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27号 【書評】 相馬明文著『太宰治の表現空間』 佐藤隆之




【書評】 相馬明文著『太宰治の表現空間』



                      佐藤隆之




 評者がこの著作を一読した印象は、著者の論考の精密さ、緻密さに圧倒された、という点である。太宰作品を網羅的に眺めて、例えば、「ひとりごとのやうに」「月」「月のない夜」「死人のやうに」「死んだやうに」の出現回数を調査したり、「どこやら」「なんだか」「何だか」「なんとなく」「何となく」の出現個数を主たる作品で調査した上で、『右大臣実朝』中の同じ副詞の出現回数を調査し、作品設定にどのように生かしているかの追求をするという形で、第一部と第二部の第一章は構成されている。ちなみに、第一部のタイトルは「太宰文学の表現空間」で、第一章「自閉する発話空間」第二章「「月のない夜」をめぐって」第三章「「死」の表現意識」第四章「「夕闇」にゆらめく自意識」第五章「初期から前期の表現」第六章「饒舌の表現作用」である。また、第二部のタイトルは、「芥川文学受容から太宰治へ」であり、第一章「「右大臣実朝」論」、第二章は「竹青」、第三章は「庭」を取り上げて、作品表現上における芥川との類似性を追求している。第三部のタイトルは「太宰治へのアプローチ」であり、第一章「二十一世紀旗手の文学」、第二章「それぞれの故郷」、第三章「作品鑑賞のために」(「右大臣実朝」「津軽」)、第四章「書評」から成る。

 著者の引き出した結論で注目すべき点をいくつか紹介してみよう。一つ目は、「太宰文学の饒舌性は、対他意識あるいはその裏返しとしての自意識の表出といった表現内容においてその効果が発揮されていることができる。他者が微妙な関係にあったように故郷も太宰にとって微妙な存在であったことを考え合わせると、そのような心理や話題の中で、語り手や主人公が饒舌になるといえる」と述べる。この結論を導くために、著者は「二十世紀旗手」「HUMAN LOST」「道化の華」「駈込み訴へ」「燈籠」「舌切雀」(『お伽草紙』の一篇)「?」「千代女」「皮膚と心」「狂言の神」「花燭」「津軽」「善蔵を思ふ」「女賊」(『新釈諸国噺』の一篇)「太刀」(同)等、たくさんの作品を丹念に調査している。著者の言及した「善蔵を思ふ」の箇所は、「私は、よくよく、駄目な男だ。少しも立派で無いのである。私は故郷に甘えてゐる。故郷の雰囲気に触れると、まるで身体が、だるくなり、我儘が出てしまつて、殆ど自制を失ふのである。自分でも、おやおやと思ふほど駄目になつて、意志のブレーキが溶けて消えてしまふのである。(以下略)」という部分である。また、「右大臣実朝」に見られる三語(佐藤注:先程、紹介した「どこやら」「なんだか」「なんとなく」のこと)には、単に表現をあいまいにする機能に止まらず、それを超えて〈作品を仮装する〉とでもいうべき役割が発揮されているのではないか」と言う。この結論に至るまでの調査も精密を極めてアプローチされている。


 もう一つ注目したいのは、太宰と芥川の共通点をあくまで作品表現の立場からアプローチしているところである。「右大臣実朝」と「地獄変」、「竹青」と「杜子春」、太宰の「庭」と芥川の「庭」との丹念な比較検討がなされている。例えば、著者はこうまとめる。「渡部(芳紀:佐藤注)の読み解いた「竹青」と「杜子春」の「似た構想」は、単に物語内容にとどまることなく、主題まで深化させた太宰の設定であったと理解できるのである」。また、こう言う。「太宰治の「庭」は、芥川「庭」を原作品としたパロディー化の発想による表現構造を持っていると考えられるのである」。今までの作品論が見落としていたところまで深く追求の手を緩めない、著者の真摯な姿勢が見られる論考である。

 おそらく著者が「結」でも言うように、著者の恩師(弘前大学の小山内時雄・江連隆)の持っていた真摯で禁欲的な態度が踏襲されているのであろうが、評者から言わせるとやや結論部が弱い、ここまで綿密な調査の裏打ちがあるのなら、もっと大胆な結論を引き出してもいいのではないか、という点は幾つか見られる。例えば、評者だったら、「月のない夜」の表現には、太宰の社会主義的運動からの脱落による、他者不信という要素を読み取っていきたいのだが、著者はあくまでストイックなくらいにこうまとめる。「月が「ない」ことで他者や故郷との隔絶、それにともなう虚無的心理、寂寥を直接表し、さらに虚像効果としての「月」が逆に他者や故郷を強く求める心理を潜行させて二重構造をなし、虚無を増幅させている」。著者と評者との書簡交換でも言ったことであるが、こういうまとめ方には、もちろん恩師の多大な影響力が根底にあるのだろうが、それ以上に研究者としての個性(資質)の違いといったものも反映されているのであろう。だから、あまり無い物ねだりをしても始まらない。著者の個性を感じつつ、この著作を味わうというのが、よりよい鑑賞であるのかもしれない。いずれにせよ、今まで挙げてきた特徴でよく分かるように、この著作が太宰研究史に特筆すべき作品の一つであることは疑いない事実である。

               二〇一〇年一二月 和泉書院刊・4,200円(税込)




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