからない。誰にもわからない。(26)
深読みするならば、〈ケネディー〉をキーワードにして、鼠と「小指のない女の子」の繋がりが見えてくるだけでなく、キーワードは「僕」の「自殺した恋人」にまで及んでいる。つまり、この「手記」では、隠された鼠と「小指のない女の子」の物語に重ねられるようにして、「僕」と「自殺した恋人」の物語が更に隠されている、と読めるということだ。いや、作者はそう読まれるように仕組んでいる。
3
『風の歌を聴け』についても今や様々な分析・論評が出回っているが、平野や斎藤の分析に立って更に「味つけ」をしたという石原千秋の分析を見ておこう。
石原は、村上のこのデヴュー作に、ホモソーシャル(男性原理の同質的社会)なイデオロギーを見ている。そして、これは「僕」による「鼠殺し」の物語だったという。ホモソーシャルとは、「男同士が絆を深めるために女をやりとりする」社会だ。夏目漱石の『こころ』における「私」と「K」がそうであったように、「僕」と「鼠」は「小指のない女の子」をめぐって対立する構図をなす。「鼠」は「小指のない女の子」に去られ、「僕」が彼女を(理解するという形で)自分のものにする。しかし、その「僕」も四カ月前には恋人に自殺されているのだ。
「僕」がこの「手記」で一番隠したかったのはこのことだった。「僕」と鼠の友情物語は、実は
「僕」と「小指のない女の子」の物語を内包しながら、 「僕」と鼠と「小指のない女の子」との
三人の物語に転換していたのだ。そして、「僕」が勝った。これが、象徴的なレベルでの「鼠殺
し」なのである。 (略)
この「手記」には表の物語と裏の物語があるということだ。表の物語は、三浦雅士が読んだよう
な、「僕」と「小指のない女の子」との「恋」と名づけることもできないようなごく淡い関係に
よって構成されている。裏の物語は平野芳信が読んだような、鼠と「小指のない女の子」の物語
である。そして「僕」とすでに亡くなった三番目の女の子の物語(これは深層に隠されていた)
が影響することで、二組の男女の物語が、「僕」と鼠と「小指のない女の子」との三人の関係に
変換された物語(これは表層に隠されていた)となった。裏の物語は表の物語よりも複雑に、そ
して複線的になっているわけだ。
鼠の読んだ本にはこんな言葉があったと言う。「すぐれた知性とは二つの対立する概念を同時
に抱きながら、その機能を十分に発揮していくことができる、そういったものである」と。それ
を聞いた「僕」は「嘘だ」と答える。そして、鼠に「小指のない女の子」が働いている店で買っ
たレコードをプレゼントするのである。
このとき、「僕」は二つの物語を「同時」に生きているはずだった。一つは、すでに亡くなった
三番目の女の子との物語で、もう一つは「小指のない女の子」との物語である。一つは終わった
物語で、「僕」はそれをまだ引きずっており、一つはいまはじめかけた物語で、「僕」はそれを
十分に意識していない。そこで、鼠と「小指のない女の子」の物語だけを進行させることで
「僕」はこれら二つの物語を打ち消そうとするのだ。それが、二十一歳の「僕」だった。
(石原千秋『謎とき村上春樹』2007・12)
だが、それだけだったろうか。それを書いているのは、二十九歳の「僕」だ。つまり、二十九歳の「僕」は八年前の、亡くなった三番目の女の子と自分の物語から目を逸らしてきた自分を知っているはずだ。
4
この「手記」はやるせない喪失感を漂わせながら終わるが、しかし、どこかに、何かしら納得し難い一点――はぐらかされたという思いを読者の胸に残す。
改めて、平野芳信による要約にプラスαをして、この小説の「手記」全体を眺めておこう。
四カ月前に恋人に自殺された大学四年生の「僕」は、夏休みの八月に生まれ故郷の海辺の街に帰省し、馴染みのジェイズ・バーで友人の「鼠」とビー ルばかり飲んでいる毎日だ。ある日、僕は、左手の小指の欠けた女の子が泥酔して洗面所に倒れているのを介抱し、彼女をアパートまで連れて帰る。彼
女は鼠の恋人だったらしいが、彼との仲はうまくいっていないらしい。彼女がレコード店で働いていることを知った僕は、鼠にレコードを贈り、彼女と会うことをそれとなく勧めるが、二人の仲は好転しない。鼠は彼女のことを僕に相談しようとするが思い直したように止める。彼女は宿していた子供を
中絶し、そのことを僕に打ち明ける。同じような経験があった(のかもしれない)僕は、やりきれない気持ちで東京に戻っていく。
その後に現れる断章39には、後日談が書かれている。二十九歳の僕は結婚して東京にいる。鼠は故郷でまだ小説を書いていて、毎年クリスマスにそのコピーを送ってくれる。小指のない女の子はレコード店をやめ、どこかに消え去ってしまった。僕は夏になると故郷に帰り、彼女と歩いた道を歩き、海を眺める。
さて、全体を見回せば、なぜ「僕」がこの「手記」を八年後の回想として書いたのかは明らかだ。二十一歳の「僕」の現在として書いたのでは、この入り組んだ物語を村上流儀の小説にすることはできなかったからだ。現在形のリアリズムで書けば、恋人に自殺された僕が友人の恋人に近づくことで癒されるという凡作になってしまう。男女の複数の物語をノスタルジーの枠内に布置するためには、その物語の一部を秘められたものにし、或いは完全に隠すことが必要だった。それを可能にするのは時間という距離感の〈魔法〉だ。魔法は時系列に縛られることもなく、物語ることの痛みを隠し、ときには物語そのものを消し去ることもできる。
しかし、「僕」は痛みをすべて消し去りたかったのではない。そのことに気づく読者には気づかれるように隠したのだ。「文章を書くことは自己療養の手段ではなく、自己療養へのささやかな試みにしか過ぎない」(1)という語りは、そのことを示していたのではないか。
では、何から回復するための「自己療養」であったのか。それははっきりしている。
「僕」が最もそこから回復したいと願いながら、その物語を語りはしなかった、そして読者もうすうす気づく仕掛けの深層にあるのは、石原千秋も指摘したように、やはり、「僕」と四カ月前に自殺した恋人(僕が三番目に寝た相手である仏文科の女子学生)との物語である。
三人目の相手は大学の図書館で知り合った仏文科の女子学生だったが、彼女は翌年の春休みにテニス・コートの脇にあるみすぼらしい雑木林の中で
首を吊って死んだ。彼女の死体は新学期が始まるまで誰にも気づかれず、まるまる二週間風に吹かれてぶらさがっていた。今では日が暮れると誰もそ
の林には近づかない。(39)
赤の他人から見ても痛々しくつらい筈のこの事件は、恋人であった「僕」にとってはどれほどの衝撃だったかと想像するのが普通だろう。「僕」は死者の恋人として警察の事情聴取さえ受けたかも知れない。なぜ彼女は突然、そんな死に方をしたのか。それは自分のせいだったのではないか。恋人ならば、そういう思いに襲われる筈である。(「小指のない女の子」のことを知った読者は、その恋人も妊娠していた? と思うかも知れない。)
しかし、恋人の死を綴る「僕」の語りのトーンは冷淡なほどだ。
三人目のガール・フレンドが死んだ半月後、僕はミシュレの「魔女」を読んでいた。そこにこんな一節があった。
「ロレーヌ地方のすぐれた裁判官レミーは八百の魔女を焼いたが、この『恐怖政治』について勝ち誇っている。彼は言う。『わたしの正義はあまり
にあまねきため、先日捕えられた十六名はひとが手をくだすのを待たず、まずみずからくびれてしまったほどである。』」
私の正義はあまりにあまねきため、というところがなんともいえず良い。(21)
自分の恋人が「みずからくびれてしまった」、わずか半月後のこととして、その恐るべき裁判官の勝ち誇りを「なんともいえず良い」と言える神経に私は躓く。この断章21は、一体何のために挿入されたのだろう。「僕」はその恋人の自殺をさほど痛切には受け取らなかったということなのだろうか。
「僕」が自殺した恋人について語ったシーンを改めて引用しよう。
僕が三番目に寝た女の子は、僕のペニスのことを「あなたのレーゾン・デートゥル」と呼んだ。
僕は以前、人間の存在理由(レーゾン・デートウル)をテーマにした短い小説を書こうとしたことがある。結局小説は完成しなかったのだけれど、その間じゅう僕は人間のレーゾン・デートゥルについて考え続け、おかげで奇妙な性癖にとりつかれることになった。約8カ月間、僕はその衝動に追い回された。(略)当時の記録によれば、1969年の8月15日から翌年の4月3日までの間に、僕は358回の講義に出席し、54回のセックスを
行い、6921本の煙草を吸ったことになる。
(略)
そんなわけで、彼女の死を知らされた時、僕は6922本目の煙草を吸っていた。(23)
僕が寝た三番目の女の子について話す。
死んだ人間について語ることはひどくむずかしいことだが、若くして死んだ女について語ることはもっとむずかしい。死んでしまったことによって、
彼女たちは永遠に若いからだ。(略)
僕は彼女の写真を一枚だけ持っている。裏に日付けがメモしてあり、それは1963年8月となっている。ケネディー大統領が頭を撃ち抜かれた年だ。 (略)
何故彼女が死んだのかは誰にもわからない。彼女自身にわかっていたのかどうかさえ怪しいものだ、と僕は思う。(26)
去年の秋、僕と僕のガール・フレンドは裸でベッドの中にもぐりこんでいた。(略)
「ねえ、私を愛してる?」/「もちろん。」/「結婚したい?」/「今、すぐに?」/「いつか……もっと先によ。」/「もちろん結婚したい。」
/「でも私が訊ねるまでそんなこと一言だって言わなかったわ。」/ 「言い忘れてたんだ。」/「……子供は何人欲しい?」/「3人。」/「男?
女?」/「女が2人に男が1人。」
彼女はコーヒーで口の中のパンを嚥み下してからじっと僕の顔を見た。/「嘘つき!」/と彼女は言った。
しかし彼女は間違っている。僕はひとつしか嘘をつかなかった。(34)
断章34の会話から、「彼女」は妊娠していたのであり、「僕」もそれを知ったのだということが分かる、と石原千秋はいう。そうであったのかも知れない、とはいえるが、断言することはできない。「去年の秋」に妊娠していることが本人に分かっていたとするなら、少なくともすでに妊娠二〜三カ月ということになり、彼女が縊死した今年の三月中頃には妊娠七〜八カ月だったことになる。とするなら、それが無残な形で発覚しない筈もなく、それを知らされた「僕」の衝撃は相当のものであった筈だ。しかし、21・23・26の語り口からはそのような形跡は窺われない。
ただし、34における「僕はひとつしか嘘をつかなかった」というその一つの嘘が「ねえ、私を愛してる?」に対する答えだったとしたら、どうなるだろう。「僕」は彼女を愛してはいなかった。八カ月の間に54回のセックスをし、ガールフレンドとして好きな相手ではあったが、愛してはいなかった。愛してはいない相手ならば、21のようなエピソードも挿入できたし、26でのように「何故彼女が死んだのかは誰にもわからない。彼女自身にわかっていたのかどうかさえ怪しいものだ」と冷淡に語ることもできる。いや、たとえ愛していた相手であったとしても、その死について他人事のように冷淡に語るというのが、実は村上の文体の秘密なのかも知れない。
勿論、そうではない解釈はいくらでもできる。「僕」が彼女との物語をこの「手記」の深層に隠したのは、彼女の自殺があまりに唐突で理解を越えたものであったために、そこから目を逸らしたいという心的機制の現れであった、というように。或いは、『羊をめぐる冒険』を読んだ目には、僕が嘘をついたのは「子供は欲しい?」という質問に対してだったと見えるかも知れないが、それは殆ど同じことだ。
だが、この「手記」はそれから八年後の二十九歳の「僕」が綴っているのだ。八年後の「僕」から眺めても、彼女の自殺の理由は、ただ「誰にもわからない」もののままであったのだろうか。八年後の「僕」にはその理由が分かっていたからこそ(それは隠したまま)、ここでは、「誰にもわからない」と書いたのではないだろうか。或いは、分かっていたとしても「誰にもわからない」と書いてしまうのが村上の文体だった、のではないか。
私たちは、この「手記」に隠された〈物語〉を炙り出すことに熱中する前に、〈物語〉を隠す村上の作為とその文体の特性について考えるべきだったのかも知れない。
5
つまり、私たちがそこに見るべきなのは、もっと別の――村上の作品を支える文体そのものの問題だったのではないだろうか。重要なのは、恋人だろうと赤の他人だろうと、他者の死の真の原因など「誰にもわからない」と言い切って終わる、表現のスタイルであり、他者に執着しないかのように語る文体の喫水線である。日常的些事には拘泥しながら、一般に人が拘泥するような深刻な問題には(表面的には)拘泥を回避するという表現のスタイル――深刻さや絶望や憎悪はきれいに拭い去ったような(しかし、明らかにそれを隠し持った)、ポップな言語感覚の変種ともいうべき表現の地平――これが1970年代の終わりに現れた〈世界の変質〉期の文体だった、ということだ。
だが、それは、いわゆる日本の文学伝統だけから生まれたものではなかった。かなりの部分でその文体の土壌となり、その構成や展開のモデルとなったのは、やはり現代アメリカ小説の作家たちではなかったろうか――戦前派のS・フィツジェラルドはともかく(虚無と悲哀に満ちた半エンターテーメント小説といえるフィツジェラルドの作品からも村上は影響を受けた筈だが)例えば、T・カポーティー。彼の初期の短編群に現れるドッペルゲンガーのような〈もう一人の自分〉、都会の闇の中に孤立する〈生〉は、十分に村上の創作の肥料となった筈だし、それ以上に、短編として切り取られた物語の向こうに、表面的には語られない〈影の物語〉が蠢いていたのではなかったか。(ドッペルゲンガーといえば、後の村上の短編『レキシントンの幽霊』や『鏡』が思い浮かぶが。)彼の初期作品『夜の樹』(1945)における女子大生ケイの旅芸人に対する強迫観念は、僅かにしか語られない彼女の少女期の記憶(という物語)の背後に、アメリカの地方の、その共同性の消失という物語があることを示している。それは隠された物語というのではないが、戦後アメリカの〈影の物語〉だ。
また、サリンジャーの短編集「ナイン・ストーリーズ」は表層の物語の背後に秘めた別種の物語を読ませ読ませる作品群だ。特『バナナフィッシュにうってつけの日』(沼沢ごう治訳では『バナナ魚日和』)などは、表層の他愛のない光景の背後に息づく悲劇というつくりで、きわめて村上春樹の作品構造に近い。あの『ライ麦畑』(『The Catcher in the Rye』)のホールデン少年の、とびきりアイロニカルな一人称語りと屈折した潔癖さも、どこかで村上の人物造形と響き合っているように思える。
そして更に、村上の作品世界と共鳴し合うような作風のレイモンド・カーヴァー。スマートな表層の物語の背後に、明らかに別の物語が隠されるという小説の造り。後に村上が翻訳する『ぼくが電話をかけている場所』(1983・7)や『ささやかだけれど、役にたつこと』(1989・4)に収められた短編などはすべて、〈いくつもの物語を背後に隠した物語〉だ。〈要因となった筈の物語〉は隠され、〈結果に至った物語〉だけが語られ、想像は読者に委ねられる――レコードやシャツや自動車といった小道具の固有名を多用しながら組み立てられるストーリーは、簡潔で、余情などとは無縁に見える乾燥した文体で語られるが、語られなかった物語の存在が実は余情ともいえる後味として残る構造だ。(そして、小道具の固有名! 時代を刻印された風俗の固有名はそれじたいで〈物語〉を孕む。ミニマリズムと言おうが何と言おうが、ただ「革靴を履いて」というか、「コードヴァンの靴を履いて」というかによって文体の質は分かれる。)
或いは、過剰なほどの物語を構築することで、更に大きな物語を背後に想像させる、ジョン・アーヴィングの方法。村上はデヴュー後に、アーヴィングの『熊を放つ』(原作1968)を翻訳しているが、ドイツの後はソ連に占領されたオーストリアの記憶と動物園を襲って動物たちを解き放つという破天荒な物語を合体させたようなこの作品から、村上は「小説の構築法」についての影響を受けたと記している。それは村上のデヴュー後のことだが、彼が『ガープの世界』(原作1978)以前のこのアメリカ人作家から、小説が持つべき力としての「ユーモア」「世界を展望する視力」「適度な哀しみやセンチメンタリズム」「暴力性」を学んだというのは本人も述べている通りだろう。(ユーモアとセンチメンタリズムと暴力性! それはそのままエンターテーメントの要素でもあるが。)因みに、アーヴィングのヒット作『ガープの世界』(原作1978)は、読みようによっては小説を書くことについての物語だった(そこにはなぜか「左手の小指のない女」さえ登場していた)。
しかし、サリンジャーにせよ、カーヴァーにせよ、登場人物の視点とは別に、そこで出来事を物語る視点は、冷淡といっていいほどにニュートラルだ。翻訳で読んでも、その筆致の冷淡さは理解される。
つまり、言うまでもないのだが、これらの現代アメリカ小説は、明るくポップな物語などではない。そこに切り取られているのは、(物語の表層からは隠されている場合でも)陰惨で不条理なアメリカ現代社会の側面といえるものだ。ティム・オブライエンのヴェトナム戦争小説を持ち出すまでもなく、現代アメリカ小説はどこかで〈病めるアメリカ〉あるいは〈アメリカという病〉を映し出している。(村上の作品の奥にも〈現代という病〉を読むべきかも知れない。)ただし、その文体には、わが伝統的日本文学に漂う湿潤・情緒的な(あるいは抒情的な)陰影、微妙さはない。ときに報告文のように簡潔・明快で乾いている。その簡潔さ・明快さの根底にあるものを、敢えてひと言でいえば、〈世界の苛酷な他者性〉――すべてが他者である世界と対峙しなければならない孤立者の精神(意志)というものではないだろうか。
村上春樹は、いや、村上の文体は、そのような現代アメリカ小説という土壌からスタートしたのではなかったか。その後の彼の小説、彼の言動にも、アメリカ小説的な〈孤立者の精神〉を嗅ぎとることはできる。しかし、その文体はサリンジャーのように、或いはカーヴァーのように、乾燥した、簡潔・明快なものであったろうか。彼の文体は一見そう見えるだけで、実は乾燥もしていなければ、簡潔・明快でもない。何やら入り組んだ不透明感があるのだ。村上の文体には、現代アメリカ小説のような歯切れの良さを装いながら、実は歯切れの悪い何かがある。彼の小説の〈謎〉は、隠された物語やメタファーの謎ではなく、その文体の根底にこそある〈何か〉ではないだろうか。そこには(生身の人間より配電盤やピンボール・マシンを偏愛するような)、〈歪んだ潔癖〉とでもいうべき、或いは〈消毒されたような暗さ〉とでもいうべき謎がある、と私には思われる。
例えば福田和也の指摘は、その点で示唆的だ。
作家は、アメリカ文学のイディオムと、アメリカの音楽を、日本の小説のなかに導入してみせた。/湿度の高い土地で、いかにビールを一年中呑むことが出来るか……。/情念ではなく、郷愁を。/怨恨ではなく、スタイルを。/もっとも平俗に響く、ディスク・ジョッキーの声音にこそこもる真情を。 /漢字の開き方、使い方にたいする拘り。/といった、あらゆる意味で断片的な、戦力を用いて、彼は戦線を構成した。
(略)
もちろん、『風の歌を聴け』の舞台、道具立ては、昭和三十年代以降の、いわゆる高度経済成長による蓄積なくてはありえない。牛の絵が書かれた自動車、ふんだんなビール、LPレコード。両親の存在を感じさせないような暮らしぶり……学園紛争のこだまも響いている。
にもかかわらず『風の歌を聴け』には、中産階級が中産階級としての自由をはじめて謳歌した時代の汗くささはキレイに拭われている。
一九七〇年の十八日間から、約九年がたって、一体、何が消され、何が消毒され、何が捏造されたのだろうか。
その問いを背負いながら、作家は出発した。
(福田和也『村上春樹12の長編小説』2012・3)
福田の批評は、村上のその後の代表作を時代背景のもとに並べて眺めることで、エレガントな形で語られる、無機的なものや効率性への愛――いわば「人間性の否定」といえる志向を摘出している。生身の人間の不合理な〈生〉――それこそが人間性なのだが――を忌避しようとする心的機制が、無機的で効率的なものを偏愛する村上の文体には存在する。村上春樹の幾つかの作品の読後に、私の胸に残った言い難いしこりは、このことに起因していたのではないだろうか。
村上の、物語を作り出す巧みさや、春樹オタクたちが熱中する謎解きばかりに目を奪われずに、村上のその後の作品群を読み直してみなければならない。 (つづく)
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