『群系』 (文芸誌)ホームページ 

<34号・同人・読者による短評>     2015.5.13.設置




6月7日(日曜)の合評会の参考ともなる、投稿作品の同人相互の<短評>サイトです。 目次掲載順に掲出しています。


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「群系」34号(2015年4月25日刊行) 同人・読者の短評

 


群系第34号   目    次                     二〇一五年 春


特集《昭和戦後文学》             

    

島尾敏雄「家の中」論 ―多元的視点による語りが意味するもの― 石井洋詩 18




梅崎春生  超領域の文学―「桜島」から「幻化」まで―        荻野 央 13


その1 土倉ヒロ子評

 梅崎の作品は数十年も前に読んだきり再読はしていない。ただ、そのころ学生だった従弟が梅崎を愛読していると聞いて驚いてものだ。彼が精神的な危機に直面しているのかとも心配した。

 精神的危機。私がそう感じたのは梅崎にはそれが若い時からつきまとっていたからだ。

 さて、荻野氏の『桜島』から『幻花』まで論に入ってゆこう。

 ここでは『桜島』、『日の果て』、『幻花』が扱われている。一読してこれは「梅崎作品の主題による荻野央の変奏曲」だなと思った。先ず、テキストがあるその主題にそうように荻原の調べが奏でられる。主旋律はテキストをなぞりだんだん荻原の独自の調べも奏でられる。

 これは、一つの批評のスタイルとしていいかもしれない。特に作品を読んでいない読者にはわかりやすい方法だと思う。

 『桜島』には梅崎の坊津体験が隠されている。「坊津」、鹿児島の特攻基地である。最近では特攻は『永遠のゼロ』などで若い人たちにも記憶されていると思うが。

 梅崎は『桜島』において坊津体験は何も語っていない。作品では片耳のない娼婦との一夜を過ごすエピソードが語られるだけだ。だが、この娼婦は主人公(暗号兵)村上に執拗に{貴方はそこで死ぬのね、どんな死に方をするの」と問いただす。私は、このやりとりに坊津体験、つまり特攻基地の悲惨がかくされていると思うのだが。荻野も、この場面は重要と指摘している。

 戦争体験小説においては、作者の体験を徹底的にしらべた実証的評論と作品だけを純粋に論じる方法とがあるだろう。ここで、問題になるのは作者の「体験」ということになるだろう。

 なぜ、梅崎は坊津の特攻基地体験を作品の中にくわしく書かなかったのか。特攻兵器「震洋」は6000隻つくられたそうだ。火薬250キロを搭載した「震洋」は、すぐ横転してしまうような即席の全く人命無視の兵器だった。梅崎は、それを坊津で初めてみている。絶望がおそっててあたりまえと思う。なぜ、彼は書かなかったか。

 講談社文芸文庫の『風宴・桜島・日の果て・幻花』の解説者・古林尚は「坊ノ津で梅崎春生を見舞ったであろう残酷な私的制裁については想像するだに慄然たるものがある」と述べている。

 だからこそ、書かなかったのか、書けなかったのか。戦後、梅崎は、このことを最後まで語っていないという。今回、萩野の批評とともに、梅崎春生作品の再読と彼の生涯も辿ってみたい。

 そう思わせる荻野氏の批評である。もう少し作者の人物像を入れて欲しいが。   (土倉ヒロ子)





その2 名和哲夫評

 梅崎春生の作品は今回初めて読んだ。第一次戦後派作家の一人で、戦争中の体験をもとに作品を書いているらしい。読んでみると素直な文体で淡々と読み進められてすっと作品の中に入っていける。戦後の独特の雰囲気が描かれていると思う。

 さて、荻野氏の評論は、梅崎の作品のうち、代表的な『桜島』『日の果て』『幻花』を取り上げ、論じている。作品の筋を紹介しながら論じていくので、評論の読者にとっては分かりやすい。

 荻野氏は梅崎の作品中によく出る〈感傷〉という言葉を取り上げるがそれについては自分はよくわからなかった。

 第一次戦後派作家には埴谷雄高も入るが作風は異なる。梅崎の場合は私小説風でもある。その時代の作家たちを比較して論じてみるのも面白いと思った。



その3 石井洋詩評

荻野 央 「梅崎春生 超越境の文学」に導かれて

 荻野氏の端正で抑制の効いた文章、借り物ではない独自の視点、感受に忠実であろうとする姿勢に導かれて、数十年ぶりで三作品を読み直してみた。三作品についての氏の読みには肯うところが多いのだが、立ち留まらざるをえないところもあった。その一々を取りあげることはできないので、ここでは『桜島』についてのみ、氏の読みとズレるであろう私の読みを書いてみたい。 私は細部の積み上げが小説作品の生動に深く関わると思っている。さり気なく置かれた多様なディテールを追うことで作者が描こうとした作品の姿が少しづつ見えてくると思っている。ここでは、荻野氏が取りあげた「桜島」の老兵の死について見てみよう。

 村上兵曹と老兵との出会いは三回ある。一回目の時、飛来してきたグラマンの機銃掃射を受けるが、老兵に助けられて「栗の木から五米位離れた」窪地に避難する。そのあと老兵は軍隊生活が「人間が内部に持っていなければならないもの」を「退化」させ、「意志もない情緒もない動物」になることを話す。その後で村上は「自分が目に見えて卑屈な気持になって行くこと、それがおそろし」いと思うようになり、「美しく生きよう、死ぬ時は悔いない死に方をしよう、その事のみを思いつめてい」くようになる。

 二回目に会う前に次の場面がある。「敵船団三千隻見ユ」の電報によって、吉良兵曹長と他の下士官たちの間に険悪な空気が流れる。この時の作者は吉良に「自分に言い聞かせるような弱々しい声音」で「よして呉れ」と言わせている。実はそれは誤報であったことがわかるが、吉良を別とした「度を失った此の一群の男たち」に村上は「憤怒に近い感情」を抱く。そして「此のような破目に追いこんだ何物かに」「烈しい怒りを感じ」、「私の青春は終った。桜島の生活は、既に余生に過ぎぬ」と思うようになる。その後に老兵との二回目の出会いがある。そこで萩野氏が引いている蝉のことも出てくるのだが、私は次のことに目が引かれる。老兵は村上に「人間には、生きようという意志と一緒に、滅亡に赴こうという意志があるような気がするんですよ、…此のような熾んな自然の中で、人間が蛾のようにもろく亡んで行く、奇体に美しいですね。」と言う。そして双眼鏡に見える百姓家の老人の話をする。体が利かなくなった老人が首を吊ろうとしたとき、孫の男の子が見ているのを知り、それができなかったことを話した後、「人間は、人が見ていると死ねないものですかねえ。独りじゃないと死んで行けないものですかねえ」と言う。老兵は既に死の領域に入っている。

 三回目の出会いの前に、広島の壊滅、ソ連の参戦の情報が入る。事態が切迫したことを自覚した村上は「私は、なんの為に生きて来たのだろう、何の為に? …私とは何だろう、」と自問し、「もはや眼前に迫る死のぎりぎりの瞬間で、見栄も強がりも捨てた私が、どのような態度を取るか。…私にとって、敵よりも、此の瞬間に近くことがこわ」いことを自認する。その後、酔って剣舞をする吉良兵曹長が倒れかかり、村上の肩にしがみつく場面の後に三回目の出会いがある。機銃掃射に「歯も根も合わぬような」「畏れ」を感じた村上が見たものは、栗の木の下で額を撃ち抜かれ「頬の辺りに微笑をうかべているように見え」る老兵の死骸である。老兵は逃げなかった。「生き抜こうという情熱」を捨てていた老兵は「人が見て」いないときに、「安心してとうとう死んでしまった」と思う村上の胸中に、〈滅亡が、何で美しくあり得よう〉という思いが湧き上がる。やがて「本土決戦の詔勅」の玉音放送があったことを聞いた村上は。その時「平凡な、もはや兵隊でない市井人の死貌であった」老兵の「おだやかな」「死貌」と「服の襟の汚れ」を「しみじみと憶い出」し、「従容とは死ねないにしても、私は私らしい死に方をしよう。…あわてず、落ち着いて、死ぬまで生きて行こう」と思うようになる。「市井人の死貌」「服の襟の汚れ」といったさり気ない表現がある重みを持って浮かび上がる。

 駈け足でも、このように老兵との三回の出会いを追ってくると、作者が村上の思いの変化を描くために、醜い生き方を拒否して自ら死に赴く老兵と生き抜くために非情に徹しているかに見えながら「情緒」を枯渇させることのできない吉良兵曹長との触れ合いを、段階を追って対比的に描くことに、如何に意を用いているかが判る。序でに言えば、玉音放送が実は「終戦の御詔勅」であったことを知った後、荻野氏が「この涙の内実をもっと強くはっきりと知りたい」と言われる村上が流す「涙」と同様に、私は、村上が「はっきりと見た」吉良兵曹長の「涙」の意味も考えないではいられない。最後の場面で二人きりになった部屋の中で、吉良は村上に暗合室へ「お前は先に行け」と言う。部屋を出ようとした村上は背中に「不思議なもの」が迫るような気がして「三度」ふり返る。村上は刀身を見入っている吉良の眼に「この世のものでない凶暴な意志」を見る。作者は、軍刀が鞘に収められたときの音を村上が聞いた時「「その音は、私の心の奥底まで沁みわたった」と書く。村上の「涙」は、暗合室に急ぐ吉良兵曹長に遅れまいとしている時に流れ出たものだ。とすれば、村上が流す「涙」の内実は、老兵と吉良兵曹長の形象を追うことの中で明らめられるもののように思う。

 所で、島尾敏雄も「出発は遂に訪れず」で玉音放送を聞く場面を描いているが、そこで主人公の特攻隊長は、抑えることが難しい「笑い」が体の底から湧いて来るのを感じている。はじめから死ぬことを前提にした日常を送ってきた人間と突然死ぬことを日常とする現実の中に入れられた人間の違いを、「笑い」と「涙」の違いの背景として言うことは容易いが、事がそれほど単純ではないことは言うまでもない。また、突然に生を日常とする道を与えられた時、両者はどのような生を辿るのだろうか。梅崎は一年後に「桜島」を書き二年後に「日の果て」を書いたあと終戦から二十年後に「幻化」を書いて逝った。島尾は四年後に「出孤島記」を書いたが八月十三日までしか書けなかった。「出発は遂に訪れず」で八月十五日を書くためには終戦から十七年の時間が必要だった。文学的感受性や資質において似ているように思われる二人について、本多秋五が次のように述べていることが印象に残っている。「『桜島』一篇によって、戦後派の流行作家になった梅崎春生が、はたしてトクをしたか、しなかったか?名作『夢の中での日常』を書きながら、その後ずっと流行作家にならなかった島尾敏雄が、損をしたかトクをしたかと同様に、単純には決定しがたいのである。」(『物語戦後文学史』)

 最後にどうしても意味がわからなかった箇所があるので付記したい。

「日の果て」について末尾二文で「彼の死によって問われていることは、戦時下、人の内部における境域の超越は、最大に、かつ、別して個人的な肉感的な理由からやって来るものではないと言うことに尽きる。他の個人的な理由ではないのだ。」と結んでいる。「別して」は「決して」の誤植だと思うが、「個人的な肉感的な理由からやって来るものではない」とは、直前の「嫉妬」という感情を否定していることになるのだが、では「境域の超越」はどのようなことによってなされると荻野氏は読んでいるのだろうか。どんな「個人的な理由」なのだろうか。                                            (石井洋詩)






埴谷雄高「死霊」                               名和哲夫 2


その1 間島康子評

 読み解く、読みこなす、ということの難しい作家の一人が埴谷雄高であると思う。

 私は以前、無謀にも「闇のなかの黒い馬」に挑戦したが、「死靈」に比べると、まだ感覚的な読み方で、その作品を受け止められた気がしている。

 埴谷雄高はとても特殊な位置にいる作家であると思う。

 普通、小説というものは、作家の頭(あるいは身)から出た言葉で表されたものを読むのだと思うが、埴谷雄高の作品の場合は、勿論言葉で書かれ表されてはいるのだが、こちらから彼の頭の中に入りこんで、その世界を覗かなければならない気がする。

そこに難しさがある。

 しかし、@埴谷の根底にある「自同律の不快」、Aドストエフスキーの影響、Bのみならず江戸川乱歩などの「探偵小説」の影響、をも受けて書かれているのではないか、という指摘は「死靈」に近づく方法を示してくれているのではないか。

 ドストエフスキー「罪と罰」の探偵小説の装い、また、「悪霊」と「死靈」、乱歩の「悪霊」、藤枝静男のテーマとの関連性などを挙げているのは、興味深いと思った。

                                                                         (間島康子)


その1 草原克芳評

奇書の系譜         

■奇書という言い方がある。日本の小説で、超ジャンル的に見た場合、三大奇書とは何だろうか。個人的には、『ドグラ・マグラ』(夢野久作)、『家畜人ヤプー』(沼正三)、そして『死霊』(埴谷雄高)をあげてみたい。小説もこのレベルまでくると、もはや純文学とか、エンターテインメントとかいうジャンル分けが、ほとんど意味をなさなくなってくる。唯一の基準は、その作品が「思考-感情の実験空間」として、One&Onlyであるかどうかということだろう。

■名和哲夫氏は、『死霊』を扱ったこの論で「自分にとって書くべき事」を三点挙げている。@「自同律の不快」、A「探偵小説の影響」、B「藤枝静男と埴谷雄高の影響関係」である。

@「自同律の不快」については、〈私〉の生成変化の起動力が、「不快」によってのみ成立するというハニヤ哲学に注目する。名和氏はここで、埴谷の生態系や生命論の延長としての「子供を作らない」人生観などを指摘する。

 私見によれば、埴谷の思想は(というより『死霊』のテーマは)ニヒリズムと紙一重でありながら、最終的には「意識イコール存在」の宇宙へと動的に飛翔するものであり、これは何やら、仏教の天界論によく似ているのである。すなわち、第六天の他化自在天、第五天の楽変化天。このあたりは色界よりも低い欲界であるが、こちらのナマな物質世界とは違って、思念で願うことがたちまち現出する「意識=存在」という、楽しい天人達の世界である。(少なくとも仏典ではそうなっている)

 さらにまた、@「自同律の不快」とは、刻一刻、一刹那一刹那と、「世界・自己」が点滅的に〈存在/消滅〉をくりかえす仏教的「刹那滅」の世界観・自我観にも通じるものがないではない。となると、埴谷雄高の宇宙像とは、ドストエフスキー、カント、マルクス、シュティルナーがどうのこうのいう以前に、仏教インド思想・老荘的ニヒリズムに、その水源や母胎があるといえそうである。つまり、埴谷の正体とは、西欧近代思想の地獄巡りを経てきた東洋思想的諦観そのものではないのか。『死霊』ラストの大円団が、釈迦と大雄のディベートになるのも道理なのである。

■Aの「探偵小説の影響」について名和氏は、江戸川乱歩や「新青年」の影響関係を指摘する。源流はおそらく、乱歩というより、そのもうひとつ先祖のエドガー・アラン・ポーであろう。サスペンス、探偵小説の緊迫した推論のスタイルもさることながら、何よりも、あのトンデモ宇宙論「ユリイカ」の影響は、埴谷雄高や、武田泰淳、稲垣足穂、小林秀雄など日本文学における突出した文学者たちに著しい。ポーの海洋奇譚「メールストロームの渦」の宇宙的闇の詩情について、埴谷は何度も好んで言及している。日本文学史におけるE・A・ポーの影響について、純文学・探偵小説・推理小説・怪奇小説を横断した影響関係が、これまでどの程度論じられてきたのだろうか。この論を読んで、そんな連想も湧いてきた。

■しかし、もっとも興味深い指摘は、やはり、B「藤枝静男と埴谷雄高の影響関係」であろう。雑誌『近代文学』関連というだけでなく、藤枝の心理的な「自己嫌悪」と、埴谷の意識論的な「自同律の不快」の接点に注目する。ちなみに「自己嫌悪/自他への不快/調和」をテーマとした巨匠が、もう一人いる。"小説の神様"志賀直哉である。しかし、藤枝静男が志賀直哉のような生活告白型・日記随筆型の私小説作家でないことは、いうまでもない。

 『空気頭』『田紳有楽』などの想像力の質は、むしろ「奇書」の味わいを持っている。あるいは藤枝は、内田百閧フ系列に属する作家であるかも知れないし、笙野頼子あたりの先駆と見た方がわかりやすいのかも知れない。下手すると、これまでの小説概念を解体したアンチロマンや、ポストモダンの小説家として、藤枝静男を把握した方がてっとり早いのかも知れない。

これまで藤枝への愛着を語って来た名和氏であるが、さらにここから一歩踏み込まれ、この視座を深めた「埴谷・藤枝」論を待望したい。(草原克芳)




島尾敏雄「出孤島記」                             石井洋詩 2


市原礼子評

 〈西尾宣明の「島尾敏雄の『戦記』小説研究の基本的問題」に拠りつつ、主な論評を介して「出孤島記」の解読を試みる〉という、石井さんの手法は、私には大変わかりやすかった。5個の構成要素をあげて、作品を掘り下げていく。その中でも、「人間を神にまつりあげ、絶対者が神をあやつりながら、神は神の意志で死ぬというおそるべき特攻のからくり」という松岡俊吉の言葉は、そういう見方があるのかと、目を開かれた思いがした。

 特攻を志願した人たちは、どのようにしてその選択をしていったのか、聞いてはいけない問いのように感じていたが、この言葉で心理の構造がわかった気がした。自分の命を捨てることを決意した人たちは、そこまでおいつめられて、戦いに参加していったということになる。

 島尾敏雄の作品は過去に何編か読んだことがあったが、この機会に改めて読んでみた。島尾の作品は軽い気持ちでは読めないという気がしていたが、以前から読みたいと思っていた島尾ミホの、「海辺の生と死」も合わせて読んだ。

「出孤島記」は戦記ものであるにもかかわらず、この世から遠いところにある、至福の島での奇跡の物語のように思えた。特攻という使命を帯びて、出撃のその日まで、隔離されたように島で生活している人たちを、村人達は自然に尊敬の目で見るようになる。神話的ともいえる生活がそこにあった。

 そもそも「出〇〇記」という言葉は、〇〇を脱出して新天地を目指すという意味に使われるものと思っている。たとえばモーゼの「出エジプト記」のように。しかし、孤島を出発しても、死に向かって、海の断崖に落ちて逝くしかない特攻兵たち。スーサイド・ボートでの「出孤島記」。そのタイトルには、孤島の戦場から脱出して、戦争から逃げたいという願望も込められていたと思う。

 そして、島の娘との運命的な恋。島の娘、つまり後の島尾ミホから見た「その夜」(「海辺の生と死」所収)は、「出孤島記」を裏から照らす美しい物語となっている。後の「死の棘」のミホにつながる、島の娘の純粋無垢な、一途な魂が見えた気がした。「出孤島記」は、特攻三部作の中でも一番の傑作と思った。   (市原礼子)




「荒地」から始まった戦後現代詩 −鮎川信夫について         市原礼子 3


安宅夏夫評

 日本の戦後詩は、戦前・戦中から胎動していたといえる。市原礼子さんは『荒地』グループの鮎川信夫に照準を当ててこれを論じている。盟友森川義信の戦病死を超えて鮎川ががんばったことで、日本の戦後詩が開花した。

 『荒地』の呼称は、イギリスのエリオットから得たものだが、これを跡付けて過不足ない市原さんの散文力が見事だ。

 そこで、『荒地』と拮抗するグループ『列島』があり、エコールを持たないすぐれた詩人も多いことについても後続のエッセイを待ちたい。

 前者と、その周辺に長谷川竜生、黒田喜夫、木島始ら、後者に谷川雁、岩田宏、嵯峨信之など、単独航海者も多い。

 前者では黒田喜夫の「毒虫飼育」が凄い詩だ。日本の封建制を抉り出して圧倒的な力技。肺を病み、清瀬の療養施設で早世したことが惜しまれる。

 谷川雁は「天山」という詩集を残し、後半生は詩から離れたが、黒田喜夫と並ぶ超弩級詩人。戦後詩人の人気者は谷川俊太郎だろうが、「人気」などないといえる黒田喜夫、谷川雁についても市原さんの批評を読みたい。

 『荒地』と一言で言えるが、田村隆一、北村太郎は鮎川同様、重要な存在なので、これもまた「油ののった」市原さんの「力筆」によって、ぜひ書いてほしいと願う。(6月12日))




安岡章太郎「海辺の光景」 ―ある軍人家族の戦中・戦後       土倉ヒロ子 9


その1 荻野央評

 戦後の荒廃と愛する母の死の後の精神の空白の混淆を描いたのではないか、という作者の視点にしたがって読んだ。戦後の作家諸氏はそれぞれの戦争体験があるにしても、安岡の感懐するものは、母を抜きにしてあり得ない(島尾敏雄の「夢の中での日常」も同じく)ように思われた。

 戦争期と平和期、連綿一体とした感覚に反対し、それを区切り、「平和期」が自分にとって大切なものであったとした安岡の、戦争に対する「一般市民感覚」がある、という作者の指摘に頷いてしまった。日露戦争以降、漱石が重苦しい時期だと考えていたその時期から敗戦へいたる長い道程であったかもしれない。でも庶民は「平和」の大切さをしたたかに胸中に秘めていたはず、とわたしは思う。(「断腸亭日常」に戦争の「せ」の字も記さなかった荷風の反骨、ささやかな反抗はひとつの証明だろうか)。

 母への愛は無限に自己への侵犯を許すことに他ならない。論考は、母と息子の「肉感的」な一体性なるものが、信太郎(安岡のこと)が、悲しくも苦しい算段で母を病院に送りこんだ後に母が死んだことによって終了する顛末から始められる。母が亡くなったときは戦後十年のこと。一体的な母と息子において、母から息子への一方的な「侵犯」が終った瞬間である。

 そして同じ頃、信太郎が海を見つめ海面に見える幾百本の黒い「杙」(くい)の出現に、その黒い突っ立つ風景に数えきれぬ墓標の姿を認め、それらは空虚な彼の心になだれ込んできた。黒い杙の多量と墓標の必然のような連想は、紛れもなく壮絶な量の戦死者のことだし、この連想は愛する母の死を契機としている。だから母の死と戦死者たちは一貫しているのである。母の死は彼にとって遅れて来た戦後感覚ではないか?

 筆者の主張するように「風景」は「風景」に留まらないとき、「光景」として意味の刻印を、主人公のみならずすべての読者に与える。わたしも、うっすらとではあるけれどもそのこと理解したい、理解するだろう、理解しなければならない。

 “たしかにひとつの死が自分の手の中に捉えられたのを見た”は最後の名文ではあるが、作者がより重要だとするこの名文の前の部分は、信太郎と母との相互関係に何かを「償い合う」濃い密度を無視することはできない。それが「海辺の光景」の本質に相当しているとした考えはとても卓見であろうと思われた。(荻野 央)



その2 草原克芳


安岡文学への新たな切り口    草原克芳

■土倉ヒロ子氏のこの論考を読んで、虚をつかれた一節があった。安岡章太郎の『僕の昭和史』からの引用である。


「満州事変から大東亜戦争までの十五年戦争を一つつながりの十五年戦争と見立てることに、僕は個人的な実感から反対だということは何度も述べた。実際、満州事変とシナ事変の間には束の間ながら平和な時期があり、これは僕個人にとっては掛け替えのない貴重なものだったからだ。」

 これは安岡が、とらえている、貴重な歴史観ではないだろうか。


――安岡のエッセイから、この一文を掬いあげている筆者の視点は、的確である。まさしく「束の間ながら平和な時期」のモラトリアムの憂鬱を描くことこそ、安岡文学の本質であろう。平和だが、その平和の中には重苦しい憂愁と圧迫感がたちこめ、未来はさだかではない。しかしその心の内部から紡ぎだされる文体は、戦後の単調な閉塞感をよく伝えている。


 この安岡の視線には、確かに何かが映っている。それは時代の天候の変容がわずかながらに静止した、無時間的な雲の晴れ間であり、嵐の直前の空の明るさであろう。第一次戦後派の「型」の大きな作家・評論家たちは、「満州事変とシナ事変の間には束の間ながら平和な時期」があったことを、決して指摘しないだろう。もし触れたとしても、それは時代のニュートラルな一風景であり、内的な心象風景には血肉化しえない。彼ら『近代文学』の作家たちは非合法活動など、より激しく過酷な事件を目撃・体験しており、道端の野草や、水たまりのアメンボには興味がない。それは、学校を休んで青山墓地あたりをほっつき歩いていた落第生にのみ見えてくるグルーミーな「明るさ」なのだ。

 その「落第生のモラトリアム」の視点から見れば、世の中の大方のことは、気恥ずかしい、大げさな、困ったような笑いを浮かべるしかない人間喜劇である。もちろん、システムからの脱落は、その報いも受ける。

 安岡文学で興味深いのは、この単なる劣等生の愚痴めいた視線が、やがて『私説聊斎志異』のように、国家システムそのものをあぶりだす構造透視的な視線へと、次第に成熟していくことである。

■安岡章太郎『海辺の光景』の読後感は、何か口の中に砂が混じったような奇妙な味わいだ。光線は病室に差し込んではいるものの、闇は深く黒々と淀んでいる。主人公の信太郎にとって、家族愛は嫌悪感と紙一重であり、汗ばんだ古い寝具のような不快感がつきまとう。

 傑作には違いないものの、それははなはだ荒涼とした感銘であり、ラストの虚無感は戦後文学屈指のものだろう。中編なのに長編の感触があるとの指摘はその通りであり、戦後の日常生活の単調さ、閉塞感と同質の単調さが、この中編から浮かび上がって来る。そしてその単調さとは、満潮と干潮とをくりかえす、海の単調なたゆたいのリズムとも並行している。

 狭苦しい家の中で、信太郎にとって鬱陶しい存在であった「母」は、海を背景にした病院で、無言で口をあけたまま眠っている。いま手元に作品がないので、正確には記せないのだが、意識不明で寝ている「母」のひからびた口腔内部の描写が凄まじかったように記憶する。

 さらに、この論におけるもう一つの特筆すべき指摘は、48ページ上段の「自由民権運動→キリスト教」の潮流が「母」と重ねられる一節であろう。


「信太郎が押しつけがましいと感じたのは無意識のうちに、逆らうことのできない大いなる神の存在を感じとったからではないか」


 ここに明治初期における主流脱落組の不平不満を抱えた武士階級の問題を重ねてもいい。明治の不平武士の層は、クリスチャンと初期ジャーナリズムの母胎となったことはよく知られている。

 後にこの「神・キリスト教」のモチーフは、作家の先祖である安岡嘉助(吉田東洋暗殺犯の一人)の登場する『流離譚』へと流れ込む。「作中には、讃美歌を歌いながら死んでいった女性がいたことも書かれている」

 そして、この問題は、第三の新人同期の遠藤周作の影響もあって、晩年の安岡章太郎自身のキリスト教入信へとつながってゆく。

■『海辺の光景』とは、「死体に近づきつつある母」の受け入れの儀式なのであり、甘やかされ、溺愛された息子・信太郎は、それを現実として受け入れざるをえない。「喪失」とは、何かを失うことではなく、浜辺に散らばるざらざらとした砂粒や、錆びた釘や、瓦礫まじりの過酷な現実を、ついに受容することでもあるらしい。

逝去した母はやがて暗い海と融解し、水平線の向こうへ冥合する。

 『海辺の光景』が単なるリアリズムを越えて、ある種の神話的な「光景」へと育まれているのは、私小説的回想が重層的に熟し、それが作者によって内面化されてある厚みを帯びるようになり、日本の昭和期の家庭における象徴的なヴィジョンへと昇華しえたからであろう。

 ことによると、三好達治の詩『郷愁』の一節、「海よ、僕らの使う文字では、お前の中に母がいる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある」。母(la mere )と海(la mer )のイマージュのつらなりも、『海辺の光景』深層部に指摘できるかも知れない。

 ここで読者は「母-海-死-神」といった母胎的・羊水的・海洋的イマージュに導かれる。それはタナトスの闇や残酷さと、生命をはぐくむ羊水の温もりとの永遠の両極性の律動を宿している。新しく「神」の視点を加えたのは、論考の筆者・土倉氏である。

■ちなみに、安岡的な閉塞感に近親憎悪的な反応を示したのが第三の新人を扱った江藤淳の『成熟と喪失』であった。安岡の初期の短編の空虚な抒情を連想させる村上春樹の作品の主題にも『成熟と喪失』という切り口は、ふさわしいように思われる。占領下の米軍接収家屋を舞台としたささやかな恋愛を扱った「ガラスの靴」の透明な感触は、どこか村上春樹にも似ている。”米軍的なもの”と隣接した空間でありながら、村上龍でも山田詠美でもなく、春樹に通じるのである。

 さてこの現象は一体、何なのか。

 意外にも安岡文学の潜在的な放射力は、通常思われているよりも、広範囲なのかも知れない。


 この土倉論考もその一つと思われるが、極私的な私小説作家と思われてきた安岡章太郎を、「公」的な視点をも踏まえて再照射することが、すでに始まっているようである。(6月13日)






吉行淳之介「驟雨」                               間島康子 2p


荻野央評

 作者の冒頭に置いた「緑の驟雨」の吉行の描写。一斉に落葉するとき、風にあおられてまるで驟雨のように思われるという場面はリアリティに満ちていて、確かに読者に不思議な快感を与えてくれる。さて問題は、作者が、この光景に寄せた吉行の感懐に、寄せる作者の感懐である。間島氏は、同じ体験からそれを「至福のとき」と感じているが、吉行は驚愕のときととらえているようだ。この言い表し方の微妙な違いが気になった。

 「驟雨」で主人公の若い男性は健康的な恋を失い、不健康なる娼婦との関係に陥っている。素人であれ玄人であれ、男と女の愛の細やかな交感に変わりはしないだという思いが女との交渉の時間のうちに芽生えて来るということのようだ。

 しかし純粋な愛は苦界にも存在するのだという彼の決意のようなものは、この突然の一斉の落葉の光景に、或る本質が出現する恐さを感じているのだろう。どっさりと茂って美しい葉なみを与えていた樹木が「裸形」になるとき、主人公はなにかしら惨いものを感じていたということのようだ。


 「道子の娼婦の顔が朝の光りにあばかれることを企んで」いる彼は、悪意に近い誠実さに襲われている観察者のように見える。いかにも恋の当事者たちは”性”の快楽や溺愛に入りこみ、分別を失ないがちになるのだろうが、この緑の驟雨によって「暴かれた裸の木」に、娼婦に寄せる純粋な愛にほんらいの娼婦との性愛の姿を観察している、とした作者の批評にうなづいてしまった。そしてその観察により生じた異和感は、愛する二人を信じた純粋性から転落せしめる、というくだりに、男の女の間のあいだにある尽きせぬ謎、不安定な揺れ動きが底部にあるのだということを思い知らされた。(荻野 央)



近藤加津評

 昭和29年度上半期の芥川賞を受賞した「驟雨」。この機会に再読してみると、吉行文学の都会人としての微妙なセンス、皮膚感覚が伝わってきます。

 「『驟雨』を覆うひんやりした静かさは『娼婦』という規制を置くことにより一層危うい静かさを増す。」という間島さんの詩的感覚は、作品の中核に鋭く迫っています。好きな表現箇所です。女を「『気に入る』と『愛する』とは別のことだと思っている、妙に醒めた若い主人公に「老成した印象を受ける」と述べていますが、私も頷けます。そのうち、主人公と娼婦との間に「徐々に純な感情すら芽生えてくる。」ではありますが。

 間島さんが引用した、短編の終り近くの偽アカシアが驟雨のように落葉する情景は、作品のテーマを映像化したシーンで、私も最も強く印象に残っています。

                                             (近藤加津)




曾野綾子「遠来の客たち」                          近藤加津 2


間島康子

「遠来の客たち」は、曽野綾子の体質をよく表しており、近藤さんが指摘されているように、「権力に媚びず、また

反対に卑しまれている存在にも同位置に置く曽野の姿勢が窺える」作品だと思う。また、戦前の女流作家たちが思想弾圧や、

貧困などを乗りこえ、それを踏み台にして書いてきたが、曽野の作品にはそれがないというのも肯ける。

 主人公波子の、聡明で溌溂とした物怖じしない様子は、それはそのまま若く新しい作家の曽野綾子であろう。

 作品中に「負けた強み」という言葉が出てくるが、確かに戦後の混乱の中で勝者に屈したものも多くあろうが、負けた強みで日本は逸早く国の復興を遂げたのだろう。

 「遠来の客たち」は、吉行淳之介の「驟雨」とともに昭和29年上半期芥川賞候補になった。結局、「驟雨」が芥川賞をとったが、どちらにも虚無感が漂うのは

時代の所為だろうか。ただ、その表し方は全く違っている。そこにそれぞれの資質の違いを感じる。明るく外向きの虚無と内向きで暗さをともなう虚無。

 しかし、意外にも乾いた感覚は、形は違うとは言え共通しているのではないだろうか。

   (間島康子)




庄野潤三「プールサイド小景」                        永野 悟 2


荻野央評

 いまはあまり話題にならない庄野潤三に光りを当てたこの論考は、サラリーマン小説の嚆矢とするこの小説の持つ意義を表すものだ。日本の就業者の85%をサラリーマンが占めているという。となればサラリーマンの実態(悲哀・苦難)を主題としない小説とは現代にアクチュアルなのかという素朴な疑問を持ってしまう。もちろん小説論としてこの疑問は妥当しない。でも、サラリーマンは社会に厳しく発言しない、黙し続ける人間の群れなのだ。それは仮想かもしれない。だからこそサラリーマン小説の持つ現代的な意義があると言いたくなる。誰かサラリーマン文学論を書いてほしいものだ。


主人公が免職になった理由が論旨でなく懲戒であるとすると退職金はない。一気に借金生活になり家庭は崩壊の危機に面する。これはサラリーマンの悪しき可能性である。全員、それを怖れている。だからどう間違っても公金横領は絶対にしない。はずだ。でもしてしまった。理由は欲求不満の解消のバー通いの費用に充てると言うからなるほどと思う。それにしては妻の怒りが描かれていないのはどうしたわけかとも思うのだが。ややリアリティに欠けている。


会社員を主人公にした同人誌の作品はうなるほどあるが、たいていは定年後の回想か、どぎつい老人たちの人間関係の錯綜が主題であってそれ以上の者は皆無に近い。そこをいかに突破するか。黒井千次とともに、もっと研究されてよい筈の庄野文学を取り上げた作者に敬意を表したい。(荻野 央)



堀田善衛「橋上幻像」と浜口國雄「地獄の話」 

 ―飯田進『地獄の日本兵―ニューギニア戦線の真相』に先立つもの―


                               安宅夏夫 


その1 土倉ヒロ子評

堀田善衞『橋上幻像』と濱口國雄『地獄の話』安宅夏夫 の持つ意味


 安宅氏の批評はツカミが素晴らしい。冒頭、表題の作家二人がいかに先見性にとみ、先人たちの作品と重層してるかと熱く語る。それは、今日只今の世界の問題であるアイシルなどのテロとも深くかかわっているという。

 「文学の時代は終わった、と言われる。だが、そうはいかない。」と安宅氏は確信をもって言う。

 堀田の『橋上幻像』は濱口の『地獄の話』に注目し、自らの作品に溶かし込む。金沢というトポスが二人を結びつけ新たな作品が生まれる。安宅氏は、それをゲニウス・ロキ(地霊)のなせる技ともいう。この地霊こそ、安宅氏をも金沢圏の作家たちに向かわせる神秘なちからではないか。濱口は中野重治につながり堀田も中野につながる。


 『橋上幻像』は1・ニューギニア戦線における人肉嗜食・2、ナチによるユダヤ人虐殺・3、ベトナム戦争の脱走兵という三っつの話からなる。題名からして引いてしまいそうになるだろう。

 そんな読み手を吸引してしまうのが、安宅批評の言葉の魅力。構成も見事で緊迫感をもって次の章へつながってゆく。アフリカ、中東で繰り広げられる終わりなき戦争をどうしたら止められるのか。濱口の『地獄の話』のノンフィクション版とも言える飯田進の『ニューギニア戦線の深層』も堀田、浜田の作品に重層してゆく。

 安宅批評は、これらの3作を重層させることによって世界の戦争状態に「文学」を対峙させている。我々は今世紀最大の難問を解く鍵を渡されているのだ。安宅氏の批評から。

     (土倉ヒロ子)



その1 草原克芳評

安宅夏夫氏の批評のスタイル

                            草原克芳

■残念ながら筆者(草原)は、堀田善衛の作品は『広場の孤独』『ミシェル 城館の人』しか読んでいない。『橋上幻像』についてはもちろん、濱口國雄の詩作品についても不案内である。したがって、以下は、安宅氏の批評のスタイルについてのコメントとなる。

 この論考では、最初に仏国シャルリー・エブドの騒ぎに対する文学側のスタンスが表明される。「表現・風刺の自由」と、それに対する「テロリズム」という対概念(現象)である。実のところ、このどちらも胡散臭い。シャルリー・エブドの漫画は、彼らの祖先であるヴォルテールや、ラブレーや、モリエールのそれとは、どう考えても似ても似つかない劣化版である。むろん、イスラム過激派(とされている)の暴力は論外である。したがって、「文学が立ち向かうのは、この両者についてであろう」という安宅氏の言葉は、極めて正確である。むしろ悪質な敵は、「ニセの精神の自由」を標榜し、演出する輩なのだ。

■さらに論者は、このアクチュアルな問題提起を進めて、「文学の時代は終わった」とされる昨今の通念に対して、「そうはいかない」と異を唱える。

 読者はここで、《「文学の時代は終わった」→「そうはいかない」》という言葉に釣られて、もはやページを閉じることはできなくなる。「先見性」「重層化」「国際性」の角度から、『橋上幻像』とその背景となった濱口國雄『地獄の話』の分析へと導入される。


 『橋上幻像』で描写されている「人肉喰い」の問題は、ISISの中東の混乱による動画で、リアルな今日的現象となってしまった。しかも飢餓ではなく、ある種の力の誇示として。

 しかし、やはり読みどころは、これまでの安宅批評がそうであるように、『橋上幻像』の小説作法、というより『橋上幻像』という物語の構造分析や、『橋上幻像』『地獄の話』の比較による間テクスト性の解析――どのように先行作品や、オリジナルな体験情報からこの作品が編み上げられたかという、創作の秘密の精妙な解明である。

 そして読者は、次の見事な一句に突き当る。


  『すぐれた文学作品は「宇宙」であり、その中に「万物」がある。作者の姿はその中に潜んでいる』


 リルケの『ドウィノの悲歌』や、ハイデッカーの「世界-内-存在」の概念、あるいは、個々の宝珠が宇宙を映し出しているという『華厳経』のインドラ網の喩えでも援用して、この一文自体を追究するに値する深い言葉だと思う。 

 しかし実のところ、この文と、最初に論者が提示している「先見性」「重層化」「国際性」は、すでに見事に対応しているのだ。

 なんとなれば、傑出した文学作品は、時間の川の中から抽出されながらも、時間を超えた無時間的な《構造・元型・象徴》の造型性が潜在していることを意味しているからだ。ここに証拠物件として、カフカやドストエフスキーの作品を積み上げるまでもない。大げさでも何でもなく、詩人がときに、預言者・予言者となる理由が、ここにある。


■最後に、温厚な安宅氏があえて筆を控えたところを、わざとほじくり返そうかと思う。ニューギニア北部のソロンの密林では、何百人もの日本兵が、餓死や病で死屍累々の光景を作ったという。本稿では、濱口の仕事を受け継いだニューギニア帰還兵である飯田進が、NHKの現地取材でソロンの密林を再訪することに触れられる。そこには海老の養殖のために現地駐在している日本人商社の社宅が並び、「飯田は、この地で生産される大量の海老が、飽食の日本のグルメたちに供されていることに驚く」というのだ。

 ソロンの密林の歴史と、沿岸部の海の幸の豊饒さ。何のことはない、驚くべき食物連鎖である。

 イスラム過激派(ということになっている)ISISに、眉をひそめてばかりはいられないのだ。われわれ日本人もまた、スーパーから冷凍海老のパックを買い込んできて、日々、間接的な「人肉食」を、行っているのだから。(6月14日)





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            ○


よしなしごと ―正宗白鳥と志賀直哉の敗戦後              澤田繁晴 6


土倉ヒロ子評  澤田『よしなしごと』を楽しむ。  


  澤田繁晴の『よしなしごと』を堪能した。先ず、冒頭に上げられた白鳥の「生きるのも面倒だが、死ぬるのも面倒だ」という一節。私はニヒリストでもなくリアリストでもないが、70歳を過ぎると、この言葉はかなりずしりとこころに響いてくるのではないか。この一節は『心の焼後』という随想風小説の中にあると澤田の紹介。70歳を過ぎなくても、この一節は人生を考える者にとっては納得できる言葉だろう。そこから引き出されてゆく人間澤田の以外な側面がある。澤田さんは若い頃「どうでもよい」が口癖だったとか。これは意外。これこそニヒル。澤田さんのいつも冷静な態度はここに発するのかなどと、改めて人間の不可思議を思う。さて、ここから志賀の名作『灰色の月』の白鳥評にふれてゆく。


 さて、この随想風批評は楽しい。街中の気ままな散歩のような趣がある。今はバラの美しい季節である。てっせんなども垣根を飾っているだろう。しかし、白鳥や志賀はバラでもなくてっせんでもないように思えるが。白鳥は志賀文学の芸術性を「醇乎として醇なる芸術・・・」と評価する。そして戦後生まれた様々な文学を「蕪雑な荒っぽい毛むじやらな腕をまくって、ゆすり文句を並べているような文学」とけなす。この戦後文学の中での志賀の『灰色の月』の価値を白鳥らしい表現で認めている。

 批評家、白鳥と小説家志賀の二人が引き立つような出だしの鮮やかな澤田である。


 よく、落語の名人を評価して「志ん生の、あの語り口は誰もまねできないね」などという。そう、この語り口なのだ。澤田は、いつごろから、この語り口を獲得したのであろうか。『輪舞ー文学・美術散歩』辺りであろうか。

 それにしても、この自在さよ。白鳥を巡って志賀、芥川にふれてゆく。白鳥の香辛料の効いた滋味あふれる人間と文学にさりげなく触れながら筆は進んでゆく。『源氏物語』にふれたところなどは「文学」のあり方をついていて同感する。

 「有閑男女の痴呆的な巧みな物語を手にしながら、暖炉の側でうたた寝するのも、人生の一楽である。腹いっぱいうまいものを食って、食後の一睡をするのが人生の一楽であるのと同様にである」

 私なども小説を読む楽しみとして、白鳥同様の考えも持ってきたので、思はず拍手である。

 暖炉の側で、六畳の畳に寝ころんで、サンルームの揺り椅子で、好きな小説を読んでいるときの幸せ。文学は至福の時間をつれてくる。『よしなしごと』もまた。

             (土倉ヒロ子)



高見順 ―「敗戦日記」における詩のようなもの―            市原礼子 6


安宅夏夫評

 高見順―『敗戦日記』における詩のようなものーー

                        市原礼子

 高見順の詩業及び小説家としての生涯を通覧し、彼の「日記」に着目して出色の高見順論となっている。

 高見順は、中・高ではダダ的な前衛詩を、大学を卒業して政治前衛に積極的に移り、しかし治安維持法違反の疑いで逮捕されて離脱。

 出自が私生児であって、生き方にも挫折、このように幾重にも辛いところから文学に生きる決意を固めて生涯を貫いた人が高見なのだ。

 市原さんは、高見順が小学6年から59歳で亡くなるまで書き続けた日記が、かれの「命のやしない」ではないかと把握し、これを詩作品を具体的に提示して論を進めていく。

 

 「命のやしない」という言葉は高見その人のものであるが、市原さんはこれをキーワードとして、カラビナともして高見の詩業をたどっていく。この筆先が見事であって心地よい。

死病を得てから、一度は棄てた「詩」によって、文学者として目覚ましく花開いたのが高見順なのだ。

 このことを市原さんは自らが詩を書くゆえにとことん追求したのだ。

 「命のやしない」−−高見は生涯苦しんだ一生だったが、この言葉を残してくれたおかげで、市原さんはむろんのこと、この言葉をこうして特筆されているのを読むことで、読み手のひとりひとりが生きる力を得るのだ。

 高見順の墓は北鎌倉の東慶寺にある。山門から堂宇を右にして奥に進み、突き当りの小山の山腹に階段状にある墓地の、左方、かなり上だ。墓の右脇に、並んで詩碑がある。

    赤い芽

     空をめざす小さな赤い手の群れ

     祈りと知らない 祈りの姿は美しい

                     順

 最後の詩集『死の淵より』(昭和39)のもので、題は「カエデの赤い芽」。

 ヘビー・スモーカーであった彼の墓前には、いつ行ってみても、タバコ(と花)の供物がある。


永井荷風「羊羹」                                野寄 勉 2


川崎長太郎「抹香町」                             野寄 勉 2


吉屋信子「嫗の幻想」                             野寄 勉 2




中野重治の「広重」 ―弱者への包容―                  小林弘子 2


近藤加津評

 中野重治の作品はあまり馴染んでいなかったので、この機会に、「広重」を読んでみた。随筆のような小説だと思いました。

 泉鏡花や能に造詣の深い小林さんの、今回の論考、中野重治「広重」を興味深く拝読しました。「私はこのごろ広重が好きになっている。

しかしなぜ好きかわからない」の冒頭部分に当惑しながらも、「謎解き」のように、中野の心境を解明していく。小林さんは、「広重の描く世界

の『百姓町人のかなしさ、(略)政治権力にたいする恐れ、雨や風や洪水にいたぶられどおしの生活とその連続、そこから自然に出てきた軽口

による逃げ、ほんのちょつとしたものに見つけ出す知恵といつたもの、そんなものが広重という人』」であり、中野はそこに広重との共通点を見出

している、と述べています。「絵の中で広重は自分を語り、その広重像から私(中野)は生き方を学んだ」との指摘も論旨明快で説得力があり

ます。私も広重の絵を見たくなりました。

                                                 (近藤加津)




伊藤桂一の「群像」初掲載作品「廟」                     野寄 勉 6




幸田文 ―ひこばえの行方                           間島康子 7


土倉ヒロ子評

 記憶を呼びさまされて・・・幸田文ーひこばえの行方ー間島康子 を読む


 ひこばえという捉えかたの美しさ。その生命力。信じられるもの。先ずは表題から引き込まれました。幸田文は結構読んだ記憶はあるのですが、ほとんど忘れています。着物姿の美しいひとであこがれた時もありました。この着物の着方では、女友達が女流作家って独特の着崩しかたをするのよねといわれ、それ以降気にしていたこともありました。

 さて、間島さんの今回の幸田論。『崩れ』に注目したところが出色かと思います。この時、たしか彼女は72歳。大崩れの各地を取材し、ある確信を得るのですね。「巨大なエネルギーは弱さから発している、という感動と会得があってうれしかった」。これって、今、この世界の認識に必要な哲学ではないかと思うのです。これは、すごい。今こそ、『崩れ』を世界に発信しなければなどと熱く思っているのです。

 みなさま、映画になった『おとうと』をご覧になって。姉・岸恵子、弟・川口浩、監督、市川昆です。この年の「キネマ旬報賞」を取っています。これは、今、見ても感動すると思う。

 ひこばえということを思えば青木玉が『小石川の家』を出版したとき、スゴイ露伴の力、遺伝子と思ったものでした。あの家の佇まい。日本人の日々の暮らしの美しさ。このような暮らしは、いくらうるさく言われても、とても実行でいきませんが精神だけは見習おうと思ったものでした。そんな、こんな日本人の美徳というものなども思い起こさせる批評であるかと思っております。                                                 (土倉ヒロ子)




「石原吉郎の詩」の読み方 −詩集「サンチョ・パンサの帰郷」から   荻野 央 5


市原礼子評

 石原吉郎の詩は、シベリア体験がなければ生まれなかったと思う。私たちは石原吉郎の詩を読むことで、シベリア抑留の悲惨さのほんの一部でも、人が体験した事実として思い知った。たしかに、彼の詩はわかりにくい。異常な緊張にみちている。何を書いているのか。何を書きたいのか。何を隠しているのか。背景を知りたくなる。エッセイを読み、そうか、そうだったのかとはじめて、納得する。しかし、それが、詩の価値を落としているとは、思わない。

 極限のシベリア体験で、失語症に陥った石原吉郎は、帰還して、詩を書くことで、言葉を取り戻していく。私たちは彼の書いたものを読むことで、追体験していく。極限状態でも、人としての尊厳を失わないで生きた人がいたということが、私たちの救いになる。彼の詩は体験の中に封じられているのではなくて、彼の体験は詩に書かれたことにより、普遍化されたと言えるのではないだろうか。

 彼はなぜ告発しないのかという問いに、告発は政治的なものだから、集団でおこなうものだから、そういうものを信じていないからと答えている。告発しないことで、個人の立場から告発しているのですと。そして彼が、詩やエッセイを書くことが、戦争を、国家を、シベリア帰りを差別した世間を、告発することになっている。

同じように、体験を詩に書き続けた人に、パウル・ツェランというユダヤ人の詩人がいた。アウシュビッツで両親を殺され、自身も強制収容所を体験した。彼は「死のフーガ」という詩で、強制収容所の絶望と、ドイツ人将校の日常を対比させることにより、胸の悪くなるような悪の時代を書き残した。また、殺された母を恋い悼む詩を書き続けた。晩年は精神を病んで、自殺してしまったが、20世紀ドイツの最高の詩人といわれている。

 石原吉郎もまた、日本の戦後詩の最高の詩人の一人ではないだろうか。私が言うまでもないことと思うが。  (市原礼子)







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《自由論考》


村上春樹論 再読(3) ―「羊をめぐる冒険」                星野光徳 13


シャーキャ・ノオト(7)  −原始仏教残影−                古谷恭介 11


戦後の邦画事情 ―昭和二十年〜二十九年                赤穂貴志 2


NHK朝ドラ「花子とアン」評                           相川良彦 4


地動海鳴 その7                                 長野克彦 7


中野重治の「司書の死」                             野寄 勉 1





弁護士会の闇 第14回                             杉浦信夫 4


文芸同志会評

 文芸評論を中心に活動する文芸同人誌に「群系」がある。34号では、杉浦信夫氏の連載「弁護士会の闇」(第14回)で、日弁連に法曹界における弁護士の犯罪の多さと、内部規律の甘さを追及している。今回は、NHKのニューウェブ(2015年2月16日付け)で、ジャーナリストの国際団体「国境なき記者団」が、世界各国における報道の自由度分析で、日本は61位という下位であることを話の枕にしている。

 本論は、巨額の金銭取引契約に弁護士がからむことが多いこと。一部ではそのことで高額な利益を得る弁護士が存在する。特権階級化しているといえる。また仕事の少ない普通の弁護士事務所ではでは、法改正で生じた、サラ金利用者の過払い利息変換権利交渉で、サラ金業者から過払い金の返還を受けたものを、依頼人にほとんど返さず、横領してしまうケースなどの事件が出てきているようだ。そうした悪徳弁護士への日弁連の対応の甘さを指摘している。

 また、それらの事件がが大手新聞やTVメディアでの報道が少ないことがあり、その不満をぶつけている。

 NHKが「国境なき記者団」の国際的な「報道の自由度」についてのランキングを報道したのは、それなりに大したものだという気がする。国境なき記者団は、フランスに本拠があり、篤志家が資金を提供している民間団体らしい。であるから、信用度や実績が不明だから、その情報発信を無視することもありうる。ただ、この団体が日本のジャーナリズムの自由度を認めないのは、国会記者クラブ制度を代表する各自治体などの記者クラブ制度があるからだ。≪参照:なぜ寺澤有氏がヒーローなのか!「国境なき記者団」が選ぶ100人》

 日本の新聞と記者が、官僚と密接な利害共有関係にあることは、世界が知っている。海外のジャーナリストで、この制度のある日本が大嫌いで、本国に戻れると喜んでいた人に会ったこともある。自国に帰ればそれはそれで、大資本力の利害にからむ報道の不自由さに遭遇するのであろうが、すくなくとも原因が大資本の論理であると、明確である。しかし、政府官僚との癒着で政府の広報新聞化されたものが、大部数発行を維持しているのは理解ができないことであろう。

同様の思想から「国境なき記者団」は、日本の大手メディアの記者クラブ制度に批判的である。だから報道の自由度の順位が低い。そのことを、大手新聞が報道することがない。

そこで、こうした報道統制には、まったく縁のない文芸同人誌が、ジャーナリズムの分野をもつことは、意義がある。また、秘密保護法などでの言論弾圧の網の目をくぐる手法になる可能性もある。


  


音楽ノート オレンジ色の小説のような音楽                井上二葉 1


映画ノート 「紙の月」                              取井 一 1


美術ノート マグリット                              間島康子 1


【書評】澤田繁晴『幼い私の周辺』                       小林弘子 2



《創作》


山口二矢                                         大堀敏靖 13


文芸同志会評

  1960年、当時の日本社会党浅沼委員長を暗殺した山口二矢。その後、少年鑑別所で自死した。その二矢の母親が、少年期の息子を回想する内容。読み手の自分は、ほとんど同年令であったため、当時は自死という行為にも関心を強く持ったものだ。これを読んでも、人間は愚行をするものだと思った当時の印象は変わらない。赤尾敏との関係も記されている。両親や兄との関係は知らなかった。自分は、革新政党や右翼などからの働きかけで内情の一部を知ることで、政治が金で動くということを感じ、資本の論理に関心を高めたことを思い出させた。本作品では、二矢が大義に死ぬことに意味を見いだし、後悔しないという供述がある。ニヒリズムであるが、自分も思春期ニヒリズムに陥った。だが、何もしないでぐずぐずしていることのメリットを見つけ出していくことで、長生きをすることになった。



二十年後 寄り道                                  高岡啓次郎 7


その1 柿崎 一評

 中々味わいのある作品で楽しめました。これは男のロマンですね。

 旅先で出会った謎の美少女との情交と二十年後の邂逅。悲劇的な最後ですが、こんな思い出を封印していることはできません。

男とはそんなものかもしれません。このあたりの組み立てが手慣れていていいですね。遠い昔の思い出、美女との出会い。

 美女でなければならないのが残酷ではありますが。          (柿崎 一)


その2 米 正夫評

   作者の高岡さんは、本誌『群系』にも創作を発表し、『文藝思潮』で賞を受けられている。

 この手のストーリーは小説のみならず漫画、映画などであちこち目にする。カマキリの生態から発想された物語なのか。小生、浅

学につき何が原作なのか知らないが、翻案小説の一種だろう。

 現世世俗から幻想化した過去へ遡り、過去が現在と交錯する。冥界とエロチシズムに遊んだ。

 この際、原作にも触れたみたいので、どなたか原作をご教示いただきたくおねがいします。      (米 正夫)


その3 土倉ヒロ子評

 怪談の結構をそなえた短編。ヒロインが山村の美しい理容師という設定が面白いかと。腕がよくて知識が豊富で聴き上手。

村人の総てから愛され信頼されている。彼女に髪をきれいにしてもらうと心まで癒されるという憩の場になっている。

さて、ある日のこと、ここに都会から一人の男がやってくる。怪談の始まり。男は聞き上手の理容師に誘われて二十年前の約

束を破り、摩訶不思議な体験を話してしまう。

 「見てはいけない」「話してはいけない」など、昔話や怪談には世界共通の禁忌がある。男は二十年前の約束を破りおんな理

容師に殺されるところで、話は終わる。

 これは、百物語の「怪談会」では、受けるかもしれない。

 私は、もう一つの展開を考えてしまった。

 女はカミソリを首に当てながら「お客様、いくら気を許しても固い約束を破ってはいけませんよ。もし、わたしが二十年前、ひと夜

を共にした女だったら、このカミソリは貴男のの首を切っています」そう言いながら、理容師はカミソリを首に静止させた。

 男の顔から血の気が失せ、眼を大きく見開いた。女は嫣然と笑い、「嘘ですよ。脅かしただけです。」たとえ、二十年たっても約

束は守ったほうがいいのではと思ったものですから。

 などと、後の展開を誘う怪談になっているだろう。               (土倉ヒロ子)


その4 大堀敏靖評

 作者が明らかにされているようにこの短編は、ラフカディオ・ハーンの「雪女」を下地に、また、能の「安達ヶ原」にヒントを得て書かれております。両者に共通するのは「けっして話してはいけない」「絶対覗いてはいけない」という禁忌(タブー)でありました。こういう禁忌というものは物語の中で絶対に破られます。もしも厳格に守られたらばおもしろくもおかしくもなく、物語は成立しません。

 私が思い出すだけでも「鶴の恩返し」の老婆は鶴が機を織る現場を覗いてしまいましたし、狂言「附子」では近寄ってもいけないと言われた猛毒の入った桶の番を頼まれて、実はそこにはおいしい砂糖が入っていて全部食べてしまい、主人が大切にしていた茶碗と掛け軸を壊して、その償いに毒を食べて死のうとしたが死ねないで困っていると訴えます。

「古事記」のイザナギは黄泉の国へイザナミに会いに行き、待たされる間に決して覗いていけないといわれたイザナミの恐ろしい姿を目撃して衝撃を受けて逃げ帰ります。

 さらに「創世記」においても決して食べてはいけないという「禁断の木の実」をヘビにそそのかされたイブが食べてしまって人類は余計な知恵を得て苦しむことになったと書かれております。

 ですから、物語を成立させるには禁忌を設定して必ずそれを破約するという鉄則が貫かれねばならないのだと思います。

人間というのは、やってはいけないというといわれると返ってやりたくなるという習性があります。未成年者は様々な禁忌に拘束され、そのため返ってその向こうにある世界に無性に憧れますし、成年はまた法律や道徳によって禁じられた、不倫とか薬物とかどんなんだろうと憧れ、禁じられているがゆえの悦楽があってそこに嵌りこんでしまう人もいます。

 一方、約束は守るという日本人の武士的倫理もあって、そこに葛藤が生じて物語に緊迫感が生まれます。「二十年後」では都会からやってきた男が村の理髪店の女マスターに「二十年」の時効を勝手に信じて「決して話すな」という約束を破ってついつい話してしまい、イラン原産のオポパナクスの官能の香りによって理髪店の女主人こそが秘密の情交を結んだ巫女だと知り、頚動脈に刃をあてられます。都会から来た男は二十年間話したい時もあったでしょうがそれに耐えて約束を守ったのですが、当人を前にしてなぜかその緊張感がほどけてしまったのでありました。

 話した相手が当人ならば別にいいではないかと突っ込みを入れたくなりますが、やはり約束は約束なのでしょう。緊張が破られた時点で物語は終演となります。

舞台設定として「臨光禅寺」の新興宗教儀式の描写はリアルでいかにもありそうな情景でした。怪奇譚に必要な要素はこういったリアリティだと思いますが、さすがに慣れていらっしゃって自然にもっていかれてます。

 「自分がわからなくなる」という現代の病理に関心がおありだということですが、こういう作品を書くことによって人間存在の深さを探られていらっしゃるのだと納得させられる好短編でありました。                                    (大堀敏靖) 


その5 文芸同志会評

 幻想味の強いホラー小説。理髪店の雰囲気描写が良い。手順よく描かれていて、面白がらせる。




会長のファイル2 「謝罪文」                          小野友貴枝 12


その1 土倉ヒロ子評

小野友貴枝氏の『会長のファイル2』は面白い。私は小野氏の作品で一番気に入った。女主人公は地域福祉センターの会長職。就任して一年三か月。問題山積の職場である。この「地域福祉センター」が素材というのが興味を引く。地味な職場だが描きようによっては社会派小説としてのスケールも得られるだろう。

 特に福祉関係というのは、今、新しい段階に入り、行政も今のままでいいとは思っていないはずだ。ヒロイン英田は有能な管理職として造形され、仕事ぶりも颯爽とカッコいい。

 身近にある福祉センターの中身は案外知られていない。冒頭で、それらが明らかになる。私も

「地域福祉センター」がGHQによって作られたとは知らなかった。

 職場を小説として面白く書くのは難しい。今までも書かれているが、染色家、陶芸家、外科医、警察官、客室乗務員など。しかし、普通の会社員、公務員などを女主人公にした小説は少ないだろう。小野氏は、そうした中で公務員などを書ける貴重な存在だと思う。

 作中にセンターは市民の会費、寄付で運営とあるが、ここはもう少し書き込んで欲しい。この資金面のことが人事などにも関わってくると思うからだ。

 小説の構成は見事。次々起きるトラブルもパターン化されていなくて読ませる。ただ、権力をカサに威張ってクレームをつける市会議員はステロタイプ。現実に、こういう議員はいると思うが小説に登場させるには、一工夫必要かと思う。だだ、この事件の発端である、電話で対応したKの存在が生かされているのはいい。彼女が(心理的難聴者)であることも作品に奥行が出ていいと思う。

 たしか、福祉センターは障害者を一定数採用することになっていたかと思うのだが。職場の人間関係もうまく書かれているし、業務改善に対する英田の指示も職業人としてのプライドが出ていて魅力がある。

 さて、この題材で一冊の単行本として世に問う場合のことを考えてみた。余計なことと思うが。山崎豊子が描いてきた社会派小説としてのスケールを持たせるには、何が必要か・・・

 小野氏は、きっと構想していると思うが。彼女が一人になった場面も欲しい。小野氏の得意な恋愛も入れて。介護保険が導入される前、確か介護サービスも業務の中に入っていたと思うのですが。最近、縁のあるヘルパーさんから、この業界の矛盾を聞いています。だからこそ、大きなテーマで書けると思うのです。

 (土倉ヒロ子)

その2 文芸同志会評 

 「地域福祉センター」の会長に就任した主人公の組織改革と職員のまとめ役の気苦労というと変だが、問題解決事例がわかりやすく描かれている。設立の経緯がGHQによるものというのは、初耳で驚いた。まず興味を持たせる。自分は、まだ介護制度のない時期に、親の介護用に福祉センターからベッドや車いすを借りて済ました。作品では、市議会議員がベッドを3台も借りようとしたところ職員の応対が悪いとクレームをつけてくる。政治家の存在が、公的な施設での厄介者となる。その謝罪文を書けというので書いたが、それだけではおさまらない。その応対に悩まされ、神経を病む職員の姿。さらに、職員が倉庫の整理をしないので会長が気をやむところなど、いろいろありそうな話で面白い。お役所や公的施設での小説では、管理する側の視線から描かれたものが少ない。貴重な題材をうまく書きこなして問題提起になっている。新分野開拓の素材かも知れない。





落とし穴   肥前島原の大名有馬氏                       柿崎 一 21


その1 土倉ヒロ子評

 キリシタン大名であった有馬晴信が主人公である。晴信と家康との関係。長崎奉行長谷川左兵衛藤広との軋轢、人質にとられている長男直純との関係が緊張感ある

ストリー展開ですすめられる。一つに事件から運命が狂ってくることはままあることだ。

 晴信の「落とし穴」の発端の事件。現在のベトナム。朱印船寄港中の事件だ。取引を巡ってポルトガル人と乱闘が起きる。

 この事件は市川雷蔵主演で映画化もされている。『ジャン・有馬の襲撃』。海洋スペクタクルとして描かれる。

 しかし、晴信主人公の小説は少ない。高山右近はかなり書かれているのに何故か?柿崎氏の今回の作品を読むかぎり、魅力的な主人公となりうると思うのだが。

 晴信とキリスト教との出会い。徳川家康との付き合い方。しかし、家康は冷徹。隙あらば大名の取りつぶしを狙っている。ベトナムでの事件から晴信は思いもかけぬ「落とし穴」に

はまってゆく。

 このあたりの展開は緊迫感あって面白い。全5章で収められているが、もっと長編でゆったりと物語って欲しいと思っている。同人誌の制約があるので、なんとも苦しいが。

会話も、もっと入れて、晴信と妻子の場面などもほしいところだ。

 しかし、これは、これで楽しめる短編になっている。   (土倉ヒロ子)


その2 文芸同志会評

 キリシタン宗教戦争「島原の乱」のなかで、勢力を失っていく有馬家がその決断と手際の悪さが、ほそぼそと存続を維持する話らしい。ぐずぐずすることは、場合によって、問題解決になるといことであろうか。






峠道                                          五十嵐亨 13


その1 土倉ヒロ子評

 地方都市で自動車会社に勤める男がであった怪談。これは浮かばれない女の恨みの話。

 仕事帰りの峠道で男は路上で見つけた女を助ける。さて、このおんなとのひと夜の情交が、この小説の肝。男との情交と女の因果が夢とも現とも言えぬ描写で進行してゆく。このあたりは作者の筆の走るところであろう。この女は二度、男の前に現れ、事の顛末へと男を誘ってゆく。

 「あらためて女はつくづく恐いと思わずにはいられないのだった・・・」が最後の〆の文章である。幽霊になって恨みをはらす女の話は沢山あるだろう。女の身の上が、よくある話なのが、少し不満。でも、妊娠した女が邪魔になって殺してしまう事件は、今でも頻繁に起こっているので、分かりやすい設定ではあるだろう。もうひと工夫ほしいのはフィアンセの人物造型。これでは、登場人物Aといった描写でつまらない。彼女もおんなであること。最後に、それは感じさせるが、もうひとつ場面が欲しいと思う。

(土倉ヒロ子)


その2 文芸同志会評

 これもホラー小説。映画のシナリオのように整然として、セオリー通りだが、丁寧に書いているので、あらかじめ予測できても怖い。霊体となった亡霊が腐敗肉の絡んだ白骨という描写に、唯物的な感じがして異色感があった。ただ、そこまでするならば、筋肉が機能せずに、顎を動かすのに不自由して、言葉が明瞭でないところまでいけば、不合理のなかの合理性がでるのではないだろうか。

 


 文芸同志会通信 ⇒ http://bungei.cocolog-nifty.com/news/2015/06/34-cc69.html




《編集余滴》                          編集部 1


                                    


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追加論稿(34号掲出作品複数にわたった感想、あるいは関連して草された文章です)。





「群系」34号の感想

                                          

その1 山崎甲一評

  永野さんの予てのお誘いで、とうとう群系会員となる羽目に至りました。会員諸氏の皆様には、何卒よろしくお導き下さいますよう、ご挨拶を申し上げます。合評会でそのご挨拶を、と思っておりましたが、当日は他の学会に出席の務めがあり、残念乍ら参加が叶いません。とりあえずの名刺代りに、群系最新号を怱卒乍らの拝読でもなお、とくに楽しいひと時を与えて下さった御文の一、二について、簡略な感想のみ記します。

   吉行淳之介「驟雨」と、幸田文 ―ひこばえの行方。

 双方とも、他人の作品、文章の微妙な運び方というものに、一読者としての独特の語感を以て、シッカリと向き合い、味読のできる方の一文と私には感得された。”男と女の世界が、それぞれの性が持つ微妙繊細な感情を、過剰な表現をすることなく正確に描き”切っている点、そして、”老い乍ら父の娘であることを書きつづけ、次第に懐かしいと思うまでの距離を見出してゆく”点に、双方の作家魂というものを簡潔、的確に指摘している。当該作品を、今一度読み返したくさせる誘発力もある。

 安吾の第二芸術、論評文風に言えば、筆先のコトバだけ、型通りの行文のみが踊っていて、本当の詩魂 ー自分自身のふくよかな感性と言葉で以て、対象の本質部分と真の対話ができるー小林秀雄言うところの”批評”の論者は少ない。二つの御文、書き手の人柄を全く知らない乍ら、読書の楽しいひと時をお与え下さった間島氏と、同人の方々に感謝申し上げる。                                               (山崎甲一)




その2 長野克彦評

 東北大震災直後、日本に帰化した怒鳴度・キーン氏は、最近「志賀直哉は嫌いだ。なぜなら精神が健康だから」と言った。

 しかしながら文学は病んだ心で対峙しなければならないのか。そうではない、打ちひしがれた苦悩の底から立ち直った精神のそれは営為だと思う。日本で権威ある名作、傑作と称されるものでも、私には書き出しから嫌なものがいくつかある。

 私は、十九世紀以前の、スタンダール、メリメ、バルザック、フローベール、モーパッサンなどに極めて生き生きした人間味溢れる健康な精神をみる。

 さて、「群系」34号の圧巻は、堀田善衛「橋上幻像」と浜口國雄「地獄の話」 安宅夏夫氏だとおもいます。つぎに創作「峠道」五十嵐亨氏からは、モーパッサンの数ある珠玉の短篇の中の〈恐怖〉を思い出しました。次に「会長のファイル2「謝罪文」」小野友貴枝氏からは、縦割りの公務員の世界の人間関係も大変なのだなと思うと同時に、社会保険庁の宙に浮いた口座がまだ二千万件もあるというのを思い出しました。杉浦信夫氏の「弁護士会の闇」も14回を数え、迫力を増してきましたね。

 いま、ヨセフ・スーク傘下のプラハ室内管弦楽団演奏・モーツアルト、ヴァイオリン協奏曲から5番イ長調K219、&第3番ト長調K218をレコードからCDに録音したものをリピートをかけて聴きながら書いています。便利になったものですね。                  (長野克彦)





啄木「東海歌」への雨情関与についての雑感

                                          相川 良彦


 「群系34号」の赤穂貴志稿「戦後の邦画事情」については、会報21号に述べたように小生は批評力をもっていませんので、映画にまつわる思い出話でお茶を濁しました。ここでは、以前に群系掲示板に問い合わせた「啄木・東海歌」についての、その後の経過を報告しておきます。ただし、単に数点の関連文献を読んだだけの粗雑な整理ですので、世間の目に触れるのは憚れます。34号短評の末尾に掲載してもらえると幸いです。


 事の発端は、2015年3月24日BS朝日放映の「にほん風景物語―漂泊の詩人 石川啄木 〜 悲しきぞ美しき街小樽 〜」で次のようなエピソードが紹介されたことです。

小樽日報で啄木が同僚の雨情に、「東海の小島の磯の渚辺に われ泣きぬれて 蟹と遊べり」という詩を見せた。それを雨情が、「渚辺」を「白砂」へ、「遊べり」を「たはむる」へと改めるようアドバイスした。

 この歌のエピソードに興味をもった私(相川)は、インターネットで出典を示唆する数冊の文献を見つけて、読みました。その中で、詳細・体系的であり、かつ比較的公正と思われた西脇巽『石川啄木 東海歌の謎』(同時代社2004)の記述を紹介して、以下にこの歌のエピソードの由来顛末を整理しておきましょう。

 まず、吉田孤羊『啄木短歌の背景』(洋々社1965)によれば、


 昭和四年四月一三日、新宿で催された東京啄木会の追想座談会の席上、野口雨情氏が初めてこの歌の生まれた時期に対して一つの異説を唱えられた。雨情氏によると、この一首は啄木の小樽時代の作で、はじめ『東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹と遊べり』と啄木がノートに書いてあったのを、ある日雨情氏が遊びに出かけて、節子夫人と啄木と三人でたまたま歌を語り合ったとき、出してみせられたが、その後、節子夫人が『遊べり』とするより『たはむる』の方がよくはありませんか、といったら、啄木は早速『ウン、その方が引き緊っていいね』といってすぐ書き直したというのであった。


 私はこのことについて非常に興味をもって、その後、手の及ぶ限り啄木のノートや手記を調べたが、この一首が小樽時代の作であるという証拠を上げることが出来なかった」

と述べて、幾つかの傍証事実を上げて、この歌への雨情関与説への疑念を表明している。

 他方で西脇は、この歌への雨情の関与については、5点の文献名を挙げて雨情シンパが、雨情のアドバイスによって「渚辺」を「白砂」へ、「遊べり」を「たはむる」へと改められた、と主張していることを紹介する。ただ、彼(女)等の主張はいずれも、私が読んだ6点目の文献・長久保片雲『野口雨情の生涯』(暁印書院1980)と同様に、情報源は雨情関係者からの又聞き話の域を出ていないようです。

 それらを総括して、西脇は幾つかの状況証拠からみて(また多くの啄木研究者の意見と軌を一にして)、東海歌のエピソードは吉田説(アドバイスがあったとしても節子夫人による「遊べり→たはむる」への修正)の方が雨情関与説よりも信憑性の高いこと、ただ西脇自身はこの歌が同時に発表された他の短歌と全く趣を異にすることに注目して、この歌だけは小樽時代に作られて啄木が心中に温め、即興的に作られた他の短歌に紛れ込ませて半年後に公表した可能性もあり、雨情関与をまったく否定する訳にいかない、と結論づけています。

 実はこのエピソードの出典を、私(相川)は放映元のBS朝日担当者へ二度メールで問い合わせましたが、回答をもらえませんでした。問合せ黙殺の理由は分かりませんが、担当者が参考にした文献ではあっても雨情関与説の出典として他者へ紹介する程のものではないと考えた、或いは、視聴者の興味をそそる逸話として雨情関与説の方がテレビ番組的にはインパクトが大きくて良い、と考えらからではないでしょうか。と同時に、このエピソードは雨情が多くのシンパをもち、彼らから啄木を上回る逸材と見られていたことを投影しているような気がします。

                                                                                                           (2015.5.16.メール投稿からの転載)


34号合評会について


 日時 平成27年6月7日(日曜日) 午後1時〜4時半

   (おいでの時間自由。どなたでも。途中10分休憩です。無料)


 場所 タワーホール船堀 4F和室T      

  (東京・江戸川区 都営新宿線船堀駅下車一分 北口前 


 その後、懇親会(近くの居酒屋)

 

 *タワーホール7Fに展望レストラン、1Fに和食の店があり、 向かいにデニーズがあります。






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